今、自分で打ち出した文字が、誰の目にも触れられる可能性がある場所に置かれている。誰でも、自分の言葉を活字にし、公に曝すことができる。これが当たり前になっていて、格別な感慨も沸かなくなっている。でもあらためて考えてみたら、すごいことなのである。僕はときどきこうして「すごい」と思い、なんだかよくわからないけどなにものかに感謝する。それは幼い日の「わくわく」や「どきどき」と同質のもので、この思いに浸る感覚は悪くない。周りには僕と同世代で既に本を出版した者もいれば雑誌に連載を持つ者もいて、それと比べたら僕の喜びなんてささやかなものなのかもしれない。だけどやっぱり喜びは素直に受け入れながら感じながら、新しい活字を残していこう。ガリ版印刷のころも今も、活字を産み出す喜びに違いはないはずだから。
そういった、印刷に関する我が思い出をたどれば、現在、目の前のこの機械、このプリントは、まぎれもなく未来世界のものである。いやはや、進歩というものは、凄まじくも素晴らしく、見事でもあり、また人を置いてけぼりにするものである。
北村 薫 『スキップ』
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