030705 二十六歳の死。

十九歳の彼に、「よくやっている」と言うのはほめ言葉ですが、同じことをやっていても二十六歳に対する「よくやっている」は意味がまったく違うのです。
きたやまおさむ 「『十代の教祖』の死」
(『みんなの精神科』所収)

 尾崎豊という歌手は、二十六歳で死にました。

 死の前後、僕が中学生の頃、周りでは彼の音楽が盛んに流れていました。

 彼の音楽がとくに好きでも嫌いでもなかった僕は、聴き、歌い、惚れ込んでいる友人たちの姿を、「ふーむ」といったスタンスで眺めていました。音はたしかにカッコいいけど、歌詞には別段共感するところはないなあ、といった感想を抱いていました。

 十代に支持されていること、「十代の教祖」と呼ばれていることは、理解できました。思いを代弁してくれているんだろうなあ、とも思いました。ですが自分の心には、響きませんでした。同じ十代のど真ん中にありながら、少しの距離を置いて接していたんですね。

 当時の僕自身が、冷めたヤツだったというのも一因としてありますが、それ以前にどうしても、「子供っぽいなあ」という印象をぬぐえずにいたんです。子供の立場から大人を糾弾する彼の詩が、背伸びしたい時期にあった僕の心をくすぐることは、ありませんでした。これが、当時の認識でした。

私たちが「あの人はいつまでも少年の心を持っている」というのと、尾崎の資質とは本質的に異なっています。一般の人が「少年の心を持った人」と形容された場合、それはその人のある一面にしかすぎません。(中略)それに対して尾崎はその人生のすべてで成熟を拒否し、子供であることを渇望し続けました。これでは周囲との折り合いがつくはずもなく、軋轢を生み、尾崎自身も苦しみ、破滅の道へと進むしかありません。
磯部潮 『人格障害かもしれない』

 今は、少し違った思いを、尾崎豊に対して抱いています。高校3年生にして、アルバム『十七歳の地図』でデビューしたということ。彼の音楽が、確実に多くの人々の心を動かしたということ。このアルバムに収録されている、「I LOVE YOU」「15の夜」「十七歳の地図」「OH MY LITTLE GIRL」「僕が僕であるために」といった歌の数々が、この僕でも知り得るところのものであること。これらの事実に、素直に「すごい」と思えます。

 ただこの感想には、注釈がつきます。すべては、「高校3年生にして」これらを生んだからこその、「すごさ」であるのだと。この背景を除去して、「すごさ」を語ることはできないのだと。

 冒頭の引用に戻ります。十八、九歳で、「十七歳の地図」を歌う尾崎豊は、許容されます。ですが同じ歌を、二十六歳で歌うこと。そこには幾許かの違和感が、白々しさが、漂うように思われます。それは、社会が要請する、その年齢相応の振る舞いや考え方とリンクしてきます。二十六歳の成人が「盗んだバイクで走り出」してはいけないし(「15の夜」)、「夜の校舎窓ガラス壊してまわ」るわけにはいきません(「卒業」)

 二十六歳には二十六歳なりの、作品が求められてきます。二十六歳からは二十六歳なりの、作品が生み出されます。しかし尾崎豊の場合、周囲は彼にデビュー当時の音楽を期待し、彼の心は十八歳当時のままであることを望みました。しかし社会は、「本当に少年の心を持った人」が住みやすいようにはできていません。

 社会が求めるものと、ファンが求めるものと、自分の心が求めるものとのギャップが、後年の彼の(一般的な価値観における)破綻をもたらしたのかもしれません。


 以前、

 「若いから」という理由で許される年齢なんだから、何でも思い切ってやりなさい。

 と、言われたことがありました。この言は、一面では真です。何かをした結果に、「若いから」という評価が下されること、「若いから」という許容がなされること、これらは仕方がありません。しかし、「若いから○○をする」という風に、その出発点に「若いから」ということが免罪符的に置かれることは、少し違うように思われます。行為の主体の意識としては、「若いから」云々関係なく、とにかくやってみることが大切なのだと、思います。

 僕は僕なりの、「二十六歳らしいこと」ができればと思います。

“三十にして立つ”ことはむつかしくても、三十までには、立つ基盤くらいは見つけて唾をつけておいてほしい。
阿刀田高 「七十にして矩をこえず――ことわざ考現学5」
(『ミステリー主義』所収)

 而立まであと4年。

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