080422 会議室と現場のあいだ

 元来、大勢のなかで自己を発揮したり、あるいは他を活かしたりといったチームプレイは苦手なのであった。学生時代は、そういう状況から逃げ回ってばかりいたような気がする。

 仕事となるとそうも言っていられなくて、チームのなかで機能することとチームを機能させること、双方が求められる。最近では特に後者の役割を担う機会が多くなってきていて、四苦八苦している。慣れぬ役回りである。

 「チームを機能させること」 は、 「管理的業務」 と言い換えてもいい。管理的業務の意味するところは業種によってさまざまだろうけど、僕の領域で言えば、ある企画の編集チーム (編集者、ライター、カメラマン、デザイナーなど) を編成し、仕事内容を伝え、納期を定め、進行を管理する、ということになる。

 1年半前まで勤めていた会社は小規模だったので、まだなんとかなった。各業種1名ずつ、せいぜい4~5名のチームだったし、気心も知れていたから、 「管理」 なんてことさら意識しなくても、納まるものは納まった。僕以外のメンツはみんな僕よりはるかにベテランで、彼らの技能と経験に救われていた部分もあった。

 新しい環境における僕の立ち位置は微妙である。入社1年ちょっとではあるものの、編集職の経験自体は決して短いほうではない。中堅どころに差し掛かっていると言っていい。入れ替わりが激しい部署なので、僕のあとに入社してきた部員もすでに数名いる。

 そういう立ち位置のもと、ある企画の管理的業務を担うことになった。編集者、ライター総勢20名に企画趣旨を説明し、取材に行ってもらい、上がってきた原稿をチェックする。スケジュール表をにらみ、遅れが生じているようならば状況を確認する。

 この業務において、僕は取材に行かないし、原稿も書かないのである。これがキツイ。

 自分でネタを探し、取材し、原稿を書くこと。これらは言わば 「現場」 の仕事で、もちろん相応のつらさがあるのだけれども、 「自分がなんとかすれば、なんとかなる」 という、わかりやすい図式がある。対して、自分は取材しない、書かない立場で現場の苦労を斟酌しながら原稿を待ち、ときには催促しなければならないというのは、 「自分だけではなんともならない、もどかしさ」 の連続である。

 チームのメンバーの個性もある。同じように企画趣旨や仕事内容を説明しても、伝わり方には差がある。もともと持っている情報量の違いを念頭に、それぞれの性格も考慮に入れた説明・指示・催促を行うことが肝要である。個々への対応を誤ると、チームの和が乱れかねない。和の乱れは、仕事の不均質につながる。 「チームの和」 だなんて言っちゃってるよ、この僕が (似合わない) 。

 

 「現場は楽だ」 とは言わない。現場は大変で、面白い。 「現場だけに注力できれば」 という思いは、今もある。

 一方で、管理的業務は編集職の要諦であることも知っている。上に挙げた現在の僕の業務は、業界の言葉で言えば 「デスク」 の役回りそのものである。

 これから先、仕事を続けるにあたって、両者のどちらに力点を置いていくのか、意識をどう配分していくのかを考えていくことが、ひとつの課題になるのだろうな、と思っている。

080320 取材される側に立つこと

 編集・記者職を5、6年続けてきて、取材件数は延べ300件を超えたけれど、取材前日もしくは直前の、胃がきゅうきゅうする緊張の時間は、毎回必ず訪れる。

 額に汗をかき、喉が渇き、産毛が逆立つ、そんな心地よくも気持よくもない時間なのだが、 「お、来た来た」 とこれを迎え、 「この時間が醍醐味ではあるな、うん」 と、マゾヒスティックな悦びを感じてもいる。

 書きたい記事のイメージをあらかじめ用意し、取材自体のストーリーもある程度は想定しておいてから、現場に臨む。初対面の人物と30分から60分くらい向き合って、記事を形づくるための言葉を聞き出していく。媒体の性質を考慮しながら、趣旨から逸れぬよう配慮しながら、時間の配分を思慮しながら、問いを投げなければならない。

