おそらくは。高校時代までだって私の周りには凄い人がたくさんいたのでしょう。当時の私はその凄さを見ることができなかった。目をつぶっていた。今の私はそれを「もったいない」と認識できます。これは後悔ではありません。過去の私と今の私、どちらが好きかと問われれば躊躇なく今、と答えます。しかしその今は過去の私あって存在するものですから。正しい道を歩んできたとは思わない。いや、人生に間違った道なんてきっとない。けれども不遜が改善され人の凄さを認めることができるようになった今の私は、ちょっとだけいい方向に流れたな、と思います。
人を認めることができない人間が、どうして人に認められるでしょう。
もちろん、事実を基にしたフィクションです。その度合いはいつにも増して高いです。誇張もあります。虚構もあります。その線引きは曖昧ですけれどもね。
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