ぼくは、「日記」のそんな特性にちょっと反発して、特定の人に読まれるばかりでなく、ある程度の不偏性をもつ文章が書きたいな、と思ったことがありました。日記に対する反応がメール等でかえってきて、「読まれること」を少し意識しだしたのですね。でもね、すぐに考えを改めました。文章を間に挟んで、書き手と読み手が対峙したときに、その文章の受け入れ口の大小は関係ないかな、と。読んでくれている人たちの顔がはっきり見え、その人たちに宛てて文章を書くというのは楽しいな、と。そこは素人の気軽さ、あんまり肩肘張らずに書いてみることにしました。それでもよその日記との差異、自分のHPだけの特性を出していきたい、という意図で、毎度なんだか日記ともつかない文章になるのですが。そもそもWeb上で多くの人が日記を公開し、自由にそれを覗き見ることができる現在、「日記」というものの意味も変わってきたかもしれませんね。少なくとも、不特定多数の人の眼前にさらすものでは、なかったはずです。
とりあえず今のぼくは、ぼくの文章を読んでくれているだれかと、そして自分自身に話しかけるつもりで、文章を書いています(このへん、2月17日の時点とは少し意識が変わってきたかもしれません)。それをWeb上で公開しているというのは、ちょっと質が違って、自分を知ってもらい、理解してもらい、悦びを得るための第二義的な行為ですね。
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