001019 恐怖感。


大切だったから、臆病になりました。
臆病になったから、だまっていました。
だまっていたら、届きませんでした。
届けたい言葉は、たくさんありました。
たくさんありすぎて、選ぶのに時間がかかりました。
時間がかかりすぎて、愛想つかされました。
それに気づくのが、遅すぎました。

 実際僕と面識ある人はご存知でしょうが(来てくれている人ほぼ全員ですが)、口数が多い方ではありません。ていうか少ないです。ていうか、ないです(断言してみる)。頭の回転がのんびりのほほんなので、会話についていけやしません。ディスカッションの場なんてお手上げです。ううむ、この人、頭の回転速いなすごいな、などと思っているうちに時間は過ぎていきます。人の考えをすぐ飲みこむわりに、それに対するリアクションが遅く、頭の中でまとまった、と思ったときにはもう議題は別のものになっているという。そもそも「世の中にはいろいろな考えの人間がいる」という真実を常に意識しているから、ディスカッションに向かないのですな(森博嗣氏が言っておられましたが)。ダイレクトに意見を交換し合うことで得られるものが大であることはわかっているんですけれども、いやあ、難しいですな、はっはっは(ひらきなおっている)


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 僕は、言葉を産み出すことが得意ではありません。「こうして文章書いてるじゃない」と言われるかもしれません。でも、毎度ひいひい言ってるんです。これだけの言葉を出力するのに、1週間くらいかかってしまうわけですからね。


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 恐怖感、というのがあります。どこまで踏み込んだ言葉を発していいのか、という。こんなこと言って傷つきゃしないか。こんなこと言って不快にさせやしないか。こんなこと言って嫌われやしないか。ある程度相手の心に迫る言葉でなければ、それは残りません。でも踏み込んではいけない領域、というのもあります。この間を測ることができません。だから、逃げています。言葉を選び選び、丸い、やわらかい言葉を発することに執心します。HP上に残す言葉となると対象が「不特定」に広がるわけですから、よりいっそう、「選ぶ」ことになります。気を遣いすぎなのかもしれません。もっと自由に言葉を発したほうが、心をさらしたほうが、相手の心に迫れるのかもしれません。相手も近付いてくれるのかもしれません。いや、事実そうでしょう。だけれど僕は自分のスタイルを貫いていかないと、心の座りが悪いのです。それは恋人に対しても、親友に対しても、度合いは多少緩くなれども変わりません。貫く、と言うと格好いいけれども、結局のところコワイんです。印象の悪い言葉で言えば、顔色をうかがっている


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 人ひとりを一つの円、としてイメージしてみます。この円と円が交わること、これが人と付き合っていくこと、だとします。最初は一点のみで接していた円と円とが、やがて交わり、そして共有面積を広くしていく。これが、付き合いが深くなっていく、ということです。相手の中心点、核となる部分まで共有した関係になることもあるかもしれません。完全に重なった、という錯覚を覚えることもあるかもしれません。だけどもやっぱり、侵入してはいけない心の領域、というのがありますよね。その場所、あるいは円の外縁からの距離は人によって違います。普通、人は備わった距離感によって瞬時に適度な間をとり、牽制し合いながら他人と付き合っていくのだと思います。ちょいと臆病な僕は、間を取り過ぎているような気がします。重なる面積が小さいな、こんなふうに思います。そして相手も僕に対してそんな印象を抱いているんじゃないかな、と、ふと考えてしまいます。距離を測るのにやたらと時間がかかるから、じれったさを与えているかもね、と。


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 前の2段はおんなじことを言葉を変えて述べてみました。この心構えは、突き詰めれば自分のエゴが出発点です。傷つきたくないから、傷つけない。不快になりたくないから、不快にさせない。嫌われたくないから、嫌いにならない。出発点としては、これは正しい。けど、すこし気にし過ぎですかね。

だから、時間が、欲しいのです。


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