 限られた時間のなかで、 「それ、いただきました!」 という言葉をいくつ得られるかが、成否を分ける。記事を構成する要素が不足しているうちは、 「まだ足りない……、まだ……、もうちょい……」 と、ハラハラしながら言葉を待つ。と、ある時点で 「よっしゃ、これで書けるぞ」 という確信を得る瞬間が訪れて、安堵する。

 「これで書けるぞ」 と確信する瞬間の心持を表現したいんだけど、うまく言葉にできない。 「ふわっ」 と浮遊する感じのような気もするし、 「すとんっ」 と着地する感じのような気もする。その瞬間は、取材開始5分後に訪れることもあるし、取材終了3分前にようやく訪れることもある。 「この時間が醍醐味ではあるな、うん」 と、ここでもまた、感じる。

 以上、 「取材する側」 からの取材観の一部。で、ここから立場が入れ替わる。先日、僕は初めて 「取材される側」 に立った。

 経緯。 「会社が就職情報誌に掲載する求人広告に、 『先輩社員から一言』 的なコンテンツがある」 「ついては、広告代理店が取材にやってくるから、誰か応じてくれないか」 「おおRanaくん、キミヒマそうだから、よろしく頼む」

 ……と、 「誰でもいいから」 なノリで取材に臨むことに。 「数十文字のコメントを取る、10分程度の簡単な取材だから」 との人事課長の言葉に、逆に身構えてしまう。 「え? 10分もしゃべることある?」 。取材する側なら30分でも60分でも乗り切れるのに、立場を替えるとこんなに不安になるのか。

 取材会場は、社内の会議室。代理店の担当者2名、記者、カメラマンが待ち構えている。4対1か、なんて劣勢。取材チームって、けっこう相手に圧迫感与えてるものなんだな。

 取材開始。 「今の会社への転職を決意した理由は?」 「職場の雰囲気は?」 「編集者に求められる資質は?」 ……。記者から矢継ぎ早に繰り出される質問。答えながら、考えていた。 「見出しになりやすい言葉を選ぼう」 「まとめやすいように、できるだけ論理的かつ明解に話そう」 「 『それ、いただきました!』 という言葉、提供できてればいいな」 ……。取材する側の視点で、記者の利便を慮ってしまう。

 取材終了。記者に、 「大丈夫でしたかねえ、こんなんで」 と声をかける。この言葉、僕も何度か取材後に言われたことがあるぞ。そうか、こういう心境なんだな、みんな。

 気づけば、手の平にじっとりと汗が。緊張の質が異なると、汗をかく場所も違うらしい。記者にもうひとつ、 「どうですか?  『これで書けるぞ』 って確信、得られました?」 とも問いたかったが、機を逃して訊けなかった。それが心残り。

080222 名前ふたたび

 川上未映子さんに、 「スキのないお名前ですねえ」 と言われたことがあります (イベントで、ほんのわずか、言葉を交わす機会があったので) 。おお、端的に言い表してくださる。

 自分の名前に対しては、なんちゅうか、どうにも面映ゆい漢字が使われているため 「名は体を表す」 べくあろうとするとちとシンドイ、重圧を与えうる名前であることよ、という思いがあります。はじけられないというか裏切れないというか。

 もちろん親として、子の名前に前向きな意味を含ませようとするのは道理なのですが、もうちょっとひねってくれてもよかったんじゃないか父ちゃん母ちゃん。抽象度の高い漢字を組み合わせて意味を内に秘めるとか。僕の名前に使われているのは形容詞としての意味が直球で伝わってしまう漢字だもんで、電話口で表記を説明する場面など、くすぐったくなるんだ。

 「スキのないお名前」 と芥川賞作家 (おめでとうございます) から指摘されたことにより、今後はいっそうスキなくふるまっていかなきゃならなくなってしまったような。川上さんは活動の過程で 「三枝子」 から「未映子」 へと名前を変えましたが、きっと所作ふるまいや生まれる表現も、幾分変わったことだろうと思うのです。名前が生き方を縛る、こともある。

