040722 人間を書くということ。

トマス・ハリス 『羊たちの沈黙』 のレクター博士ではありませんが、ありえない存在をありえるように書いて、初めて人間が書けたというのであって、日常的な人間を書いても、それは人間を書いたことにはならない。文章の無駄遣いだと思いますけどね。
宇山日出臣(講談社文芸局)インタビュー
探偵小説研究会編著 『本格ミステリこれがベストだ!2004』 より


 仕事で、プライベートで、いろんな職業の人々の話を聞いていて思うのが、「どの人の話も、面白い」 ということだ。

 キャリア50年超の俳優も、新卒1年目のサラリーマンも、等しく面白い話を繰り出してくれる。もちろんネタの多寡や内容の濃淡はあれど、いずれも 「面白い」 という大雑把な形容詞の適用に支障はない。

 30分もインタビューすれば、数千字もの言葉がその人の口から溢れ出て、僕はテープ起こししたデータ原稿を前に、どの言葉を活かそうか、どのエピソードを削ろうか、頭を抱えることになる。僕に与えられる文字数は800。多いときでもせいぜい2,000字なので、聞いた話すべてを盛り込むことは到底不可能だ。

 加えて、商品として流通する媒体に載せるからには、それなりのモノになっていなければ話にならない。僕の感じた 「面白さ」 を損なうことなく伝えるためにはどういう構成にしたらよいのか、(フィクションとしてまとめる場合は)どんな脚色を施せば事実がより生きるのか、考えまくり、悶えまくりながら書き進めていく。

 ここで僕が念頭に置くべきは、 「自分が書いているのは 『小説』 ではない」 という前提である。それはつまり 「日常的な人間」 を書きながらも、人間を書く(ことをめざす)という行為であって、こと小説技法に関しては宇山氏が否定している方面から、文章に取り組まなくてはならないということである。これは決して 「文章の無駄遣い」 ではない(と思い込まなくちゃ、やってられない)

 そもそも字数制限が設けられた原稿の中で 「文章の無駄遣い」 なんてしてるヒマはない。言葉を削って削って、なお多くのことが伝わるように、文章を整形する。費用対効果の高い文章を探し求めるわけだ。その鍵は選ぶ単語にあったり、構成にあったり、リズムにあったりする。

 これは、 「つまらない話」 を力技で面白くするなんていう、おこがましい話ではない。最初に戻るが 「どの人の話も、面白い」 のだから、下手に加工してその面白さをぶち壊しにしないこと、僕がまず気をつけるべきはその点なのである。


「とにかく、きみはありふれた人間というには程遠い人だ、スターリング捜査官。きみが胸に抱いているのは、そういう人間になることに対する恐怖心だ」
トマス・ハリス 『羊たちの沈黙』 (訳/菊池光)


 そうした意味でも、 「ありふれた人間」 なんてのはどこにもいない、ということもまた、インタビューを重ねて感じてきたことだ。みんなどこかに 「ありふれてない部分」 を持っている。その部分を探し当てて掘り下げて持ち帰って、効果的に伝えるためにどうにかこうにか形にするべく奮闘するのが、今の僕の仕事になっている。

 ただ、一部の例外を除く大多数の人は 「いやあ、自分なんか 『ありふれた人間』 っすから」 とか 「私なんかまだまだ……」 とかいった謙遜の心意気、謙譲の美徳を備えているために、なかなか最初からは 「ありふれてない部分」 をさらけ出さない。 「僕の話なんか、つまんないですよお」 と伏し目がちにつぶやかれながら、大抵のインタビューはスタートする。

 ところが、面白い話が出る出る。

 何もせずともどんどん話を広げていってくれる人もいるし、僕の質問に答えながら、ぽつぽつと内面を吐露してくれる人もいる。パターンはその都度異なるものの、当初の懸念はいつの間にか霧散し、メモを取る手も止まるくらいに話に引き込まれてしまう(ただし、 「本当に」 引き込まれてしまわないように注意しなくちゃいけなかったりもする)

 「ありふれてない部分」 を引き出すコツも、経験によって次第につかめてきた。要は、 「他の誰でもなく、 『あなたの』 話を聞きにやってきました」 という姿勢を、聞く立場として素直に表に出すことだ。僕もそうだけど、人は 「ありふれた人間」 としての自分を積極的に(あるいは、しぶしぶ)認めながらも、 「人と違う自分」 を心のどこかで意識しながら生活している。そこを、くすぐる。

 「仕事に対する思い」 「これまでの人生」 「これからの夢」 は人それぞれ万別で、類似に思われても微妙な差異があり、表現が異なり、話すときの表情が違う。そこを聞き出すのが楽しい。最初は無口に思われた人が、終盤になって冗談まじりの失敗話で笑わせてくれたなんて経験を繰り返すと、実はみんな、話すことができる時と場所をずっと待ち焦がれてるんですよね、と思ってしまう。

 話が面白ければ面白いほど、原稿にまとめるときには苦労するのだが、そこは痛し痒し。もっといろんな人の話が聞きたいし、聞いた話を適切に伝える文章が書けるようになりたいと思う。究極には、話し手自身も自覚することのなかった心の内奥を聞き出して書き起こして驚かせて、かつ喜ばれる文章になればと思う。いったいどれだけの経験を重ねればその域に到達できるのか見当もつかないけど。そしてどんなに多くの言葉を費やし、文章を弄してあるひとりの人間について書いたつもりになっても、なお膨大な余りが残るのだろう。文章で描き切れるほど、人間は単純ではない。


僕が欲しいのは、登場人物として存在感があることなんだとわかりました。人間を描きたいというと社会的な意味に聞こえるかもしれませんが、どの人にも人生があるんだ、という風にはしたい。(中略)リアルでなくてもいいから存在感が欲しいとは意識しているかもしれませんね。
伊坂幸太郎インタビュー
探偵小説研究会編著 『本格ミステリこれがベストだ!2004』 より

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