
■ 2001年4月
| . | 010427 名前。 |
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「うむ。この世で一番短い呪とは、名だ」 〜夢枕 獏『陰陽師』
小学2年生のときに、担任の先生が宿題を出しました。「自分の『名前』に、どんな意味があるのか、どんな意味が込められているのか」を調べてきなさい、というものでした。 この宿題には、漢和辞典を引く練習をさせようとの魂胆があったのでしょう。国語の教科書に出てくる新出漢字を一字一字覚えていく時期です。漢和辞典の引き方も習いました。漢字を覚え始めた子供がまず何に興味を持つか。それはやはり自分の名前ということになります。発展途上の運動神経を総動員させて、自分の名前をがんばって漢字で書いてみます。大人が利き手じゃないほうの手で書いたほうがまだマシだと思えるような出来でも、子供は「ねえねえ見て見て、漢字で書けるんだよ。えらい?」と満面の笑みで周囲の大人に見せびらかします。 ですから自分の名前に用いられている漢字が教科書に出てきて、新出漢字として紹介されようものなら大騒ぎです。先生もそのへんのところは心得ていますから、「はい、これは○○くんの字だね」などと言いながら板書し、その○○くんをより一層喜ばせることになります。僕の名前の漢字が教科書で初お目見えしたのは小学校も6年になってからのことでしたので、残念ながらそんなかわいい喜び方はできませんでしたが。 話を戻します。この宿題は、「帰りの会」のときに毎日二人ずつ前に出て発表することになっていましたから、きちんと調べてこなくては恥をかきます。そこでとりあえず漢和辞典を引いてみますが、「漢字にはいろんな意味あるんだな」ということはわかっても、それぞれの説明文が漠然としか理解できないために、幼い頭は混乱します。助けを求めて、親に訊くことになります。 母は漢字自体の持つ意味に照らして、僕の名前に「込められた」意味を教えてくれました。当時の僕が驚くほど複層的な意味があったと記憶しています。しかし今、そのひとつひとつを思い出すことはできません。あらためて訊くのも恥ずかしいものがあるので確認できないのですが、ひとつだけ、印象に残っていて、今でも思い出せる言葉があります。 「他人の気持ちがわかる人間になって欲しい」 母はそう言いました。漢字本来の意味からは離れています。両親が自身で解釈し、新たに生みだして僕の名前に込めた意味です。しかし、この言葉を聞いたときから、僕は自分の名前に、その字に、この新しい意味を付帯させることとなりました。そしてそれはそのまま自分の行動にも反映されることになります。もちろん普段は意識なんてしていません。でも、なにかしらことに向かい合ったときに、「そうあろう」と振る舞っている自分がいることを自覚します。「そうあろう」とした結果成功しているかどうかはともかくとして。この性質は先天的なものでしょうか。それとも名前の意味を知ったことからくる後天的なものでしょうか。どちらでもいいことなのですが、後者だとしたらそれこそ、「名前」という「呪」に縛られていることになります。 と、母が説明をしているのを横目に見ていた父が口を挟みました。 「最初はな、『遼一』って名付けるつもりだったんだぞ」 父は司馬遼太郎の著作の愛読者でしたから、長男である僕に、一字を拝借して名付けたかったのです。それが実現しなかった理由は、当時の法制度にあります。「遼」という字は僕が生まれた当時、「名前として用いることのできない漢字」だったのです。そこで言ってみれば「第2候補」であったところの現在の名に落ち着いたわけです。僕は「遼一」になり損なった、ということです。 聞いた当時は「ふうん」で片付けたことだったでしょうが、後々になって「遼一」になり損なった自分というものを考えたときに、不思議な感覚があります。もしも「遼一」であったならば。これまで生きてきた全ての状況において、僕は「遼一」と名乗り、また、こう呼ばれるのです。テストの答案用紙に「遼一」と記す自分。親に、友達に、恋人に、「遼一」と呼ばれる自分。些細なことのようで、まったく想像できません。想像できないこと自体が、今の僕が今の名前の人物以外の何者でもないことを証明しています。 人は誰しも、名前を持ちます。ということは名付けた人が存在するということです。それは多くの場合親であり、あるいはそうでない場合もあるのでしょうが、いずれにせよなにかしら未来に向けての意味が込められていると思うのです。名付けられたとき、その名前はあたたかな光を放っています。凶悪犯罪が報道され、逮捕された容疑者の名前が発表されたときに、その名が皮肉を帯びていることはよくあります。そして名付けた人の存在に思いが至ったときに胸に沈澱する感情。親殺し、子殺しのときはもっと陰鬱です。名付けた、名付けられたその瞬間に、悲惨な未来の予感は微塵もなかったはずです。 さて、小2の僕は自分の名前がなんだか意味深げだったことを喜び、無事に発表を終えました。いや僕のみならず、発表者みんながどこか誇らしげに自分の名前の意味、由来を語っていたと思います。姓名判断において画数だとかで性格や運勢を占うことは眉唾ですが、名前そのものには人の心を動かす力が確実に潜んでいます。名字と合わせるとやたら画数が多いしややっこしいしで、書くのがめんどくさいと思っていた当時の僕も、自分の名前は悪くないな、と思い直したのです。 ちなみに時を経て法改正されて、「遼」という字を名前に用いることが許可されたのちに生まれた妹の名には、しっかりとこの字が使われています。すなわち、「遼子」と。 2001年04月27日 |
