と、母が説明をしているのを横目に見ていた父が口を挟みました。
「最初はな、『遼一』って名付けるつもりだったんだぞ」
父は司馬遼太郎の著作の愛読者でしたから、長男である僕に、一字を拝借して名付けたかったのです。それが実現しなかった理由は、当時の法制度にあります。「遼」という字は僕が生まれた当時、「名前として用いることのできない漢字」だったのです。そこで言ってみれば「第2候補」であったところの現在の名に落ち着いたわけです。僕は「遼一」になり損なった、ということです。
聞いた当時は「ふうん」で片付けたことだったでしょうが、後々になって「遼一」になり損なった自分というものを考えたときに、不思議な感覚があります。もしも「遼一」であったならば。これまで生きてきた全ての状況において、僕は「遼一」と名乗り、また、こう呼ばれるのです。テストの答案用紙に「遼一」と記す自分。親に、友達に、恋人に、「遼一」と呼ばれる自分。些細なことのようで、まったく想像できません。想像できないこと自体が、今の僕が今の名前の人物以外の何者でもないことを証明しています。
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