さて冒頭で紹介した、氏の講演内容の抜粋。これは近年生物学の世界で定着してきた説です。人間をはじめとした動物が子を産み、育てるのは、種の保存を意図した行為ではなく、自己の遺伝子の乗り物を作り、後世に伝えるための行為であり、結果として自己が最大の利益を得るように動物は振る舞うのだ、というもの。人間に当てはめてみれば、
働くのはお金を稼いで生きる糧を得るためであり、 勉強するのは富や名声を得て将来を保証するためであり、 子を産み育てるのは自己の遺伝子を保存するためである、
ということです(やや僕が曲解している部分もあるかも)。自分の言葉で詳しく語れるだけの知識は僕にはありませんが、これを支持する生物学的根拠は多く提出されています(リチャード・ドーキンス『利己的な遺伝子』、竹内久美子『そんなバカな!遺伝子と神について』)。
この説を耳にして、違和感をおぼえるかもしれません。人間を見る目がクール過ぎやしないか?と。人間はそんな風に生物学の視点で語れるものじゃないんじゃないの?と。そのとおりです。正解ではないですから。これは生物学、なかでも動物行動学や遺伝学という言語を用いて人間というものを語ったときに出てきた一つの解答例です。人間を語るときに、用いる言語は他にもあります。心理学や教育学、社会学、神学、宗教学、さらには文学。これらの学問を通して人間を見たときに、人間について語られる言葉はたくさんあります。そのどれもが正解だと言えるし、逆に間違っていると言えるのかもしれません。別に正解を求められているわけではないですから。正誤は問題ではなく、いかに楽しく人間を語るか、これが学問てやつの根本なのじゃないかな、と思います(実学と呼べるもの、例えば政治学、経済学、法学、工学、そして医学は、やや違った意味合いを持ってきますが)。
「実社会の役に立たない」との批判をすることもできます。ですがそういったものを超越したところで人間にアプローチすることができる、ここが学問の素晴らしさです。
私は生物学はミステリー小説と同じくらい刺激的なものであるべきだと前々から思っている。生物学はまさにミステリー小説なのであるからだ。
リチャード・ドーキンス/日高 敏隆 訳『利己的な遺伝子』
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