■ 2000年12月
. | 001228 ありがとう。 |
感情を言葉に置換するのが苦手です。苦手だからこそ、挑みたくなります。ある漠然とした想いがあったときに、それに迫る言葉を探し探して重ね重ねて想いの外縁を描きます。そして伝えます。この行為は尊いものです。言語を与えられたからには、それをあやつり遊び、不得手でも不格好でもいいから心のこもった言葉を発したいと思います。たとえ時間はかかっても。 だけど、 「ありがとう」と、「ごめんなさい」。 このふたつは別です。シンプルで、ストレートで、飾りがなくて、工夫がない言葉。でも僕はこの言葉が大好きです。他にもいくつか同じ意の言葉はありますが、それに置換することなく、このまんまが。 感謝と、謝罪。 この感情を表すのにとりあえず修飾は不要です。理由や理屈が必要な場合はあとからいくらでも付随させることができます。だから僕はこれらの言葉に関しては、云うべきときにおいて迷うことなく発するように心がけています。照れや見栄や慣れが、発することを阻害することがあるけれども、できる限り。それ以前に感謝、謝罪、これらを鋭敏に感じ取れるような人間であらなくてはなりませんね。この気持ちを忘れるくらいにまでに心を磨耗させたくないですね。 あ、もうひとつありました。シンプルで、ストレートで、飾りがなくて、工夫がない言葉。想いを伝えるのにこれ以上も以下もない言葉。ここに書くことはできません。云うべき相手がいて、ふさわしい場所があってのものだからね。 2000年12月28日 |
. | 001227 競馬ネタは2回目。 |
有馬記念は、ファン投票一位選出、そして一番人気のテイエムオペラオーが勝ちました。数々の記録を打ち立てて。その苦戦っぷりが逆に強さの証明になっている、そんな珍しいタイプの馬です。第4コーナーを回ってきたとき、彼は馬群の壁の後方にいました。中山競馬場の直線は310メートル。短いです。「こりゃ、ダメだわ」と、誰しもが思ったはずです。「残り310メートルしかありません」と実況が叫んだ21秒後に、しかし彼はゴール板前を2着馬を鼻差かわして駆け抜けました。鳥肌が立ちました。信じられませんでした。馬群の中に消え去る姿を予感した次の瞬間の光景がこれですから。リプレイを見て確認しました。彼は、馬群を、切り裂いた。 今から10年前の1990年12月23日の有馬記念で、オグリキャップがその引退レースを勝利で飾った、それを目撃し、震え、泣いた(ウソ)とき以来、幾度もこのような鳥肌の経験をさせてくれました。それが競馬です。脳がじんわりとシビレるような興奮というのは、競馬以外では(野球においてさえも)味わうことができません。人知及ばぬ世界で繰り広げられる劇であるからでしょうか。 オグリキャップ。 ここ10年で僕が心底すごいと思った馬を挙げてみました。かなり、厳選されております。これでもか、というくらいの強馬たちです。競馬を知らない人でも、名前くらいは聞き覚えがある、そんな馬たち。こうしてみると、彼らド本命が期待にこたえ堂々勝利するのを期待しつつ観戦していた僕の、好みとするところが浮かび上がりました。ずばり、王道が、好きなのですね。出自関係なく、中央競馬で覇道を突き進んでいった馬たち。記録を作った馬たち。ドラマを見せてくれた馬たち。ミーハーとのそしりを受けようとも、僕は勝利した馬、というのを好きになってきたな、と思います。王道を駆けた馬。 王道があるから、わき道が光ります。邪道が魅力を帯びます。王道をひた走ることは、ともすればつまらないことのように思えるかもしれません。ですがもっとも実力を要求され、勇気を必要とし、孤高に立たねばならぬ覚悟を強いられるのが、王道を歩むということです。現実そのような生き様を呈することはむずかしい。いや、僕にはできない。ならば馬にその姿を求め、そして与えられたときに、夢を見、感動に震えることは悪いことじゃないでしょう。 今まさに、「王」の名を与えられた競走馬が頂点に君臨しています。そして世紀をまたぎます。しかし次なる世代がその座を奪わんと待ち構えている。途絶えることない連綿たる一大叙事詩が展開されている。観衆はそれを甘受すればいいんですからね、幸せなことです。馬および裏方を預かる人々に感謝。 競馬について書くとどうしてこうも熱くなるのか(前例;000430)。 2000年12月27日 |
. | 001223 『BATTLE ROYALE』 高見 広春 |
