000922 学問。


動物は、
「種の保存」
のためではなく、
「自己の適応増大」
のために行動する。

日高 敏隆氏の講演(2000/09/22)より

 動物学会に、行ってきました(めずらしく日記らしく書き出してみる)。毎度言っておりますが、学会、響きがいいですね。もう一度言ってみましょう。学会。うむ、いい感じです。さらにこの学会(まだ言うか)、会場が東京大学でした。東大で、学会。組み合わせて用いるとさらに威圧感が増します。「東大に行ってくるの。学会なの」と言うと、50%ほどかしこさアップのような錯覚に陥ります。その実僕は、先輩の発表のお手伝いのためについていくだけなのですが。

 その会場で、日高敏隆氏による講演がありました。日高氏といえば、動物行動学の権威で、自身の研究業績と共に、著書・訳書において生物学を大衆に紹介する、という点で多大な功労をあげた方です。知ったかぶりをしていますが僕もきちんと認識したのはほんの1年前、とある人に聞いたときが初めてでした。生物学の学生だったら名前くらい知っとけよ、というくらいの存在だったらしいです。僕は、知りませんでした。モグリでした。ごめんなさい。許してください。

 えっと(汗)、以来氏の著書や、その弟子の竹内久美子氏の著書を数冊読んできたのですが(フォロー)、これが面白い。動物行動学、遺伝学、形態学、免疫学などなど、生物学全般を身近な例に照らして読み解くその内容は、専門の知識の有無に関わらず興味深く楽しいものでした。その日高氏の講演。前々から心待ちにしていた、と言いたいところなのですが、直前まで知らなかったのです。このへん、学会に対する意識の低さを露呈。たまたま目を通した要項にその名を発見し、「なぬっ!?聞きに行かなきゃ聞きに行かなきゃ」と先輩を急かして会場に着いたのは前の演者の講演終了10分前。「おお、間に合ったね。よかよか」と、空いた席を見つけて腰をおろしました。しばしの後に巡ってきた日高氏の出番。「どこにおるのじゃ?」とせわしなく周囲を見渡す僕。名が呼ばれてすっく、と立ち上がったのは、・・・・・目の前に座っていた人物でした(驚愕)。ビビるさ、そらあ。写真見たことなかったから、ぜんぜん気づかんかったよ。しょっぱなに少しばかり気圧された中で、講演開始。

 ううっむ、素晴らしかった。あれだけ集中して人の話を聞けたことって、久しぶりでした。内容もさることながら、感動したのはその話術と、構成です。なかなかに高度なことを語っていながら、すんなりと頭に入ってくる感覚。富んだ機知と易しい言い回しによるものです。9月14日の日記に書きましたが、氏こそまさに、難しいことを簡単な言葉で語れる人物であったのですね。学者というのは、難しいことを難しい言葉で語る人々です。無論それが求められる世界ですから。ですがこれではその世界の外、大衆に知は広がりません。広く大衆に「どうです、おもしろいでしょ?」と自身の成果を提示することができ、かつテレビをはじめとしたメディアに脚色されることを拒絶できる、こういう学者は稀なのかもしれません。


001/002


 さて冒頭で紹介した、氏の講演内容の抜粋。これは近年生物学の世界で定着してきた説です。人間をはじめとした動物が子を産み、育てるのは、種の保存を意図した行為ではなく、自己の遺伝子の乗り物を作り、後世に伝えるための行為であり、結果として自己が最大の利益を得るように動物は振る舞うのだ、というもの。人間に当てはめてみれば、

働くのはお金を稼いで生きる糧を得るためであり、
勉強するのは富や名声を得て将来を保証するためであり、
子を産み育てるのは自己の遺伝子を保存するためである、

ということです(やや僕が曲解している部分もあるかも)。自分の言葉で詳しく語れるだけの知識は僕にはありませんが、これを支持する生物学的根拠は多く提出されています(リチャード・ドーキンス『利己的な遺伝子』、竹内久美子『そんなバカな!遺伝子と神について』)

 この説を耳にして、違和感をおぼえるかもしれません。人間を見る目がクール過ぎやしないか?と。人間はそんな風に生物学の視点で語れるものじゃないんじゃないの?と。そのとおりです。正解ではないですから。これは生物学、なかでも動物行動学や遺伝学という言語を用いて人間というものを語ったときに出てきた一つの解答例です。人間を語るときに、用いる言語は他にもあります。心理学や教育学、社会学、神学、宗教学、さらには文学。これらの学問を通して人間を見たときに、人間について語られる言葉はたくさんあります。そのどれもが正解だと言えるし、逆に間違っていると言えるのかもしれません。別に正解を求められているわけではないですから。正誤は問題ではなく、いかに楽しく人間を語るか、これが学問てやつの根本なのじゃないかな、と思います(実学と呼べるもの、例えば政治学、経済学、法学、工学、そして医学は、やや違った意味合いを持ってきますが)

 「実社会の役に立たない」との批判をすることもできます。ですがそういったものを超越したところで人間にアプローチすることができる、ここが学問の素晴らしさです。

 私は生物学はミステリー小説と同じくらい刺激的なものであるべきだと前々から思っている。生物学はまさにミステリー小説なのであるからだ。

リチャード・ドーキンス/日高 敏隆 訳『利己的な遺伝子』


002/002

戻る