021224 『劇場の神様』 原田宗典


 原田宗典の新作のレビューを書く日を待っていた。

 僕は短篇小説が好きで、同じ作家の小説でも、選んで短篇集を手に取っていた。それは僕が元来読書というものが苦手で、集中が持続しないし記憶力が弱い(010420)からである。10ページくらい読んだら眠くなり、読んでるハジからストーリーや登場人物を忘れてしまう困ったヤツである。だから、ほんの数十分から一時間程度で完結したひとつの物語を見せてくれる短篇小説は、こんな僕に適合している。逆に長篇小説には腰が引け、願わくば御免こうむりたいところである(その割に京極夏彦が好きなのは何故)

 ネガティブな理由のみからではない。短篇小説は、ただ単純に、面白い。それも出来のいいものとなると、読み終わったときの感動は途方もなく鋭く深い。短いからこその驚嘆や衝撃がある。短篇と長篇とは、同じ小説の二形態であるのだが、まったく別物のようにも思える。村上春樹も言っていた。「作法が違うし、心構えも違う」と。両方を“書ける”作家は少ない。“書ける”作家の一人である宮部みゆきにしても、僕は短篇集、連作短篇集のほうが好きだ。長いぞ、『模倣犯』(挑戦中)

 そこで原田宗典である。高校時分に氏の短篇に出会って、「すげえ」と思った。一心不乱に読んだ。短い文量で、少ない言葉で、これだけの世界を語り、閉じることができるのだな、と思った。すっと物語に導かれ、のめり込み、驚いて、ぽんっと突き放される。そんな短篇小説の醍醐味を味わうことができた。加えて小説としての一篇一篇の味もあり、短篇“集”として集まったときに作品全体に漂う空気も好きだった。『0をつなぐ』の張り詰めた緊張の中の冷たい空気とか、『人の短篇集』の幾度もの嘆息がもたらす温かな空気とか。

 だがしばしの間、短篇小説の刊行は途絶えた。種々の事情によるものだったが、僕は待っていた。いつの日か新刊が出るのを待っていた。この一年あまりは傍にいて、その創作活動を目の当たりにしていたし文芸誌他各媒体に作品が発表されていたから、待ちくたびれることはなかった。もうすぐだ、と思っていた。

 そして実に六年ぶりの新作短篇集、『劇場の神様』が刊行された。公式な発売日に先んじて書店に並ぶその日、会社の昼休みをフルに使って新宿の紀伊國屋まで往復し、購入した。ザラリとした触感の紙質に、原研哉の手によるすっきりとした装幀。大切に、持ち帰った。仕事の合間に盗み読みしたい衝動と戦いつつ、家に着くまで待つことにした。六年間待ったのだから、短いものだった。

 家に着いて、本を開く。そこには今までの原田宗典“らしからぬ”筆の運びと、原田宗典“らしからぬ”世界があった。六年という歳月がもたらした作家としての変化があった。だがそれはやはり紛れもなく原田宗典の短篇で、久しぶりに目にする短篇“らしい”短篇だった。一篇を読み終えるごとに一旦本を閉じ、また態勢を整え直してから次の一篇に臨んだ。深く、身体に染み込ませようと、ゆっくりと文字を拾った。一息一息、深呼吸をするように。

 サイトをやっていて、本のレビューを公開している僕は、過去の原田作品のレビューもいくつか書いてきた。しかし作家は、生きている限りは現在進行形で語られなければならないものだ。こういう作品を“書いた”原田宗典、ではなく、こういう作品を“書いている”原田宗典、と紹介したかった。その願望がようやく、かなえられることとなる。中身にちっとも触れていないこんな文章は、レビューとは言えないのかも知れない。だけどそれでもかまわない。これがまさしく僕の『劇場の神様』レビューであった。それは六年間の、レビューであった。

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