「そこで今日は、皆さんに、ちょっとした殺し合いをしてもらいまーす」 一九九七年、大東亜共和国。修学旅行中の香川県城岩町立城岩中学校三年B組の42名は、国防のための戦闘シミュレーション、通称"プログラム"に参加させられることになる。42名中、生き残ることができるのはただ一人。殺らなきゃ殺られる。凄惨なデス・ゲームが開幕する。 さて、このような小説です。読んでみたくなりませんか?なりますよね。こんな小説が表舞台に出ることはかつてなかった。僕も読みました。正直に言えば、興味津々で。 おもしろい、とは言えます。一気に読んでしまいました。展開に引き込まれ、ラストが気になり、途中でやめることはできませんでした。読了。おもしろい。でも、ただそれだけでした。感想は、ただそれだけ。こんな中途半端な感想を抱いてしまった理由はどこにあるのでしょうか。 登場人物たちが「動かされている」と思いました。登場人物は胸を打つ(ように思われる)行動をとったり、セリフを吐いたりします。しかしながらそれらがみな、「空々しい」という印象を与えます。そこに作者の作為が見えてしまうから。登場人物すべてが、作者が意図する方向に物語を進展させ、そして着地させるための道具に過ぎない。たしかに残酷、非道な描写が随所に見られ、それが現在のブームや批判を巻き起こしているわけですが、これらにしたところで読んでいてそれほどの衝撃を感じない。いかに血なまぐさい描写が繰り返されようと、その演出の仕方には荒さがあります。「狙って書いている」作者の顔が見え隠れします。 だけど僕はこの作品を、称えます。「クラスメイト同士の殺し合い」こんなテーマで小説を書こうとした出発点。スティーヴン・キングの初期作『THE LONG WALK』にもみられるように(少年100人による「ロング・ウォーク」という競技。最後の一人になるまで歩き続けなければならない死のレース)、「デス・ゲーム」というテーマで書かれた作品は過去にもありました。しかし、日本においてはこれまで、この作品ほどに一般の鑑賞に耐えるエンタテイメントとしての完成度が高い(逆に言えばそれだけ衝撃性は薄まっている)作品はなかったのではないでしょうか。だからこそ現在矢面に立っているのですが。設定を「現在の」「日本の」「中学生」にした時点で(批判も含めた)ムーブメントは約束されていたのでしょう。よくもまあそんな長編を書ききったものです(皮肉です)。しかしこれだけのテーマを扱っているのにもかかわらず、前段でも述べたように「軽い」んですよね、読後感が。そこがもったいない。このテーマを消費してしまった責任は果たし切れていないと思います。後人に同じテーマは扱えませんね、当然ながら。エンタテイメント小説として読むに耐えるものまでになしたところは評価できるでしょうが、できることならもっと丁寧に扱って欲しかったです。この作品をして人間の心が描かれているなどと言うことは、いささか人が良すぎると思います。この作品を通して感じられる心は、作者の作為、ただそれだけです。 文学賞からは締め出しをくらってしまったということですが、これは幸いではなかったでしょうか。これが評価を受けるような風潮であってはなりません。認められてはなりません。ですがこの作品を闇に葬れ、と言っているわけではありません。批判の対象として存在することは許されなければなりません。この作品を批判する勢力がなくなることは怖いことです。ただし、排除してはならない。 今現在は、映画化にともない、この作品がひとつの現象としてとらえられています。作品を離れた論が展開されるようになってしまいました。「徹底的な批判」あるいは「弁護的な立場からの論評」が主となっています。批判・弁護は、評価とは別物。冷静にシンプルに作品としての評価を技量的な面からするならば、ストーリテリングの上手さはある、ただその作品世界の構築が単層、これが疾走感はあるものの読後感が物足りない理由となるところでしょう。映画は観てはいませんが、監督や脚本家が批判を前提として確信犯的にこの小説の加工に立ち向かっている(と鑑賞者である僕が思っている)以上、感想は似たようなものになると思います(なんだかんだ言って観てしまいそうですが)。 純粋にこれを「作品」として見たときの立場から論評してみました。「青少年に与える影響」という方面からの批判や弁護が巻き起こっているのですが、それについての言は特にありません。だって言うまでもないことですしね。たしかに批判の対象となるべきものだけれども、封じこめるのは間違っているよ、と。もう一つ言えば、無闇な弁護もまた作品のためにはならないという意味で危険だよ、と。「ありません」と言いながら言っちゃってる。 この作品が日本における新しい物語の誕生の契機となることを、僕は期待します。もっともっと次元の高いところまでテーマを昇華できたら、批判すらも飲み込むことができるでしょう。ですが、「おもしろければよい」「売れればよい」という誤った方向への流れが加速するのだとしたら、悲劇です。おもしろいものには、毒がある。