関連日記
010427 名前

080206 第二印象は漂流する

 1年あまり前、 「第一印象を収集する」 という日記を書いた。自分が人に与える第一印象を、転職まもない時期に同僚から意識的に聴取していくこの試みは、 「几帳面そう」 「落ち着いてる」 という、十二分に自覚している性質を再確認するだけの結果に終わった。

 当時の日記では触れなかったものの、歓迎会の席で浴びせられた次の言葉がある。

 「Ranaさんって、オタク?」

 ええと。

 返答に詰まっているうちにうやむやになり、話はヨソへ移ってしまった。はたして僕はどう答えればよかったのだろう。そりゃあインかアウトかで言えば趣味は思いっきりインに偏っているものの、 「オタクです」 と胸を張って言えるほどの特定の対象もそれに関する知識も、僕は持ち合わせていない。といって 「否」 と断言できるものでもないような。まあそれはいい。語義が曖昧ゆえ、もとより即答できる問いではない。問題は別にある。

 ほぼ初対面で、 「オタク?」 と疑問を抱かれるような風貌を、僕は備えているようだぞ。

 うすうす感づいてはいたけれども、ズバリ言及されると衝撃であった。 「オタクっぽさ」 の要素とは何だろう? 自分はそのうちの何を、どれくらい、備えているのだろう? しばし考え込んだのち、とりあえず僕はこの出来事を記憶の奥底に沈めることにした。月日を経て付き合いを重ねるにつれ、こんな不本意な第一印象は薄れ消えゆくだろうさ。 「オタクっぽく見えたけど、それほどでもないんだね」 という認識が広がるだろうさ。そう思っていた。

 しかし、つい先日、別の同僚から投げられた言葉がこれだ。

 「サブカルといえば、Ranaさんですよね」

 1年経っても変わってない。(※)

 おかしいな、サブカル嗜好を公言したことなんてないし、むしろサブカル方面には疎いほうだと思うのに。サブカルの代名詞ってどういうことさ。1年前に封印した記憶が甦ってしまったじゃないかどうしてくれる。

 初対面でも、長い付き合いを経ても、 「オタク」 「サブカル」 扱い。架せられた業のようなものを感じた次第である。

 

※ 「オタク文化」 = 「サブカル」 とくくる見方がある一方、両者を差異あるものと見なす向きもありますが ( 『ユリイカ』 2005年8月臨時増刊号) 、ひとまずそれは置いておきます。

関連日記
070112 第一印象を収集する

080119 蒼井優と夏目漱石

 映画やCMの蒼井優が素敵すぎるので、夏目漱石 『こころ』 を読んだ。

 脈絡なさそで、ある話。僕が買ったのは集英社文庫の 『こころ』 。昨夏のフェア (ナツイチ) で売られていた、蒼井優がカバーを飾る限定版だ。フェアはとうの昔に終わったものの、なお平積みで売られていたその文庫を書店で見かけて、思わず購入してしまった。 「カバーはお付けしますか?」 「いいえ結構です」 蒼井優を隠しちゃ意味ないじゃないか。

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071130 30代の色

 30代は自虐的になりやすい、とは30歳になった直後の日記にも書いたんだけど、実際 「30になっちゃいました」 と口にしたことは何度もあって、そのたびに 「なんで恐縮しなきゃならんのだ?」 と思うのである。

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071108 声が聞こえますか

 長年オンラインでの交流を続けてきて、5、6年目くらいに初めてオフラインで会った友人から

 「こんなに声が高い人だなんて思っていませんでした」

 と、言われたことがあります。

 うわあ、やっぱりか。自覚はしてるけど、やっぱり高いか、声。

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071025 フランスやパリ

 身を削った更新をしますよ。

 手元に、小学1年生のころの文集があります。巻頭コンテンツは 「大きくなったら、なにになりたい?」 という質問に、クラス全員が自画像入りで答えるというもの。僕の回答は、この写真のとおり (赤線部) 。