| . | 010423 メールが届きました(タンポポ)。 |
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え〜、お手数ですが今日の日記、こちらへお飛びください。 >>>■
2001年04月23日 |
| . | 010420 挑戦したけど破れたっぽい(昨日の続き)。 |
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膨大な知識量をストックするために必要なのは、「一旦忘れる」という収納作業なのである。 橋本 治 『「わからない」という方法』
僕はものを知らない。それは昨日言った。と同時に、忘れっぽい。人の話を聞いてるようで翌日には忘れてしまう無礼なヤツである。「こないだ話したことだけどさァ」と言われ、「はん?」とマヌケ面を返すことがよくある。ちゃんと聞いてるつもりの事柄にしてこれだから、授業の内容なぞ推して知るべし。また、聞いたことだけでなく読んだこともすぐ忘れる。必死に読んだ論文の内容がちっとも頭に残らないのはなんとかして欲しい。なんとかしてと言っても自分のことなのでどうにもならない。小説も例外ではなく、内容をすぐ忘れてしまう。 先日、原田宗典『スメル男』を再読した。高校生の頃に読んで感銘を受けた作品である。しかし、忘れていた。憶えていたのはストーリィの大枠だけである。このストーリィはインパクトがあるし、タイトルにも直結しているので、憶えていて不思議ではない。ディテールはきれいさっぱり忘れていた。ので、初読であるかのように読み、驚き、引き込まれた。作品自体にそれだけの力がある、と考えることもできるだろう。だけど、忘れてしまっていたのは事実である。「感動した」「面白かった」本にしてこれである。読んだのか読んでないのか判然としない本まであるのだから始末に終えない。 多読で、しかも読んだ本の内容を逐一詳細に憶えている友人にこの話をすると、「もったいねえなあ」と言われる。そうだなあ、せっかく読んだ本の内容を端から忘れていくんじゃ意味ないかなあ、と思う。共通して読んだ本の内容について語り合おうとしても、僕は思い出せない。彼は「あの場面は」「あのセリフは」と語っている。僕は内容のみならず、心揺さぶられた場面、セリフもきれいに忘れている。これは悲しい。 Q ワープロばかり使っていて漢字を忘れると悲しくないですか? 手紙を書くときはどうするのですか? ★ 何かを忘れられるのは、その分、頭を他のことに使えるわけだから嬉しい。人間は歩けるようになると、はいはいを忘れる。はいはいを忘れて悲しいですか? 手紙はワープロで書く。稀に手で書くときは、必ずワープロで下書きして、それを見ながら書く。 森 博嗣 『臨機応答・変問自在』
ある雑誌に、こういう記事があった。ノートパソコンを携帯していた若者が、交通事故で死んだ。ノートパソコンも壊れた。HDDは読み込み不可になってしまったが、遺族は、「息子の生前の記録を知りたい」と、どうにかしてHDDを復活させて欲しいとメーカに依頼した。そしてメーカは依頼通りに記録の大半を復活させて、彼らに渡した。技術者は言う。「例え、「ごみ箱」に入れて消去した記録、あるいは上書きしてしまった記録でも、復活させることはできる」と。消去した記録もその残影がHDには残っていて、これを読み込むことは技術を駆使すれば可能だということだ。こういう仕事を専門に請け負っている業者もあるという。 考え方を変えてみる。パソコンのHDDも脳も同じことではないか。「忘れた」ということは、「消えた」ということではない。「あるけど、どっかにいった」のである。コンピュータで言えば、「どのフォルダに保存したのかわかんなくなった」のである。飛び込んでくる情報はあまりに膨大だから、脳のフォルダにいちいち番号や名前を振って整理していったのでは追いつかない。だから、とりあえずどっかに入れる。どこに入れたかわかんなくなる。これが「忘れる」という状態である。それが何かの拍子で表に出てきたら、人はコンピュータと違って感情があるから、エラーとして処理せずに「思い出」「郷愁」「心の傷」「既視感」とかいう名前を付ける。そして人はこのような感傷に浸ることが存外好きなのである。そういうものだ。 