020604 コピー・ライティング。


想像力と数百円
糸井重里 (新潮文庫)


「仲畑貴志と糸井重里――
 社会を動かしたコピーライターは、この二人だけだよね」


 と、原田宗典は言いました。“コピーライター”という単語がメディアに乗り、その職業人の露出が目立つようになってきたのは十数年前をピークとして今にいたりますが、“コピーを産み出す人”はそれこそ言葉の誕生時から存在していました。言葉の黎明期、産まれたコピーはある集団で、ある階級で、人の間に広がり口の端に上ったのしょうがそれらはまだ社会に対して影響を及ぼし得るものではなかったことと思います。やがて活字が生まれ新聞が生まれテレビが生まれインターネットが生まれ、媒体が進化するのに同調してコピーの威力は増していきました。商品に良いコピーをつけることはビジネスの成功をもたらし、コピーを産み出すことそのものがビジネスとなる時代が到来し、コピーライターという職業が確立しました。

 そして現在。“コピーライター”という単語が一時の独り歩き状態から脱却し、単語としての適正価格に落ち着いた感のあるそんな時代に、「コピーライターを挙げよ」言われて多くの人が思いつくであろう名前は仲畑貴志と糸井重里――ということになるでしょう。それはすなわちこの両名が、社会に影響を与えた、社会を動かした、ことを意味します。

青空は史上最大の読書灯である
糸井重里 (新潮文庫)


 僕が中学生の頃。「新潮文庫の百冊」キャンペーンのコピーが、これでした。夏休み。炎天下。海。太陽。そのもとでの、読書。インドアな行為である「読書」に陽性なくさびを打ち込んだこのコピーにまんまと乗せられて、僕は本を手にとりました。初めて自分のこづかいで買い、読み、以来この行為は習慣化しました。元来本を読む習性のなかった僕が一大方向転換をすることとなったのです。コピーがこの言葉でなかったら――こんな想像を働かせることは馬鹿げているのですが――僕と本との出会いは生まれなかったかもしれません。こうして、糸井重里は、僕を、動かしたのでした。「言葉に動かされた感覚」というのは決して悪くないものです。

 時を経て――僕は言葉と格闘し続ける職業の端っこを齧り始めました。働き始めて最初に与えられた課題が、

「新しく販売する弁当の包み紙に載せるコピーを考えてこい」

 というものでした。ウンウンと一晩唸った翌朝、僕は10個のコピーを提出しました。が、それらはすべて跳ね返されました。後日完成した包み紙に載ったコピーは、なるほど僕が創った10個の小兵を蹴散らすもので、自分のへっぽこコピーはとてつもなく恥ずかしいもののように思われました。ビジネスに乗るレベルのものでは到底ない、ということが容赦なく示されたのです。それは悔しいことでしたがだけど同時に、捨てられる運命を辿ったコピーたちがこの上もなくかわいい連中のようにも思えたのです。なにせ僕が初めて仕事を意識して――すなわち読まれるべき対象を意識して――産み出した連中だったからです。これから先、この世界で僕がいかように振舞えるかは全然見えてきませんし不安だらけなのですが、いつでも立ち返るべきは初産であるところの彼ら10個のコピーたちである――今、このように思います。



 「社会を動かした」と冒頭で言いましたが、元来言葉は弱いものです。社会どころか、人一人に影響を与えるのにだって大きな困難が伴います。人の心に届かずに、それどころか耳にも届かずに、消えていく言葉がほとんどで、社会を動かすなんてだいそれたことはとてもできそうもないように思われます。だけど言葉が職人に出会って、削られて磨かれて鋭さを得て、人の心に刺さってそれはほのかな作為を感じさせるけれども決して嫌味ではなく、閃光を発しながらもその残像がいつまでも心に残るようになる。そんな幸福な出会いの産物が、コピーです。

「言葉」が「コピー」になろうとするとき、
 言葉は最大のポテンシャルを引き出され、

「言葉」が「コピー」になったとき、
 言葉は最高のパフォーマンスを示す。

なにも社会を動かすことはない。たったひとりの人を動かすコピーを。

次は「言葉で動かす感覚」を。



あなたが だれかになる必要はない。
あなたは あなたのコピーを 書いてください。

仲畑貴志 『新約 コピーバイブル』

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