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071023 おれがペヤングだったころ

 ペヤングが値上がりするらしい。ペヤングとは、まるか食品が製造・販売するカップ焼きそばだ。時々、むしょうに食べたくなるんだ。あの麺の食感や、単位麺あたりのソース量の絶妙なバランスは、ほかのカップ焼きそばでは堪能できない。値上げは痛いが、原油・小麦価格の高騰の影響とあらば仕方あるまい。許す (えらそう) 。

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071017 分業私見

 椎名林檎主宰のバンド、東京事変の3rdアルバム 『娯楽 (バラエティ) 』 を発売日に購入して、ヘビーローテーション中です。

 前2作に比べ、ずいぶん聴きやすくなったなあ、という印象。今作では椎名以外のメンバーが作曲を担当したことが、少なからず作用しているようです。

椎名林檎的な粋っていうかイメージって、今の私よりも他人の方が引き出せるっていう気が前からしていたんです。

椎名林檎 『SWITCH』 VOL.25 OCT.2007 NO.10 p.42

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071003 続きはWebじゃない

 ひところ、テレビCMやポスター広告で、 「続きはWebで」 が流行した。オダギリジョーや劇団ひとりが出演していた 「ライフカード」 のCMが、ヒット作のひとつだろう。

 その流行も一段落した現在、 「続きはWebで」 を用いた広告形態は、よくある一手法としての地位を確立している一方で、 「いま、その手法を (パロディでなく、かつ、ひとひねりも加えずに) 正面切って用いるのはちょっと古いんじゃない?」 という微妙な立ち位置にもあると思う。新規な手法としての目新しさはなくなり、 「あ、またこのパターンね」 という印象が先に立つようになってきた。

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070926 新しい美術館

 今日26日から12月17日までの期間、東京・六本木の国立新美術館で 『フェルメール 「牛乳を注ぐ女」 とオランダ風俗画展』 が開催され、掲題のフェルメール 「牛乳を注ぐ女」 をはじめ、アムステルダム国立美術館所蔵のオランダ風俗画が大挙公開される。どのような作品が来日し、どのような解釈のもと陳列されるのか。昨年、アムステルダムで同美術館を訪れた身として、今から楽しみで仕方がない。キュレーターの仕事っぷりを堪能したい。

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070829 世界中が泣いても

 部長と、映画の話をしていた。彼は、しみじみつぶやいた。

 「年取って、涙もろくなったね。映画観て、ボロボロ泣くことが増えましたなあ。ストレス解消にはなるけどね」

 僕は、映画を観て泣いた経験がない。話を合わせることが難しかったので、 「はあ、そうですねえ」 と、マヌケな相槌に終始してしまった。部長、ごめんなさい。

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070802 赤い文庫本

 幼少の記憶。母の本棚に、真っ赤な一角があった。そこには等しく赤い背表紙をもつ文庫本が数十冊と納められており、棚の2列ほどを赤く染めていた。

 中学生のとき、担任が設けた 「朝の10分間読書」 という時間に僕が毎日読んでいたのが、この赤い文庫本であった。学校に持参する本を両親の本棚から物色するなか、赤い一角の一冊に手を伸ばしたのに特に理由はなかったと思う。

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070726 目標の墓標

 目標設定って難しい。社会人になったいま、こう感じる機会が多くあります。学生時代ならば、たとえば100点満点のテストで80点をめざすとか、部活動の県大会で初戦突破をめざすとか、身の丈に即したわかりやすい目標が身近にあったものです。うん、部活動の経験ないけど言ってみた。

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070707 二十九、三十

 「じゅうく、はたち」 に比べて、 「にじゅうきゅう、さんじゅう」 はゴロ的にも字ヅラ的にも劣る。 「20歳プラス10」 という歳月の間に夾雑 (きょうざつ) し付帯するさまざまなモノが、語句を冗長にしリズムを狂わせているように思われる。