大切にしたかった思い出もいつか薄れる。悲しいけれど、忘れなきゃ前に進まない。忘れたけど、どこかに残っていると思えば慰めになる。だから忘れることは決して悪いことではない。僕のような忘れっぽい人間は過去の感動に引きずられることなく現在の感動をどんどんと仕入れることができるのでお得である。なんかこじつけのような気がする。だってこじつけだからな。忘れっぽい自分の正当化である。まあいいか。 2回に分けてまでなにが言いたかったのかというと、結局「知らない」も「忘れる」も、人生を楽しむために必要なことなのだ、ということである。「知らない」から知ろうとする。「忘れる」から次がある。人を動かす原動力となるのなら、否定できるものではない。 だけど、 しかし、読んでも中身を憶えていない、それで"読んだ"と言えるのだろうか? せめて、それらが私の心の奥深くに影響を与え、潜在意識として密やかに息づいていると信じたい。 吉野朔美
そう。じゃなかったら、むなしいよね。 2001年04月20日 |
| . | 010419 コラム調の文章に挑戦(ところでコラム調って何)。 |
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好きな芸能人は誰ですか? と訊かれることがよくある(ウソ。ない)。そんなとき、僕はこう答える(ウソ。答えたことない)。 上岡龍太郎かな? 「探偵!ナイトスクープ」の元局長で、「パペポTV」で笑福亭鶴瓶と最強タッグを組んでいた氏である。残念ながら現在は芸能活動を休止している。膨大な知識量とそれを披露する立て板に水のごとき弁舌。口ベタな僕は憧れもした。そして何より、その知識を最終的には笑いに転化させるところがすごい。知識の披瀝だけだったら高圧的で嫌味に終わるところを、笑いに転化して大衆に引きずりおろす。あまたいる芸人の中でこのスタイルで笑いをとることができる人はそういない。そのスタイルがかっこよかった。 その上岡龍太郎は「パペポTV」において鶴瓶に、「ほんまアンタ、モノよう知ってまんなあ」と言われて、こう返した。 「いやいや、僕はねえ、博識や博識やとよう言われますけどね、ちがうんですよ。自分の知っとることしか話しとらんです。自分のようわからんことに関してはなんもコメントしません。それで『知っとる』と思われるんは、当たり前です。知っとることしか表に出しとらんのですから」 そうなのだ。結局のところ人は、自分の知れる世界でしか勝負できない。上岡龍太郎は自分の知ってることだけを話して知らないことは隠蔽するという手法でもって芸能界における地位を確立した。これは技術であり、能力である。立花隆だとか荒俣宏だとか京極夏彦だとか、「知の巨人」と呼ばれる人だって、知ってることよりは知らないことのほうが多いのである。それほどに世界は大きい。 では、モノをたくさん知ってたらいいのか? というと多分そうではない。 大学で生物学や中国語を学んできたが、これらに関して僕は語る言葉をもたない。先輩や友人に疑問や意見として述べることはあっても、公の場で語れるレベルではないと自覚している。なまじっか少し踏み込んでいるだけに、中途半端な知識のまんまで揚々と語ることがためらわれる。知識が邪魔しているわけだ。逆に美術であるとか文学であるとかスポーツであるとか、自分が無責任に興味を持っている分野についてはけっこう気軽に語れたりする。知らないから喋れる、ということがあるのだ。これは上岡龍太郎の手法とは反するものである。知らないからこそ見えるものがあるし、生まれる発想があるし、生まれるアプローチがある。ものごとには王道、わき道、邪道があって、そのいずれにも価値がある。話が逸れたか。 さらに政治、経済、法律に関してはお手上げである。現行の選挙制度がどんなもんだか答えられないし、為替変動の仕組みはわからないし、身近な法律・条例・法令もなにも理解していない。社会に出たことがない僕は世間知らずである。世間知らずであることは知っている。また、映画はほとんど観ないのでこれに関しても何も語れない。語らない。ここにおいては僕は上岡龍太郎の手法を適用している。 僕が通っている大学には多種多様な学部学科があって、サークルを通じてそれぞれの分野で学んでいる人間と接する機会を持てた。時には雑談が政治経済、法律の議論に発展することもある。僕にとってはちんぷんかんぷんな単語が宙を飛び交うから、ただ穏やかな笑みをたたえて聞き役に徹する。下手に口を挟んだら恥をかくことは自明なので、いっしょうけんめい理解しようと努め、理解できたところに関してのみ「なるほどね」などと相槌を打つ。と同時に、「今の自分には必要のない知識だから知らなくてもいいのだ」と言い聞かせ、「もしも必要に迫られたら知ろうとするだろうし、知ろうとすればわかるだろう」と思っている。こう思えば今現在知らないことは別に恥ずかしくはない。前掲した「知の巨人」たちだって、知らなかったから知ろうとして、その結果モノになったのだ。開き直った無知は強いのである。 知らないということは、知る余地があるということである。 知らないから、ダメなのではなく、知らないから、強いのである。そして、知らないことを知っていることが、強いのである。 「わからない」は、思索のスタート地点である。 橋本 治 『「わからない」という方法』
