話を人間に戻します。ものごとにあたるとき、ただがんばること。人に接するとき、ただ潔癖であること。これらは実は簡単なことで。デザインが魅力を獲得するために必要な要素であった“崩し”として機能するのが人間においては“笑い”ということになるのではないでしょうか。もっと大きく言えば、“笑い”を介在させられるだけの、“余裕”。
ただ真面目にあるだけでなく、ただ主張するだけでなく。がんばる自分、潔癖な自分を笑い飛ばし突っ込みを入れるだけの“余裕”があったら――強いですね。そして実際、いま表現者として一流と呼べる椅子に座っている人々は、“笑い”を巧みにコントロールできている、と思います。易しいことではないですが。
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エレガントというものは懸命に努力して最高に良い状態を目指してもそこには決して生まれてこない。むしろ自分の美点や長所を知りぬいた上でそれを抑制するか、あるいはちょっぴり破たんを加えてやるくらいの姿勢から生まれてくるのである。
原研哉 『マカロニの穴のなぞ』
生真面目な顔をして、 「とにかく一生懸命やってますッ!」 と頑張るばかりの人の多くは、確かに二流どまりであるように思える。一生懸命やるのは当たり前のことで、その上に“笑い”が加味されないと、一流への階段は昇れない。
原田宗典 『楽天のススメ』
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