010407 多謝。


 森博嗣は言いました。

 「自己満足」「自己主張」という言葉について。森は、「自己満足」は良いもの。「自己主張」は悪いもの。どちらかといえば、そういったニュアンスに受け取るし、そう使っているのですが、どうも一般には、これが逆のようです。「自己満足ではいけない」「もっとちゃんと自己主張しよう」という言葉が聞かれるためかも。しかし、そういった呼びかけがあること自体、実は、「自己満足だけではいけないのではないか」「少しは自己主張した方が良いのではないか」という反動の現れだったとも思います。本当のところ、「自己主張」なんかしないで、「自己満足」ができたら、こんな幸せはありませんよね(笑)。少なくとも、狭い仲間うちで主張して満足するよりは、自分一人の中で完結している方がシンプルですし。

Mori's Floating Factory ミステリィ制作部 近況報告(2001/03/22)」

 原田宗典は言いました。

 普通、自己満足という言葉は否定的な意味あいで使われることが多いけど、決して悪いことではない。むしろいいことであると、ぼくは捉えている。何らかの意味で自己満足がないと、表現というものは成立しない。いや、もっと広い意味・・・・・・例えば生きる上でも、自己満足はどうしても必要である。自分で納得し、これでいいのだあッと思えないと、命は輝きを失う。他人が何と言おうが、まずは自己満足すること。それがなければ、人は決して前へ進むことができない。

『楽天のススメ』

 イチローは言いました。

 自分が楽しまなくちゃ、観ている人を楽しませられませんから。

 高橋尚子は言いました。

 楽しい42.195キロでした。


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 10000ヒットを達成してしまいました(この書き出し、もろやんの<15000HITに寄せて>に倣いました)。不定期更新なこのHPに足を運んでくださったみなさん、ありがとうございます。飽きっぽいしめんどくさがりで、ひとつのことを長らく続けてきた覚えがない僕が、こうして1年以上も継続してこられているのは、10000を超えた述べ来場者のみなさんの目があってのことです。ありがとうございます。

 先日友人と、このHPのコンセプトってなんだろう? という話になりました。「コンセプトが見えない」と言われました。[concept;概念]。そらそうでしょうなあ、考えたことなかった。そもそも「プロ野球ファンサイトを作ろう」と思って場所を獲得したのにいつのまにか日記サイトに終着したという事実が、もともと目指すかたちを持っていなかったということを物語っています。

 では、なんのためにHPを作っているのか? という疑問が生まれます(000217)。そしてふと立ち止まったときに、続けていること自体への疑念も生まれます。これは僕のみならず、個人サイト運営者がしばしば抱える悩みのようで、「おもしろいのかおもしろくないのかわからなくなってきた」とかいう話をよく聞きますし、「疲れた」 と閉鎖、あるいは休止してしまったサイトもいくつかあります。僕はサイト運営に関してそこまで深く思い詰めたことはありませんが、サークルHP運営歴含めて2年近くやってきた今、続けられるのは結局のところ「自分が楽しめているかどうか」にかかっている、と思うようになりました。


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 サイト運営に限らず、「ものを創り続ける」ことは予想を上回って疲弊することです。じゃあなんで続けられるのか? というと見返りとして「楽しさ」が得られるからであって、それが得られなくなったら僕は即座にやめるでしょうね。義務的に更新しているだけの状態に陥ってしまい、楽しくなくなり、それが内容にも反映されて魅力が減じてしまうのなら、こんな悲しいことはありません(もちろん、「義務を課す」ことが推進力となって生まれ得るものもあります)。「なんのため?」「自分のため」 「どうして?」 「楽しいから」。「楽しさの追求」これがコンセプト。

 アスリートがオリンピックなり世界選手権なり、大舞台に挑む前に「楽しんできます」という言葉を残したとき、これに対し批判的な見解が示されることがあります。たしかに、プロ(あるいはこれに相当する立場の選手)が単に自己の満足のために試合に臨むのだとしたら、それは批判されるべきですし、そんな選手が発する「楽しい」という語には薄っぺらな印象が伴います。しかし一流のアスリートが、お金だとか国の期待だとかいう些事を超越して結果を残したときに究極に到達する地点で得る「楽しい」という感覚は、日常的な語彙の範疇における「楽しさ」とは別物なのでしょう。イチローや高橋尚子が発する「楽しい」という言葉に清々しい印象を受けるのは、このためかもしれません。そんな楽しさの境地に達することができたらいいですね。

 完璧に自己満足している人は、他人をも満足させる力を持っていると思う。一人よがりで終わってしまうのは、本当に自己満足できてないからだとも思う。

原田 宗典


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 「見てくれている人がいる」 という意識があるから、ここまでやってこられました。視線があるから、できるだけいいものを作り出そうと工夫しました。これは独り語りでは得られない効用です。区切りとして感謝の気持ちをどう表そうかと思ったのですが、僕にはじっくりとこのHPを継続していくことしかできません。わがままな僕は、宣伝活動に励むことなく、自分が居心地のいい空間を確保していくことにこれからも執心するでしょう。僕自身がいちばん楽しんでいるこのHPを訪れてくれたみなさんが、少しでも楽しんでいただけたら幸いです。これからもよろしくお願いします。


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