長くなったので続きは明日。 2001年04月19日 |
| . | 010417 ライブレポートなんて書いちゃってみる。 |
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雨のそぼ降る夜の渋谷を、僕は彷徨していた。ほんとは彷徨なんてするつもりなかったんだ。目的地へのルートを前もってきちんと確認しておけば、それは10分足らずのただの徒歩に終わるはずだったんだ。しかし、迷っていた。どこなんだ、「渋谷ON AIR EAST」。前(000618)にも言ったが渋谷は苦手なんだ。時は刻々と経過し、開演時間が近づく。焦る。渋谷の街を右往左往。それは迷走、とも言う。 人に道を訊けば? と思われるかもしれない。しかしぶっちゃけた話、僕は人にものを尋ねることが苦手である。「ぶっちゃけた話」なんて物言いは、出川哲郎のイメージがまとわりついてるからイヤなんだよ。だけど使ってみた。この性質は、研究者としては問題がある。研究者なんて人に質問して大きくなっていくもんだ。改善しないと研究者として大成できないね。ヤバイヨ(出川)。それに渋谷を歩いてる人々ってみんなおっかないし。殴られたらどうしよう(怖がりすぎ)。 原点に立ち返り、駅前の地図を確認して、やっと方向を定めて歩き出す。109の前で進路を左にとり、道玄坂を上っていく。同じく前にも言ったがラブホテルが林立している。空はせまい。サービスタイム、3時間4000円。・・・なるほど。いや、なるほどじゃなくてさ。渋谷円山町。ラブホテルのメッカ。こんなところをさ迷い歩いているとなんだか肌がヒリヒリするんだってば。キョロキョロ(見てるし)。そしてそのラブホテルの林のただなかに、 ・・・あった。 渋谷ON AIR EAST (ここから文体変わります)今日はこの渋谷ON AIR EASTにて、aikoファンクラブ会員のみ参加可能なイベントであるところの「BABY PEENATS Meeting Vol.1」が開かれるのであります。いわゆるシークレットライブってヤツです。キャパの小さい会場(せいぜい500人)で、ファンクラブ会員のみを集めて開かれるライブ。そこでは普通のライブでは見られないアーティストの素の表情が見られたりします。「ファンクラブ」という安心感はアーティストの緊張も緩めます。あ、これ、僕お得意の知ったかぶりです。ファンクラブイベントなんてこれが初めてですから。 会場に入ります。道に迷ったせいで開場してしばらく経ってから入場することとなったので、会場の半分を占める座席はすでに埋まっていました。立ち見することとなったのですが、間のいいことに僕が入ったのは座席が埋まった直後あたりだったので、そのすぐ後ろに陣取ることができました。視界は良好です。と、その視界に飛び込んできた、異形の者がおりました。 力士だ。 力士です。僕の5列ほど前の座席に、力士が座っています。風体からすると幕下クラスかと思われます。それほど身体が大きいわけではない。が、そこは力士。圧倒的な存在感を示しています。ですが場所柄というのがあります。 aikoファンクラブに入会していてシークレットライブに参加している力士。 かわいい。 かわいいです。やはり入会して、ライブ参加の申し込みをして、チケット受け取って、そのチケット握り締めていざ会場、というまっとうな行程を経て今ここに参加しているのでしょう。aikoを聴きながら四股。aikoを聴きながら朝稽古。aikoを聴きながら鉄砲。aikoを聴きながらちゃんこ鍋。aikoを聴きながら股割り。がんばれ、5月場所は全勝優勝だ(ところで四股名は)。力士とシークレットって相容れないような気がするけど、よしとしよう。 などと思っていたら、aiko登場。小さいです。かわいいです。いや、力士さんもかわいかったけどやっぱりaikoのほうがかわいいね(まあ、そうだろうよ)。背の高い椅子に座って足をぷらぷらさせているaiko。やわらかな大阪弁が僕のツボをつくaiko。いざ歌い始めると鳥肌ものの圧倒的な歌唱力を見せつけるaiko。ファンと右手をつないでまさに「桜の時」を歌うaiko。アンコールに応えて再び登場してくれたaiko(同じパターンに走りすぎ)。あ、ライブ終わっちゃった。 そう、シークレットライブなのだからここで多くを語ることはできないのです(いや、そんな意味でのシークレットじゃないんだけど)。普通のライブレポートになるのかと思いきや、そうは問屋が卸さない。満喫しました。うふ ところで僕の右斜め前に立っていてaikoとの質疑応答に答えていた会員番号528のまゆみさん、タイプです。 (実はライブに行ったのは04月03日。2週間経ってから書くってどうなの) |
