010910 完璧。


 『天才柳沢教授の生活』(山下和美)という漫画がありまして。

 柳沢教授は、常に正しいお人。道路は右端を歩き、横断歩道以外で道を渡りません。

 その名に“天才”と冠されているからには、彼は“完璧”であることを要求されます。事実彼は“天才”であり、(自身の信念において)“完璧”に振る舞います。そんな彼と、彼を取り巻く“普通”の人々との間の温度差や、軋轢や、ドタバタが、笑いを生み、魅力の素となっています。とは言えこれは作品の魅力の一側面でしかないのですが。ぜひともその世界観を味わっていただきたいところです。モーニングにて不定期連載中。単行本講談社モーニングKCより17巻まで、文庫本講談社漫画文庫より4巻まで。以下続刊(宣伝)。

 柳沢教授。

 しかしながら彼は、漫画の中だからこそ愛すべきキャラクタになっている、という見方もできます。実際に彼のように圧倒的に正しい人間が隣にいたとしたら――どうでしょう。息苦しいような気がします。漫画の中でも、「完璧でありすぎること自体が人間として不完全」という描かれ方をしていますが。完璧はときに人に圧迫を与えます。正論はただそれだけを声高に発しても魅力を帯びません。


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 デザインの話をします。

 デザインにおいて、その主たる目的である“人の目を惹くこと”を達成するために、デザイナたちは“いかに崩すか”を考えます。例えば下の三組のデザインを見てみたときに、

 どちらのデザインが目を惹くかは、瞭然です。

 「9分の1のオレンジ色」
 「一片が欠けた三角形」
 「不完全な"E"」

 これらが心に印象として刻まれます。異端であったり、欠けていたり、不完全だったりすることが、完璧であることよりも効果として上なのです。無論“完璧の美”というのもあるのですが、それを想定した上で、あえて崩すことをよしとするわけです。


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 話を人間に戻します。ものごとにあたるとき、ただがんばること。人に接するとき、ただ潔癖であること。これらは実は簡単なことで。デザインが魅力を獲得するために必要な要素であった“崩し”として機能するのが人間においては“笑い”ということになるのではないでしょうか。もっと大きく言えば、“笑い”を介在させられるだけの、“余裕”。

 ただ真面目にあるだけでなく、ただ主張するだけでなく。がんばる自分、潔癖な自分を笑い飛ばし突っ込みを入れるだけの“余裕”があったら――強いですね。そして実際、いま表現者として一流と呼べる椅子に座っている人々は、“笑い”を巧みにコントロールできている、と思います。易しいことではないですが。

 エレガントというものは懸命に努力して最高に良い状態を目指してもそこには決して生まれてこない。むしろ自分の美点や長所を知りぬいた上でそれを抑制するか、あるいはちょっぴり破たんを加えてやるくらいの姿勢から生まれてくるのである。

原研哉 『マカロニの穴のなぞ』

 生真面目な顔をして、
「とにかく一生懸命やってますッ!」
 と頑張るばかりの人の多くは、確かに二流どまりであるように思える。一生懸命やるのは当たり前のことで、その上に“笑い”が加味されないと、一流への階段は昇れない。

原田宗典 『楽天のススメ』


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