000718 日記。


 HP上に日記を書き始めて1年が経ちました。この間に書いた文章は(1行ネタも含めて)56本。おおなんだ、1週間に一回は書いてんじゃん。え?この時点ですでに「日記」の体をなしてない?うっうっうっ、ぼく、文章書くの遅いんですよ・・・。

 その「遅い」ことの理由の一つと言っちゃなんですが、ぼくは文章を書くときに(リラックスして書けるはずの「日記」においても)、思いをストレートにぶつけることができなくて、あれこれとこねくり回したのちにしか表に出すことができません。その結果、さらりと読める文章に仕上がっているとは思うのですが、その分突き抜けた勢いを欠いてしまっていると思います。ぼく自身は、書き手の体温が痛いくらいにビシビシ感じられる文章のほうが好みであるのですが。ネットをさまよっていると、ときどきそういう文章の書き手に出会うのですよね。文字ですべてを表現する世界ですから。チャットや掲示板上での短い発言に迫力とセンスを感じる、そんな人に出会うのが楽しみだったりするのです。


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 先日呑みの席で、「『知らない人』の日記で『面白い』ものは少ない」という話題になりました。ここで言う『知らない人』というのは、『まったく面識がない人』という意味であり、『面白い』というのは『「読み物」として鑑賞にたえる』という意味ですが、書き手の人格を離れて最初から読み手をグイグイと引きつけて存在感を主張できる日記は稀です。「日記」ですから当然書き手の身辺雑記であったりその日その日の思いが主となるわけで、個人的付き合いがあったり背景知識があったりしたほうが読んでいて楽しいでしょう。やはり、知っている人の書く文章だから面白いのだ、という部分は否定できないと思います。


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 ぼくは、「日記」のそんな特性にちょっと反発して、特定の人に読まれるばかりでなく、ある程度の不偏性をもつ文章が書きたいな、と思ったことがありました。日記に対する反応がメール等でかえってきて、「読まれること」を少し意識しだしたのですね。でもね、すぐに考えを改めました。文章を間に挟んで、書き手と読み手が対峙したときに、その文章の受け入れ口の大小は関係ないかな、と。読んでくれている人たちの顔がはっきり見え、その人たちに宛てて文章を書くというのは楽しいな、と。そこは素人の気軽さ、あんまり肩肘張らずに書いてみることにしました。それでもよその日記との差異、自分のHPだけの特性を出していきたい、という意図で、毎度なんだか日記ともつかない文章になるのですが。そもそもWeb上で多くの人が日記を公開し、自由にそれを覗き見ることができる現在、「日記」というものの意味も変わってきたかもしれませんね。少なくとも、不特定多数の人の眼前にさらすものでは、なかったはずです。

 とりあえず今のぼくは、ぼくの文章を読んでくれているだれかと、そして自分自身に話しかけるつもりで、文章を書いています(このへん、2月17日の時点とは少し意識が変わってきたかもしれません)。それをWeb上で公開しているというのは、ちょっと質が違って、自分を知ってもらい、理解してもらい、悦びを得るための第二義的な行為ですね。


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