| . | 010411 いいかい? よおく考えてみよう。 |
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まちがってる。 なにがまちがってるって、僕のHNである。いや、HNそのものに問題があるのではない。「Rana」。これはまあいいだろう。由来もしっかりしているし、かっこよさげである。気に入っている。この時点で作意はなかった。だが、「らな」とひらがな表記すると趣が違ってくる。かわいい。初対面だと必ず女性だと思われてしまう。しかし、これもまた、いいのだ。説明すればいいことだし、この意外性もまた話のネタになる。オフ会も回を重ねて、「らなさん」と呼ばれることにも慣れた。自ら名乗ることにも違和感はない。だから例えばtakkaさんの引越しの手伝いをしていて、ダンボールを運んでいる最中に「らなさん」と呼ばれても脱力しなかった。しそうだったけれども、しなかった。ああそうさ、僕はらなさん。 では問題はどこにあるのか。それは愛称である。付き合いが長くなり、親しくなってくると、人は敬称で呼び合うのがまどろっこしくなってくる。そんなときにどう対処するか。呼び捨てにすることもあるだろう。実際「らな」と呼ぶ人も多い。これはさっぱりしている。おーけー、おーけー。そしてもう一つの処し方として、愛称で呼ぶ、というのがある。「あだ名」である。普通の人付き合いと同じ過程を経るわけだ。僕もありがたいことに色々な愛称をつけてもらった。ただ、ここに問題があった。 かわいすぎる。 「らなぼう」「らなっち」「らなりん」ときて、果ては「らなたん」とまで呼ばれるようになっちまった。どいつもこいつも泣きたくなるくらいに語呂がいい。無駄にかわいいってやつだ。「たん」って、なんだ、「たん」って。「のんたん」じゃあるまいし。「のんたんといっしょ」(なつかしい)。あまつさえ(もろやん風)、「らなた〜ん」と呼ぶ人まで出現。かわいい。わーいわーい。あ、いや、喜んでるわけじゃない。気に入っているだなんてそんなそんな。みなさん、冷静になろうよ。おれが、「らなたん」って、呼ばれてるんですぜ。これでいいのか。いや、よくない。これでは会ったことない人に幻想を抱かせることになってしまう。ん? 別に抱いててもらったままでもいいのかな。そんな気もしてきた。この際開き直ってどこまでも行ってみようか。最後の2行で問題解決。自己完結。ああそうさ、おれはらなたん。 今日の日記はトップページ(010411-010413の間公開)との連動企画です。 2001年04月11日 |
| . | 010410 ボケもオチもないので覚悟するように。 |
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家のわきに神田川が流れていて、その横の遊歩道沿いに桜並木がある。桜が満開になるこの季節、陽射しのやわらかいまっぴるまに、ベランダから桜を見下ろす。 「桜は木の下で愛でるものだ。なぜなら花は下を向いているから」 と言われるが、上から見下ろす花弁の色は光線の透過を受けないからより色濃く映える。いや、そんな気がするだけかもしれない。橋の上にはこの桜目当てで訪れた人々が集まり、写真を撮っている。彼らの動きはひどく緩慢に見える。季節の作用か。時の流れそのものも生ぬるく緩やかだ。展開する風景の中でもっとも動的なものはときおり舞い散る花びらだったりする。すべてを切り取りたくてシャッターを押す。 これは10日前の風景。 今はもうすっかり葉桜になり、鮮やかな緑が木を覆っている。これだけの緑がどこに潜んでいたのかと思うほどにその色は鮮烈で、淡い桜色の記憶を吹き飛ばした。その根に幹に枝に、緑色を隠し持っていた。劇的な変化に驚くのは毎年のことだ。気温が身体に快適なレベルで推移し、一日一日が冗長に感じられるこの季節に、色彩の移ろいだけがやたらと急だから。 「こっちは、今満開だよ」 宇都宮の友達に言われて、心が飛んだ。見に行こうと思った。ひとりででも、行こう。こんな突発的な企画に乗ってきてくれるような友達はもういなくなった。ほんの10日前まで、周りにいっぱいいたのに。声をかければ、逡巡なしに馬鹿な遊びに付き合ってくれる素敵な連中が。しかし無限かと思われた時間は尽きた。みんな、新しい地点へ移っていった。ひとりだけ、取り残された。 青春18きっぷの有効期限最終日に、池袋から出発した。片道2時間。日帰りにはちょうどいい距離。平日の昼日中に都心を離れ移動する人なんて多くはない。車両は空いていた。本を読みながら揺られていると、いつの間にか車両にひとりになった。取り残された感覚に、また襲われる。みんなどっかしらの駅で降りていく。乗り換える。人の数だけ路線があるから、結局のところ誰しもがひとりになるのだろう。そう思う。 宇都宮に着いた。教わった通りにローターへ行き、バスに乗る。