000317 独創性。


 ぷーさんのHP、phosphorescenceの中のエッセイ「オリジナリティ」を読んで触発されて書いてしまった文章。

 僕の文章もあとで読み返したときに、「ううむ、平凡だよなあ」って思います。でもそれと相反して、「この文章はおれにしか書けない」とも思います。作文の上で影響を受けた作家、思想の上で影響を受けた作家はつらつらと思い浮かびますが、やはりこの文章は僕のものなのです。では、他者から見たときのオリジナリティの基準って、どこにあるんでしょう?

 例えば、音楽。僕は詳しい事はわかりませんが、「メロディはもはや出尽くした。残っているのは不協和音くらい」とかって言ってた人がいましたね(デヴィ夫人に「芸能界のパラサイト」という名キャッチコピーをつけた某音楽プロデューサ)。確かに最新の曲を聴いたところで、「どこかで聴いたメロディだね」という印象を抱く事は多いですよね。それでもやはり、人を感動させる音楽というのは生み出されつづけます。それは、音楽というものが、決して旋律ただそれだけで評価されるものではないからでしょう。歌い手さん、声、演奏、歌詞、これらの要素が重なり合って音楽は命を与えられるものですし、その歌がどんな時代に、どんな場面で歌われたかによって、名曲という地位を与えられたりします。そう考えると、どれがオリジナル、なにがオリジナリティか、というのは非常に微妙で曖昧です。

 それは文章についても同じことが言えると思います。単語、表現、発想その一つ一つを取り出してみた時に、さほど目新しさを感じないものだとしても、その文章が誰によって書かれ、どんな媒体で発表され、誰によって読まれるのかそれらをひっくるめて考えた時に、やっぱりその文章はその人のオリジナルなのだ、と考えていいんじゃないかなと思います。たとえ受け売りの知識を垂れ流した文章であっても、そこにはその知識を選択した発信者の意思がわずかではあっても介在するでしょう。これをしてオリジナリティなどと称すことにはやはり抵抗はありますが、オリジナリティの基準というのをこのくらい低く考えてみるのもいいと思います。そもそも現代の表現の世界で、厳密な意味でのオリジナルという地位を確保するのは不可能でしょう。それこそキレるか、トぶか、そうでもしない限りは、ね。

 僕がこの文章を書いたのは、ぷーさんの文章を読んだからです。それがぷーさんの言葉だったから、ぷーさんの考えだったから、僕の中でなにかが反応し、思うところがあり、応えるところがあり、言葉が出てきたわけです。こんなささやかな事実だけでも、ぷーさんのオリジナリティは保証されるんじゃないかな、と思います。そしてせめて自分だけは自分のオリジナリティを認めてあげよう、と思うのです。

 「I love you.」という言葉であっても、これを発する人と受ける人、2人にとってみれば世界に2つとない言葉になるのですから。


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