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070510 盗まれる

 再び転職の話からはじめるのだけれど、転職を後押しした動機のひとつに、 「盗みたい」 という欲求があった。

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070425 君は氷河期を見たか

 スガシカオは 「転職って、広告が言うほどカンタンじゃない。」 と語っていますが ( 「マイナビ転職」 CM) 、僕の半年前の転職活動は幸いにして一発目の面接で決まってしまったので、 「わ、決まっちゃった。心の準備がまだっ」 と、狼狽するほどあっけないものでありました。

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070130 アンビバレンツな欲求

 「食べたい」 という欲求と 「痩せたい」 という欲求は、通常アンビバレンツ (二律背反) である。同時には満たされない。 「食べたい、けれども痩せたい」 「痩せたい、けれども食べたい」 と多くの人々が希 (こいねが) い、多くの人々がどちらか一方を諦めた。

 この2つの欲求は、尽きることなく続いていく。だからああいう番組も騒動も、この先いつか再び現れる。それはまあいいとして。

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070128 自分にしか

 仕事、あるいは学問で、大小問わず何らかの結果を得たとき、さらにそれが望ましいものであったとき、心にもたらされる感情の昂ぶりは、日々を生き抜く糧となるし、次の課題に向き合う力となる。 「よっしゃ!」 と拳を固め、ささやかな達成感や優越感や万能感に酔う。その一瞬は爽快である。

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070122 そのまんまの魅力

 宮崎県が熱い。いま巷の話題は、宮崎県か納豆か、です。

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070117 祭りとしての直木賞

 第136回直木賞は、4年ぶりの 「受賞作なし」 に。文芸がニュースで大きく扱われる数少ない、ほんとうに数少ない機会に、華々しく受賞作を発表できればそれに越したことはないんだけれども、3時間近くの議論の末、選考委員たちはこのような判断を下した。いつもなら発表されている時間帯にニュースサイトをチェックしてもなかなか情報が出てこなかったので、 「選考、もめてんのかねえ」 とは、僕も思っていた (芥川賞はほぼ例年通りの時間に発表されていた) 。

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070112 第一印象を収集する

 転職して2ヵ月が経った。新しい職場に飛び込むということは、多くの 「初対面」 が生まれるということである。それまで片手で足りる社員数の会社で働いていた僕にしてみれば、同一フロア、同じ部署で数十名が共に働いている現況はまったくもって異世界であり、入社当初は気の休まる間がなかった。続けざまの 「はじめまして」 は、神経にこたえる。

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070102 何発殴ったか?

 大晦日の新聞のラジオ・テレビ欄、TBS系列の目玉番組 「K-1 Dynamite!!」 の項に記載されていたコピーに、たまげました。

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061228 コンマっちゃうな

 会社が冬休みに入ったので,確変っぽく更新しています。ネタの在庫一掃というウワサもあります。3日連続更新なんて,いつ以来だろう。この年末に,ほかにすることないのか? という気もしますが,実際ないです (それはどうなんだ) 。

 さてここまでの文章,いつもと違う雰囲気を感じ取れないでしょうか? すでにピンときている方もおられるかもしれませんが,今日の文章は,読点 (、) ではなくコンマ (,) を使用しながら,書き進めております。どういう風の吹き回しでしょうか。

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061227 2006年のマリリン

 先日出張で京都を訪れた際、 「湯川秀樹・朝永振一郎 生誕百年記念展」 (京都大学総合博物館) を観に行った。バス車中から看板が目に止まって、思わず押した降車ボタン。両氏の仕事として図解が展示されていた 「中間子論」 や 「くりこみ理論」 はもちろんチンプンカンプンだったけど、入館料400円の元は余裕で取れた、刺激的な展示であった。

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061129 読まない雑誌

 「どんな雑誌、読んでます?」 と訊かれ、考えてみた。 『 Pen 』 『広告批評』 『編集会議』 『 Sports Graphic Number 』 『婦人公論』 『デザインの現場』 『芸術新潮』 ……。すべてを毎号買っているわけではないし図書館で流し読みするだけですませてしまうことも多いけど、だいたいこんなところが思い浮かぶ。とりとめがないような、あるような。