運賃を支払う方式が違っていたから戸惑う。バスの窓から、桜の木が見えた。なるほど、満開だ。時計が10日、巻き戻った。教わった通りの停留所で降りる。目指すは坂の上の公園だった。公園中、桜だよと、言われていた。適度な勾配の坂を登り切った頃には汗ばんでいた。なにもかもが中庸だった。 公園に入る。一面桜の木。高みから見下ろすその風景は美麗微細なモザイク画のようだ。花弁の集合体の文様など人の手では再現不能だろうが。眼鏡を外すと、画像がぼやける。色がにじむ。裸眼で見る同じ風景は出来の悪い水彩画になった。配色は絶妙のくせにタッチが悪い、そんな感じ。また眼鏡をかける。鮮明に戻る。だけどどっちの世界も悪くないなと思う。どっちもがリアルだ。 桜の木の周りに、背の低い松の木が植えられている。常緑針葉樹の松と、一年の一時期だけ派手なパフォーマンスを見せる桜。永遠と刹那。この対比を公園の設計者は意図していたのだろうか。そんな詮索は無意味か。それらはただ、そこにあった。常なる緑色を呈する木と、一瞬の桜色を爆発させる木とが、植わっているだけだ。松の木の代謝を人は感知できないだけのこと。人の意図が介在していようといまいと関係なかった。 芝生の上に座り込み、本を読み出した。だが、10数ページ読んだところで、今、読むべきではないし読むべき場所ではないと思い、閉じた。鞄を枕にして、寝転がる。花曇りの空を見上げ、右頬にやわらかな熱を感じながら考え事をしていると、いつの間にか眠りに落ちていた。意識を取り戻し時計を見ると1時間が経過していた。気温は下がり、日は傾き、光は力を失っていた。立ち上がって芝を払う。歩き出す。 家に着く頃にはすべての色は闇に包まれて、存在を主張することができなくなっていた。花弁も葉もなく、木は木だった。再び本を開く。花弁が挟まっていた。詩的に過ぎて気持ち悪いくらいだ。そのままにして、読み進める。読み終わって書棚にしまうときも、そのままにしておいた。花弁の色はいつまでもあせないだろうか。永遠を獲得するだろうか。悪くない休日だった。春だった。 2001年04月10日 |
| . | 010408 吉野家考。 |
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吉野家に、「牛皿定食」ってのがあるじゃないですか。ご飯、味噌汁、玉子、お新香、そして牛皿がセットになった定食です。僕、その存在意義がわからなかったんですね。「なして牛丼屋でわざわざ牛とメシを分けて食わなあかんのじゃい」 とね。果たして需要はあるのか? その理由は何か? と。しかし今日、その疑問は氷解しました。 「MUSIC FAIR 21」という歌番組に、河村隆一@行き先は風に聞いてくれ さんが出演しておられました。RKさん("R"は反転させてください)です。歌以前に、見ていてつっこみどころの多い人物です。トークコーナーにおいて彼の好物として、その牛皿定食が紹介され、出演者一同で共に食すという展開になりました。「いつもステーキとか、高級な食事をご馳走していただく身だから、このような"疲れない"食事の方がいいんですよね」 などとおっしゃいます。さすがに庶民との差を見せつけてくださいます。そんなRK@ステーキは飽きたぜ さん("R"は反転)が、牛皿定食に対するアツイ思いを語ります。以下、発言の要旨です。 「牛皿定食にはね、可能性があるんですよ」 このように語ったЯKさん(あっ、字、見つかった)。うろ覚えなので事実との齟齬があったらごめんなさい。なるほど、牛皿定食の魅力というのはそこにあったのですね。ЯKさん、ありがとう。 で、この放送に影響された僕は、吉野家に行きました。してやられています。もちろん牛皿定食を食べるためです。いや、ほんとにみなさんおいしそうに食べてらっしゃいましたからね。この日、牛皿定食の売り上げは通常よりも多かったと推察されます。が、店の入り口に立っていたノボリを見て、心は揺れました。 「牛丼(並)、150円引きセール開催中」 そういえばそうでした。今、牛丼界はデフレ状態。価格破壊が進んでいます。最大手の吉野家にしても、150円引きを断行して集客に励んでいるわけです。150円引き。並盛で250円、特盛でも450円です。安い。これは牛皿定食を食べている場合じゃありません。特盛食いましょう、特盛。玉子付きで500円。幸せです。やっぱり牛丼食わなきゃ。ЯKさん、ごめんなさい。 が、店内で席についてふとメニューを見ると、そこに衝撃の事実が記されていました。 「この度のセールにおいては、より多くのお客様に牛丼を召し上がっていただくために、牛丼の販売を並盛だけに限定させていただいております」 なんてこったい。 僕、大食いなんです。並盛じゃ足りません。心は特盛だったのです(牛皿定食はどうした)。それが並盛しかないだなんてあんた、ご無体な。幸せな気持ちも半減です。ここは妥協して並盛を注文するしかないのでしょうか。