000331 青。


 絵が、好きです。今はもはや見る専門ですが。

 先日、「絵のことはワカラン」と自認している友人が、「おれがぜひ見たいと思っている絵は、『雲ひとつない青空』をキャンバスいっぱいに描いた絵かなあ」と言ったんですね。ちょっとした衝撃でした。「青ってねえ、難しいんだよね、使うの」と、その時はこう答えただけでしたが、よくよく考えてみると、スゴイ絵なんですよね。実際見たことないです。『雲ひとつない青空』を見事描ききった絵があったら、ぜひ見たい、と思います。

 ではなぜ、この絵がスゴイのかといいますと(以下自論です)、まず、先述したとおり、「青は、使いにくい」というのがあります。青というのは自然界において、「空」と「海」以外にはめったにお目にかからない色です。ですから必然絵の中に使う場合、空と海を描くときに主に用います。ですがキャンバスに乗ったときの絵の具の「青」は、空や海の「青」とは異質なんですね。もちろん、青は美しい色です。ですがそのために、絵の中の他の要素・他の色の美をぼかしてしまいます。それでいて(ここが重要ですが)、空や海の青の美しさには、どうしたってかないません。ですから、青を見事に使い切った名画というのは少ないですし、事実使われる頻度もそんなに高くはありません(天然顔料としての青が美術史において長らく貴重な存在だった、というのもあると思います)。

 そしてもうひとつ、青は、「美しい」と同時に「哀しい」色である、というのがあります。空や海の青は、絶対的な美しさを持っています。ですが、絵の中に登場する青というのは、見る者に「哀しい」という印象を、どうしても抱かせてしまうものです。衣服の青や、陶器の青にしたところで、「哀しい」という印象を少なからず与えてしまいます。これを意図する場合は別として、そうでない場合、青は、明らかにジャマになってくるんですね。

 ピカソの中では、「青の時代」の作品がいちばん好きです。それは、そんな「青」に正面きって挑み、「美しさ」と「哀しさ」が絶妙なバランスで展開される絵を成したからです。青の持つ「哀しい」面を操ることに成功しているからです。さらに、こちらは最近知った画家ですが、フェルメールという画家がいました。寡作にして同じ構図の絵を多産している、というのが難点ですが、この画家の使う青は、とてもみずみずしい印象を与えます。『青いターバンの少女』という代表作がありますが、そのターバンの青は、少女の可憐さを見事引き立てていると思います。そのほかの絵(ex.『地理学者』』)においても、青が実に印象的に用いられていて、青の「美しい」面を操りきっている、という印象があります。

 これら好例はありますが、青を使いこなした絵、というのは数が少ないです。ですから僕は、『雲ひとつない青空』を描ききり、かつ空の美しさに匹敵するほどの美を構築した絵を、見たい、と思うと同時に、幻だよな、と思ったのでした。

 高校生時分に僕は油絵を描いていましたが、一度、まずキャンバス全面を青で塗りたくって、その上に青の要素のない(カラスの)絵を描く、という荒業をやってみたことがあります。この絵、無論稚拙なものですが、背後から湧き上がる青が不思議な印象を与えて、僕自身いちばん気に入った作品となりました。だから、青に関して特別な思い入れがあったのですね。


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