000728 硬軟。


 前日の研究室野球大会で風雨のなか6時間ばかりグラウンドを駆けずり回った影響で、全身筋肉痛に苦悶。筋肉痛が即日夜から襲ってくるあたり、まだまだ身体が若いことの証明かしらん。いや待てよ、こうしてことさらに「まだ若いんだもんね」と強調しようとするあたり、「でもそろそろやばくなってきたのよね」ということを白状しているようなもんですね。いやいやまだまだ。

 サザンオールスターズの新曲、「HOTEL PACIFIC」にハマっております。曲はもちろんのこと、PVやTV出演の際の所業すべて含めていっさいがっさい。すごいのは、この曲をあの「TSUNAMI」の次に発表できる、というところ。某TV番組(一度も見たことないぞ、おい)の影響だかなんだか知らんがやたらと売れてしまった「TSUNAMI」。この程度の楽曲はいつでも作れるんだぞ、という能力の高さをにおわせながら「HOTEL PACIFIC」のようなバカ歌を炸裂させられる桑田佳祐に乾杯。びば。懐が深いよなぁ、と思います。僕が生まれたときからずっと変わらぬテンションで活動し続けているんですからもう、ステキな人々です。

 やっぱりね、「硬軟取り混ぜて」、「清濁あわせのむ」というのが理想です。たいていの人の本質は「硬」で「清」だと思うのです。だからこそ「軟」や「濁」に対する憧れ、誘惑が生まれます。そんな向こう岸に足を踏み入れるか、境界の川に浸かるか、かたくなに渡ることを拒否するかは人それぞれですけども。「硬」「清」を貫くことはカッコいいでしょうし、「軟」「濁」に溺れることも潔いでしょう。だけど、どちらかの世界しか知らないのは危険だしつまんないよね、と僕自身は思っています。自分の意思で境界の向こうを覗き見たり、境界を踏み越えたりするときの興奮。誠実を貫く緊張。汚れることの快感。そういったものその都度感じていきたい、と思います。自分の場所がわかんなくなっちゃって中途半端な状態に陥る危険性もありますけれど、その境界をきちんと認識できているうちはだいじょうぶ。濁った水も、飲んでみなきゃ、ね。ううう、なんか話が抽象的になってしまいました。中島らもについて語ったときにも触れましたけれども、境界上で反復横飛びできる表現者っていいですね。そして桑田佳祐もまた、そのうちのひとりです。


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 前回の日記のなかでの問いかけ、「みなさんが、HP上で日記を書いている理由は、なんですか?」に対する反応が、いろんなカタチで返ってきたのが非常にうれしかったです。人それぞれの思いが「日記」には込められているんだね、と知りました。僕のこの、よくわかんない文章も、とりあえず「日記」という体裁でこれからもやっていきましょう。

 その僕の文章について「一歩退いた目線」「客観性がある」との感想を頂いたのですが、「そうかなあ?」と思うのと同時に「そうかもね」と思いました。たしかに僕は日常、常に、「自分を見る視線」というものを意識しながら行動しているきらいがあります。その意識は明らかに周囲の人よりも強いような。それが文章にも表れてるんですね。いいとこでもあり、悪いとこでもあるんでしょう。何かに、身も心もどっぷりと入りこむことができない、というのはちょっとさみしかったりするんですけど。日ごろのこんな意識と関係あるのかどうかわかりませんが、僕の見る夢ってその多くが、「何かをしている自分を斜め後ろから見下ろす視点」で映像が展開していきます。友達に話すと、驚かれたりしたんですが。ううむ。

 たぶんこの意識って、「自分を知る」ことについての興味から生まれてきてるんでしょう。ここでの「知る」は「識る」と表記したほうがいいな。自分が他者からどのように見られるかを認識した上で、他者と接していくために。あ、でもね、「識ろう」とはしていますけど、「理解し」ちゃいませんし、できないですね、自分についてなんか。「識る」ことと「見極める」ことの違いかな。「自分を見極め」てしまったら、それこそもう老けこんじゃいますからね。これから自分がどういう方向に行くのか、っていうのを自分で楽しみにしていたいものね。


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