000704 時。


「絵を志して挫折した智恵子が、ね、高村光太郎と結婚して、毎日、彼の天才を見せつけられなかったら、そうしたら狂うことはなかったのかしら」

北村 薫 『ターン』

 新潮文庫の新刊、北村薫『ターン』読了。本に夢中になってて朝を迎えるのって、幸せですね。その日一日中ぼんやりしてますけどね。久しぶりに小説に没頭しました。

 北村薫の小説からは、音が聞こえ、色が感じられます。情景描写が微細に丁寧で、美しいのですね。その優しい筆致は僕自身が憧れるところです。登場人物の心の温度もまた、感じられます。それはほんわかと温かかったり、鳥肌が立つくらいに冷たかったり。

 この『ターン』を含む3部作は、《時と人》がテーマとなっています。絶対に抗うことができない「時」というものにいたずらをされたとき、「人」はどのように振る舞うのか?ベースにSF的要素が横たわっていますが、その上にはまぎれもない北村薫の物語が展開されています。前作『スキップ』が文庫化されたのが、去年の初夏。北村薫という作家を知り、その作品世界に浸ることとなるきっかけを与えてくれた作品でした。僕の周りでは時は律儀にめぐり、ちょうど1年後に『ターン』に出会う、これこそまさに「ターン」でしょうか(ちょっとカッチョイイ言い回しをしてみたいお年頃)。

 「時」に置いてけぼりをくらった主人公。そんな舞台設定のなかで彼女は「時」に寄り添うのか、打ち克つのか、負けるのか。「時」に翻弄されて葛藤する彼女の心理を追ってページを捲っていきました。読後その「時」のイメージに包まれるなかで、ちょっと思い出したことがありました。


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 少し前に、「もしも人生をある時点からやりなおせるのなら」という話題がとある掲示板で話題になっておりました。この問いの裏には、「幸せだったときに戻りたい」あるいは「選択を間違ってしまったのでやりなおしたい」という2種類の、「けっしてかなうものではないけれども、それはわかっているけれども、想わずにいられない願望」というのがありますよね。ふむ、たしかにね、「あのころは幸せだった」「楽しかった」「戻れたらな」と思うことはあります。ひょっとしたらその幸せが持続する選択というのが存在したのかも知れません。立ち戻ってもう一度選択権を与えられたとして別の選択肢を選んでいたであろう地点も、あります。そういう分岐点がいくつかあったとして、僕はたぶん最善の選択はしてきませんでした。進路にしたって、恋愛にしたって、そうです(今の僕が語ることができるのはせいぜいこの2点である、ということです)。でもですね。「最善ではない」=「間違い」では、けっして、ないですよね。大切なのは、「そのときどきで最善の選択をしようと努めること」にあるのでしょう。たとえ客観的に見て、または後で思い返してみて、「最善ではない」選択であったとしても、そのときどきの「今」において悩み苦しんで出した結論ならばそれは、「間違い」ではない。「最善ではな」くても、「正しい」のです。たかだか「最善じゃない」ことで今の自分を嫌いになって、嘆いていたんじゃ、悲しいからね。


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 これまでに幾度もの楽しいことと、その裏返しの苦しいことを経てきたから、考えるところが深くなったり、語れる言葉が生まれたりしたのですよね。掲示板上でのある人の言葉、「もし戻ってしまって、そこからうまくやってしまったら、今現在ある、私にとってとても大切な人間関係がまったく発生しないことになってしまうので、そう考えたら今まで進んできた道は決して間違っていなかったように思います」というのを読んで、こんなこと考えたりしたんですが。

 そして僕は、今の自分が、今の自分の身の回りにいる人々が、かなり好きです。

時の流れと空の色になにも望みはしないように
素顔で泣いて笑う君のそのままを愛してるゆえに
あたしは君のメロディやその哲学や言葉すべてを
守り通します君がそこに生きてるという真実だけで
幸福なんです

椎名 林檎 「幸福論」

「でも、空はいいよね。誰がどう思うだろうとか考えるわけじゃない。
そんなこと関係なく、それこそ自然に《空》をやってる」

北村 薫 『ターン』

This essay is inspired by masapan,oki,hoppo,kanako & pooh.


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