001023 死。


「生きていることと、死んでいることとは、もしかしたら同じことかもしれへん。そんな大きな不思議なものをモーツァルトの優しい音楽が表現してるような気がしましたの」

宮本 輝 『錦繍』

 死をイメージします。普段死をそばにあるものとして考えないから。日常の生の中にのんびりと漂っているから。たまには立ち止まってみます。自分が死に瀕したことはないけれども。身近な体験に照らして、「死ぬということ」を考えます。昔からときどき、「死にたい」と思うことがあります。幸せなときや苦しいときではなく、なんでもないときに、ふと。具体的にではなく、漠然と。「めんどくさいから、消えたい」と同義の、浅いレベルのイメージ。でもすぐに翻します。どんどんと深く突き詰めていって、「死ぬということ」がどういうことかをイメージしていくと、「死んでなんかいられないじゃん」といったところに戻ります。まだなにも成していない。だれにも追いついていない。死を前倒しするのは、愚考。望まずして生を奪われた人のぶんまで生きること。義務。ここに終着して、落ちつきます。思考の遊び、ですね。やっかいなヤツだ(自分のことだ)

「ああ、私はあの世がないと申し上げている訳ではありません。死後の世界は生きている者にしかないと云っているのです」

京極 夏彦 『狂骨の夢』

 生きているから、死について考えることができます。生きているということは,死んだことがないということ(あたりまえ)。だから想像するしか術はありません。想像して、どういうことかを知ります。生が限りあるものだということに気づきます。死を哀しみ、悼み、禁忌することができます。そして発展します。じゃあ生あるうちにするべきことは何か。生の価値。リミットがあるから、生が光る。死を身近に考えるだけの想像力がないと、生を粗末にしてしまいます。死がどこまでも遠いものだとしか考えられないから、生を浪費してしまいます。わかりきったこと。わかりきっているから、忘れてしまいそうになること。忘れちゃいけないこと。日常こんなことを考えながらやってったら疲れてしまいます。でもときどきは考えないと、追い詰めないと、どこまでもだらだらと生きてしまいそうな気がします。弱いからね。

死は生の対極に存在するのではなく、その一部として存在する。

村上 春樹 『ノルウェイの森』

 まとめる意図なしに生と死に関して思う言葉を吐き出したらわけがわからなくなったことは内緒。


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