それとも初心に返って牛皿定食を注文せよとの神のお導きなのでしょうか。しかしここに、打開策が見つかりました。 「並盛2つください」 完璧です。店員、一瞬怪訝な顔をしましたが、すぐに僕の意図するところを汲み取ってくれたらしく、「かしこまりました、少々お待ちくださいませ」 と応じてくれました。やがて目の前に置かれる丼2つ。幸せです。周りの視線は気にしません。僕、大食いであると同時に早食いですから、同時に入店した隣のお客さんよりも早く食べ切って、店を後にしました。満足。 さて最後に、今日の僕の心の動きをトレースしてみましょう。 「ЯKさんに感化されて牛皿定食食べる気満々」>(店の前のノボリで牛丼割引セール中であることを知る)>「牛丼特盛食べる気満々」>(店内の表示で割引が並盛にしか適用されないことを知る)>「逡巡。並盛にするか? 牛皿定食にするか?」>(店員がお茶を出すと共に注文を取りに来る)>「並盛2つください」 この間、時間にして30秒に満たないはずです。なかなかあっぱれな思考です。牛皿定食はまたの機会に食べることにしますからね、ЯK@ビリヤードがお得意 さん 2001年04月08日 |
| . | 010407 多謝。 |
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森博嗣は言いました。 「自己満足」と「自己主張」という言葉について。森は、「自己満足」は良いもの。「自己主張」は悪いもの。どちらかといえば、そういったニュアンスに受け取るし、そう使っているのですが、どうも一般には、これが逆のようです。「自己満足ではいけない」「もっとちゃんと自己主張しよう」という言葉が聞かれるためかも。しかし、そういった呼びかけがあること自体、実は、「自己満足だけではいけないのではないか」「少しは自己主張した方が良いのではないか」という反動の現れだったとも思います。本当のところ、「自己主張」なんかしないで、「自己満足」ができたら、こんな幸せはありませんよね(笑)。少なくとも、狭い仲間うちで主張して満足するよりは、自分一人の中で完結している方がシンプルですし。
〜「Mori's Floating Factory ミステリィ制作部 近況報告(2001/03/22)」
原田宗典は言いました。 普通、自己満足という言葉は否定的な意味あいで使われることが多いけど、決して悪いことではない。むしろいいことであると、ぼくは捉えている。何らかの意味で自己満足がないと、表現というものは成立しない。いや、もっと広い意味・・・・・・例えば生きる上でも、自己満足はどうしても必要である。自分で納得し、これでいいのだあッと思えないと、命は輝きを失う。他人が何と言おうが、まずは自己満足すること。それがなければ、人は決して前へ進むことができない。
〜『楽天のススメ』
イチローは言いました。 自分が楽しまなくちゃ、観ている人を楽しませられませんから。 高橋尚子は言いました。 楽しい42.195キロでした。 10000ヒットを達成してしまいました(この書き出し、もろやんの<15000HITに寄せて>に倣いました)。不定期更新なこのHPに足を運んでくださったみなさん、ありがとうございます。飽きっぽいしめんどくさがりで、ひとつのことを長らく続けてきた覚えがない僕が、こうして1年以上も継続してこられているのは、10000を超えた述べ来場者のみなさんの目があってのことです。ありがとうございます。 先日友人と、このHPのコンセプトってなんだろう? という話になりました。「コンセプトが見えない」 と言われました。[concept;概念]。そらそうでしょうなあ、考えたことなかった。そもそも「プロ野球ファンサイトを作ろう」 と思って場所を獲得したのにいつのまにか日記サイトに終着したという事実が、もともと目指すかたちを持っていなかったということを物語っています。 では、なんのためにHPを作っているのか? という疑問が生まれます(000217)。そしてふと立ち止まったときに、続けていること自体への疑念も生まれます。これは僕のみならず、個人サイト運営者がしばしば抱える悩みのようで、「おもしろいのかおもしろくないのかわからなくなってきた」 とかいう話をよく聞きますし、「疲れた」 と閉鎖、あるいは休止してしまったサイトもいくつかあります。僕はサイト運営に関してそこまで深く思い詰めたことはありませんが、サークルHP運営歴含めて2年近くやってきた今、続けられるのは結局のところ「自分が楽しめているかどうか」 にかかっている、と思うようになりました。 サイト運営に限らず、「ものを創り続ける」 ことは予想を上回って疲弊することです。じゃあなんで続けられるのか? というと見返りとして「楽しさ」 が得られるからであって、それが得られなくなったら僕は即座にやめるでしょうね。義務的に更新しているだけの状態に陥ってしまい、楽しくなくなり、それが内容にも反映されて魅力が減じてしまうのなら、こんな悲しいことはありません(もちろん、「義務を課す」 ことが推進力となって生まれ得るものもあります)。