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061116 見慣れる風景

 転職して半月、出社した日数は正味10日で、新しい道、新しい机、新しい同僚には、まだ慣れない。

 入社に合わせて新調した革靴もまだなじまず、靴ズレが足を刺す。痛む足で昼休みの1時間をフルに使って会社の周辺を四方八方、歩き回っている。この革靴が足になじむころ、いまは見慣れぬこの風景も、身体になじむのだろう。

 見慣れぬ風景は、多くの情報を提供する。街並みも木々も人々も、すべてが興味深く感じられる。変わらぬはずの空の色さえ、新鮮に思われる。現実的には、さしあたって同僚の顔、名前をおぼえることにも迫られる。情報過多のなかで興奮と緊張がくり返され、疲労は蓄積する。

 だけどあと数ヵ月もしたら、いつもの道、いつもの机、いつもの同僚に囲まれて、いつもの仕事に精を出すようになる。なだらかな坂を転がるようにゆっくりと、この風景はいつか自分のものになる。一度自分のものになった風景は、二度と元には戻らない。はきなじんだ革靴が新品同様に戻ることは、決してない。

 時限つきのこの期間は、だから貴重で、いまの感覚をしっかりと、身体に刻んでおきたいと思う。風景にいつか 「飽きた」 と感じたとき、この感覚を思い出して力にできるように。

061027 中田英寿さんと槇原敬之と安倍氏

 昨夜友人から、 「君の日記は長い」 という指摘を受けました。僕もそう思います。あと、 「オチをつけろ (もろやんのように) 」 とも言われました。つけられるものならつけたいです。 「短く、簡潔にまとめる能力」 と 「オチをつける能力」 とは近しいものがあると思いますが、僕はどちらも持ち合わせていないので、毎度無駄に長い日記になってしまいます。とくに最近の日記の冗長化はひどいものがあるとも自覚しています。長い文章が敬遠されがちなご時世、携帯端末から読んでくださっている方も少なくないなか、いつまでも長ったらしい文章ばかり書いていては読者を失います。僕も徐々に改善していきたいと思っていますので、あたたかく見守っていただければ幸いです。

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061023 絵画をわかるということ

 まことに、ほんとうにまことに残念なことなのだけれども、僕は絵画を語る言葉をもたない。前回の日記で 「 『美術館』 と名がつく施設だけでも8ヵ所巡りました。」 と書いておきながら、そして実際短期間で数百点もの絵画を鑑賞しておきながら、悲しいかな達した結論は、これであった。

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060907 セカチューげんきでちゅう! ふたたび

 「整いすぎていないか?」

 書籍のタイトルや記事の見出しを決めるときに、注意することのひとつです。 「整った」 タイトルや見出しとはなんぞや? というのは説明しづらいのですが、あえて言い換えれば 「正しすぎてひっかかりがない (=印象に残らない) 」 ということになるでしょうか。

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060831 ピッチャー、語呂

 ハンドタオルだったら、僕だって使ってるわけですよ。

 なのになぜ、僕は 「Ranaちゃん」 とか 「王子」 と呼ばれないのか。

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060819 グラビアアイドルと力士と僕

 「ほしのあきだってがんばってるじゃないか」

 が、最近の僕らの合言葉です。僕らというのは、僕 (1977年生まれ) と同世代の、2006年現在30歳前後の人々であります。

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060719 どの2冊で応募しよう

 今年も 「夏の100冊」 シーズンがやってきました。新潮社・集英社・角川書店と3社の文庫本が、書店の平台に所狭しと並べられております。

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060515 ロール・プレイ

 ファンタジー色を帯びた古典的なロール・プレイング・ゲームにおいて、主人公としての 「勇者」 は 「魔王を倒して世界を救いなさい」 という 「役割」 を与えられます。プレイヤーは 「役割」 を果たすために 「勇者」 を操作し、仲間を集め、敵を蹴散らしレベルを上げて、ラスボスとしての魔王に挑みます。これが、おおざっぱな構図です。

