011028 小説・物語 その2。――北村薫『盤上の敵』


 その1はこちら

 今、物語によって慰めを得たり、安らかな心を得たいという方には、このお話は不向きです――

北村薫 『盤上の敵』ノベルス版のための前書きより


 北村薫は、『盤上の敵』という小説を書きました。悪意溢れ、理不尽幅を利かせる物語です。苦い読後感が残る、そんな小説です。北村薫の作品群の中では異色と言っていいでしょう。より広く読まれる媒体であるところのノベルス化に際し、彼がその冒頭に前書きとして付した文章が、上記のものです。講演会にて、彼は説明しました。

 「これはとても珍しいんですけど、今回は「書かせて下さい」って言って、頭の所に。出版社は嫌がるんですけどね、「買わないで下さい」って書いて。うーん、あらかじめお断りしておきたいなって」

 また、こうも言っています。

 「だから、自分でもなんかね、読み返すのが辛かったりするんですけど」

 作家本人までもがこんな気持ちになる物語を、しかし彼は書かなくてはなりませんでした。世に送り出さなければなりませんでした。産み出すときの辛さはより激しいものだったでしょう。なぜこんな物語を、書かなければならなかったのでしょうか。再び、『盤上の敵』の前書きから、言葉を借ります。

 しかし、物語というのは作者ですら、自由に形を変えられるものではないのです。全て、必然から生まれるといっていいでしょう。

 物語は太古の昔からあって浮遊していて、それを掴み取って掬い取って言葉を与えて小説に加工するのが作家というものだと、僕は認識しています。物語と読者との間を媒介する者と言えます。物語が作家に訴えかける。作家はその要請に応えて筆を持つ。そういうものではないでしょうか。これを“必然”と、北村薫は表現しました。その必然に従って、『盤上の敵』は生まれました。

 作家は、物語を伝えようとします。伝えるために、小説という手段を選びました。選んだからには、その中で手段を選ぶ必要はありません。殺される人が配置され、陵辱される人が配置されます。これは本当に伝えたいことを浮かび上がらせるための手段で、“必然”ですから(じゃあどこまで許されるのか? が問題となりますが、ここでは追求しません。『BATTLE ROYALE』の項で少し触れています)。

 『盤上の敵』以前の作品においては悪意は背後に密やかに隠され、善意を引き立たせていました。ひるがえって『盤上の敵』においては剥き出しの悪意が提示されました。だからこそかえって救いを、安らぎを、善意を、希求したくなるという効果を生んでいます。北村薫も、「この物語は自分が描くからこそ意味がある」と自認していたのではないでしょうか。善意を描きたいからこそ、まんま善意を描かずに、悪意を描いたのです。

 「伝えるべきこと」と「表現するべきこと」との間の関係性について語られた次の言葉が印象的でした。

 「それはそのやっぱ、あからさまには書かないところなんですよね。書いちゃおしまいだよって所があって――わかる人にはわかるように書いてある、つもり、なんです」

 書いちゃおしまい

 伝えたいけど、そのまま言うことは出来ない(その1参照)。言葉を紡ぎ重ねなきゃならないのに、いちばんに言いたいことは言えない。作家って、もどかしい仕事だと、思います。

 次回は、物語の背後にあるもののお話です。

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