「なんのため?」 「自分のため」 「どうして?」 「楽しいから」。「楽しさの追求」 これがコンセプト。 アスリートがオリンピックなり世界選手権なり、大舞台に挑む前に「楽しんできます」 という言葉を残したとき、これに対し批判的な見解が示されることがあります。たしかに、プロ(あるいはこれに相当する立場の選手)が単に自己の満足のために試合に臨むのだとしたら、それは批判されるべきですし、そんな選手が発する「楽しい」という語には薄っぺらな印象が伴います。しかし一流のアスリートが、お金だとか国の期待だとかいう些事を超越して結果を残したときに究極に到達する地点で得る「楽しい」という感覚は、日常的な語彙の範疇における「楽しさ」とは別物なのでしょう。イチローや高橋尚子が発する「楽しい」という言葉に清々しい印象を受けるのは、このためかもしれません。そんな楽しさの境地に達することができたらいいですね。 完璧に自己満足している人は、他人をも満足させる力を持っていると思う。一人よがりで終わってしまうのは、本当に自己満足できてないからだとも思う。
〜原田 宗典
「見てくれている人がいる」 という意識があるから、ここまでやってこられました。視線があるから、できるだけいいものを作り出そうと工夫しました。これは独り語りでは得られない効用です。区切りとして感謝の気持ちをどう表そうかと思ったのですが、僕にはじっくりとこのHPを継続していくことしかできません。わがままな僕は、宣伝活動に励むことなく、自分が居心地のいい空間を確保していくことにこれからも執心するでしょう。僕自身がいちばん楽しんでいるこのHPを訪れてくれたみなさんが、少しでも楽しんでいただけたら幸いです。これからもよろしくお願いします。 カウントをグラフ化してみましたが、実に安定した伸びを示しております。ありがたいことです。 2001年04月07日 |
| . | 010403 雨。 |
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池袋の街を歩いていた。 てくてく。 てくてく。 雨が降りだした。 しとしと。 しとしと。 降りだした。 降りだした。 降りだした。 布団を乾していた。 ・・・。 げ。 走りだした。 ダッシュダッシュ。 ダッシュダッシュ。 走れば10分。 がんばれ。 がんばれ。 雨がざあざあ降りだした。 ざあざあ。 ざあざあ。 あきらめた。 歩く。 てくてく。 てくてく。 風も強かった。 びゅうびゅう。 びゅうびゅう。 桜、散る散る。 散る散る桜。 チルチルミチル。 それ、青い鳥。 家に着いた。 風にあおられて、 布団がベランダに落ちていた。 泣いた。 しくしく。 しくしく。 さめざめ。 くすんくすん。 かわいくない。 ぜんぜん、かわいくない。 布団、びしょびしょ。 びしょびしょ。 びしょびしょ。 美女美女。 好きです。 桜の花びらと、 土にまみれて、 布団はただ横たわっていた。 美しくない。 ぜんぜん、美しくない。 洗濯しなきゃ。 洗濯。 選択。 命の選択を(明朝体)。 それ、エヴァンゲリオン(第拾八話)。 イッチロー。 イッチロー。 イチローメジャーリーグデビューに捧ぐ。 余計なお世話。 この日記、 手抜きですか? はい。 2001年04月03日 |
| . | 010401 僕は金城武に似ているらしい。 |
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あっ、投げつけるモノ探さないで。早まらないで。ちゃんと説明するから。ちゃんとね。 酒を呑んでいたときのことです。向かいに座っていた友人が、ポツリと言いました。 「おまえ、雰囲気が金城武に似てるよな」 いや、だからさ、刃物持ち出さないでってば。僕だって、「はん?」てな反応返したんですから。それに、よく読んでください。こいつ、「雰囲気が」と言ってます。「顔が」なんて決して言ってません。「落ち着いた物腰」だとか「はにかんだ笑顔」だとかを含めた「雰囲気」が、似てると申しておりました。申してたんだから仕方がない。おれは悪くねえぞ。つうか、おまえは金城武のなにを知っておるのだ。 ともあれ、こう言われたという事実はもはや動かせないのであります。だから、 「おれさあ、金城武に似てるって言われたことあんだよね」 とか言っても嘘ではないのです。真実ですね。そうですね。 しかしこの友人には以前に、 「おまえ、首の太さが山崎まさよしに似てるよな」 とも言われましたからね。着目する部分が謎。真実味極微。あくまでも顔ではないらしい。がっかり。いや、「似てると言われたことがある」という事実を胸に、これからも僕は生きていこう。そう、僕は金城武と山崎まさよしを足して二で割った顔。そんなキャッチフレーズ。そんな歪曲広告。そんな勘違い。 2001年04月01日 |