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060315 誇り

 「わたし、昭和を一年でも生きたこと、誇りに思う」

 街中で、不意にこんな言葉が耳に飛び込んできたら、誰だって声がした方に顔を向けてしまうと思う。

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060118 世代を規定するもの

 「宮沢りえっていい女優になったよなあ」

 という言葉を口にするとき、発言者はデビュー当時の、アイドル時代の、バラエティ番組にも出演していた、宮沢りえを知っていなければならない。 「こんなにいい女優になるとは思っていなかった」 という前提があってこそ、 「いい女優になったよなあ」 発言が導き出される。

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060111 ペットボトルとシロクマ

 冬。コンビニにオレンジ色の花が咲く。

 ホット専用ペットボトル飲料のキャップは、誰が決めたかオレンジ色に統一されている。耐熱強化ペットボトルの開発と加温器の熱心な普及活動により、この5年の間で風景としてすっかり定着した。

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050812 夏休みの思い出と〆切

 8月も10日を過ぎると、 「夏休みも折り返しだねえ」 と思う。

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050804 ぼくのミステリな一人称

 日記を書きはじめるときに、 《僕は 「僕」 でいいのか 「ぼく」 なのか、はたまた 「私」 なのか 「わたし」 なのか?》 という疑問が、頭をよぎる。

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050611 フォントサイズは、あなたが選ぶ

 2年ほど前、 「Webログ」 なのか 「ウェブログ」 なのか 「ブログ」 なのか、表記はまだ定まっていませんでした。

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050517 「新札」 がなくなるとき

 5月も半ば。この春から新しい職場、新しい学校、新しいクラスに通い始めた人たちは、いったいいつ、どの瞬間に、新しい環境に 「慣れた」 と思うのでしょうか。気安く話せる友人ができたときでしょうか。ほっと一息つける場所を見つけたときでしょうか。通勤、通学の風景が自分のものになったと思えたときでしょうか。ところで――

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050514 価値の創出と喪失

 イチロー、3試合連続マルチ!

 なんてなテロップや見出しを、テレビで新聞で、目にします。

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050122 たぶん、タブー

 たとえば、年賀状。

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041222 ハチベエになれなかった

 ポプラ社の 『ズッコケ三人組』 シリーズ(那須正幹)が完結するということで、最後の巻となる50作目 『ズッコケ三人組の卒業式』 を購入した。

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041125 慣れるということ

 たとえば2年半前、入社まもないころには徹夜でやっと1本仕上げていた原稿があったとして、いまだったら同じ分量の仕事を2時間で5本こなせているわけです。

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041023 受け取るのは、本だけじゃなくて

 藤子・F・不二雄氏は、週に一度、3人の娘に本を与えていたという。

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040622 できねえなあ、が、変えること

 小学生のころに住んでたアパートの前に広場があって、日曜日ごとに友達4、5人と野球をしていた。思えば当時の遊び方といえば、しばらくファミコンして飽きたら外に出て野球、そしてまた部屋でファミコン、この繰り返しであって、それなりにバランスがよかった。まあこれは本筋とは関係ない。

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040401 ミニコンポ

 ミニコンポを、処分しようかと思っている。

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040120 マンガを読む体力

 体力の衰えを感じ始めてきている昨今ですが(え? もう?)、この「体力」、なにも肉体的なものばかりではありません。マンガを読むのにも、体力がいるようです。

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030911 ドッジボール

 ドッジボールができなかった。

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030828 先輩

 僕には、先輩社員がいませんでした。

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030401 桜が待っていた

 1997年3月31日、月曜日。

 その日、昼過ぎの新幹線に乗って僕は東京へ出てきた。

 天気はあんまりよくなくて、ビニル傘を持っていた記憶がある。

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020923 機会

よく言われることだが。

「数学はなんの役に立ちますか?」

とか、

「古文を習って意味があるの?」

とかいう疑問が提示される。
僕も学生時代、ちょっとだけ思っていた。
けど、「役」だとか「意味」だとかうだうだ考える前に
とにかくやってみっか、てな思いで取り組んでいた。

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020917 15歳

 15歳の頃の話をする。

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