010603 活字。


 小学一年生のときの担任だった先生は日誌を発行していた。授業風景、日々の出来事、連絡事項を掲載したプリントで、保護者向けに書かれたものだ。今ならワープロで打ち出しプリントアウトして、人数分コピーしてはい完成、といったところだろうが、当時はもちろんそんな技術は一般に普及していなかったので、ガリ版印刷だった。蝋原紙に鉄筆でカリカリと文字を連ね、これを原本として器械にセットし、黒インクの染みたローラーをコロコロと転がしてワラ半紙に一枚一枚印刷していくのである。この作業をその日の日直が手伝うこととなる。教室の床に重ならないように並べていく。インクが乾いたらまとめて先生に渡す。ついさっき先生が書いていた文字が、インクの匂いを伴って大量に増殖していくのを見るのが楽しかった。しかし今にして思えば大変な苦労を伴う作業である。よくも毎日やっていたものだ。


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 小学五年生のときに、我が家にワープロがやってきた。父が仕事で用いるために購入したものだ。ワープロの一般への普及が始まったか始まらないかのころで、まだまだ高価で物珍しいものであった。父とすれば思い切った買い物だったことだろう。だがそんな高価な機械も子供にすれば玩具である。勝手に立ち上げて「ドラえもん」だの「キン肉マン」だののキャラクタ名をただ列記し、それが画面上に現れるだけで大喜びだった。キーボードもこのときが初体験で、「かな入力」で一文字一文字指先を確認しながら遅々として文字を打ち出していった。さらにこの文字を印刷することもできるのである。自分で打った文字が紙に印字されるのだ。これは嬉しい。しかしインクリボンで普通紙に印刷するのは不経済だと許してくれず、感熱紙に印刷するしかなかった。時間が経つと文字はかすれ、紙は黄ばむ。それが悲しかった。


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 中学三年生のときに、文化祭においてクラスで演じる劇の脚本を任された。このときには父は新しいワープロを会社から与えられていて、初代のワープロは僕が譲り受けていたので、これが大活躍だった。台詞を書き、ト書きを書き、レイアウトを整え、ページ数を付した。表紙も作った。この上もなく楽しい作業だったが、凝り過ぎて徹夜の作業となった。プリントアウトして学校に持っていき、先生に見せてクラスのみんなに披瀝して好評を博した。僕はクールぶってそ知らぬ顔をしていたが、内心喜悦満面の笑みであった。脚本は学校のコピー機でコピーされてホチキスで簡易製本され、配られた。自分で書き、印刷した文字を、みんなに読んでもらえるのが快感だった。僕は自分のワープロでプリントアウトした原本を自分で製本し、自分専用の脚本を作った。それは今でも実家の机の引き出しに納まっている。


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 大学三年生の後期に、初めてレポートをパソコンで作成した。それまでは手書きでグラフも表も作成していたのだが、パソコン派に転向してワープロソフトや表計算ソフトを用いてレポートを完成させたのである。慣れないために手書きよりも余計に時間がかかったかもしれないが、完成したレポートには明朝体の活字が並び、内容が貧相でも見栄えはよかった。僕がレポート作成の手段を手書きからパソコンに移行したのはクラスの中でも早い方で、周りにはまだ手書きでレポート作成している者が多かった。だが今では大学一年生が当たり前のようにパソコンでレポートを作成する。手書きの方がマイノリティだ。パソコンおよびその周辺知識の普及の速度にはただただ目を見張るばかりである。この感覚、以前にも覚えたことがあるぞと思ったら、それは携帯電話であった。予備校に通っていたとき、隣に座っていた名も知らぬ同輩がおもむろに携帯電話を取り出し、話し始めた。驚愕した。実際に使っている人を見たのが初めてだったから。僕はポケットベルも持っていなかったし、実際に自分で携帯電話を持つようになったのはそれから二年後、大学二年生になってからである。ところが今では小学生でも携帯電話を持っている。妹は中学三年生のときに買い与えられ、それは周りでは遅い方だったらしい。技術の進歩と普及は人間の歩みを追い越して、常識に断層が生じて世代の隔絶を生む。そういうものか。


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 今、自分で打ち出した文字が、誰の目にも触れられる可能性がある場所に置かれている。誰でも、自分の言葉を活字にし、公に曝すことができる。これが当たり前になっていて、格別な感慨も沸かなくなっている。でもあらためて考えてみたら、すごいことなのである。僕はときどきこうして「すごい」と思い、なんだかよくわからないけどなにものかに感謝する。それは幼い日の「わくわく」や「どきどき」と同質のもので、この思いに浸る感覚は悪くない。周りには僕と同世代で既に本を出版した者もいれば雑誌に連載を持つ者もいて、それと比べたら僕の喜びなんてささやかなものなのかもしれない。だけどやっぱり喜びは素直に受け入れながら感じながら、新しい活字を残していこう。ガリ版印刷のころも今も、活字を産み出す喜びに違いはないはずだから。

 そういった、印刷に関する我が思い出をたどれば、現在、目の前のこの機械、このプリントは、まぎれもなく未来世界のものである。いやはや、進歩というものは、凄まじくも素晴らしく、見事でもあり、また人を置いてけぼりにするものである。

北村 薫 『スキップ』


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