たしかに。経験したものじゃないとわからない感情というものはあります。これはしようがない。ですが、そこであきらめることなく、相手方の気持ちに歩み寄ろうとした段階で、語る言葉を紡ごうと努力した段階で、経験は補完されるんではないかと思います。いや、そうであって欲しい、という願望。そしてそうありたいな、と。残念ながらこの能力には有無、大小があるのは事実ですが。経験の無さを恥じる必要は、ないですよね。
ですから僕は、「5年前」に大なる被害を被った人たちの気持ちを汲み取ろうと努めますし、自分の言葉で語ります。これは一つの象徴。「もどかしさ」に到達するようでなければ、心に接近できません。
経験に拠ってしかものを語ることができないんだったら、小説家なんて存在しませんね。埋めるだけの想像・創造ができることが、素晴らしいんですね。「もどかしさ」を出発点に言葉を紡ぐ行為が、文章を書くということでしょうか。
This essay is inspired by pooh,takka & masapan.
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