しかしそれには適度な抑止力が働くからこそ、スリリングな進展があります(その意味で、僕は先ごろ問題となった某バラエティ番組の某コーナーの廃止を評価します。芸人自身が企画の枠、そのおもしろさに安易に流されていた感がありましたから)。市民権を得てはいけないものもある、ということです。常なる改革の意識を持った表現者に僕は魅力を感じます。 醜いものがあるから、それとの対比で美しいものはより美しく、そして価値あるものになります。これが醜いものの存在する意義であり、価値です。美しいものばかりに囲まれた世界を、果たして美しいと認識することができるでしょうか。だから『BATTLE ROYALE』は、存在していいのです。世間の目に曝されてもいいのです。そして批判されるべきです。批判対象が存在するからこそ、目を背けたくなるものが存在するからこそ、正しい道が示されるのですから。 だんだんと論旨がぐだぐだになってきた感があります。社会派テーマに手を出すんじゃなかった。だいたい卒業論文よりもまじめに書いてるってどういうことですか、あなた。ちゅうかこのテーマでもっと練ってがんばって書きますから、それを論文にしてもいいですか?ダメ?あ、ハイ、すみません・・・。 参考HP URL; (映画)バトル・ロワイアル オフィシャルサイト おお、そういえば今日は親父の誕生日であります。おめでとう(突然言うなよ。しかもこんなテーマの日に)。 This article is inspired by takka,maruma & moroyan. 2000年12月23日 |
. | 001220 ついに実家から更新。 |
てなわけで、学会も終了しました。あぁ疲れた。だけど刺激的でした。これについてはまた書く機会を設けたいところです(いつになるやら)。神戸まで足を伸ばしたついでに実家にも顔を出して数日のほほんとしているわけですが、この数日で劇的な変化が。パソコン購入です。「アンタがいるうちにややこしいこと済ましときたいから」ということで、僕が滞在している期間に怒涛のごとく購入の手はずが整い、僕が学会から帰ってきたときにはパソコン様が鎮座ましましていました。玄関先に、梱包もとかないまんまに。 つまりは、「お、おれが全部やんなきゃなんないわけね・・・」ということです。母にとっても妹にとってもパソコンは未知の物体。うかつに手を出して噛まれたら大変だからね。わかりますわかります。僕も最初はそうでした。今だってそんなに詳しい知識があるわけじゃないですが、3年くらいは付き合ってきてますからセットアップの方法くらいわかります。てきぱきと接続等をこなしていきました。「おお、おれ、なんかかっこええぞ」と思いましたが見物人は母と妹です。意味がない。 しかしながら新しく購入したこのマシン、優れものです。性能もさることながら、なにしろキーボード、マウスがワイヤレス。これはステキ。使いやすい。その上DVDも見られる。デザインもすっきりオシャレ。安さ最優先で買った僕のベージュ色のマシンとは雲泥です。妹に、「交換してくれ」と申し出ましたが、間髪いれずに「ダメ」と跳ね返されました。くすんくすん。 実家にいる間に僕がやっとかなきゃならない仕事はまだありました。年賀状のデザインです。いつのころからか我が家で出す年賀状のイラストは僕が描くことになっています。大昔に亥年のイラストを描いた記憶がありますから、それ以来だとするとかれこれ19年です。純真無垢(ツッコミどころです)な5才の少年のイラストを採用していたあたり、親もなかなかやります。歴代の年賀状を並べていくと、同時に僕の画力の変遷も明らかになるので、楽しいものがあります。その昔は子供ならではの瞬発力だけで描いていたのですが、最近のはある程度の完成度を求めて苦心している様子がわかります。小生意気な知恵がついた小学校高学年以降は、親も子を操る術を模索していたのでしょう、原稿料としておこづかいをくれるようになりました。1000円。張り切って描いていたのを憶えています。思うツボです。そしてよくよく考えたらここ数年はタダ働きです。イラスト描くと夢中になる性質を利用されています。ちくしょう、まんまと。 と、イラストも描き終えたのですがまだ仕事がありました。妹の家庭教師です。数学の期末テストで驚異的な点数をたたき出して帰ってきたわが妹。宿題のプリントをほぼ白紙のままで持ってきて、「わかんない」と兄の前に突き出します。ここは兄ヅラを発揮する場所、とばかりにプリントに目を通します。が、 「わかんねえ」 いや、わかんないんだってば、高1数学。等差数列って。等比数列って。その総和って。だぁっ。高1数学が理解できない大学生。いちおう理系。来年には大学院生。サマになりません。教科書を読んで公式等を思い出し、なんとなく問題が見えてきますがこれは情けないです。そもそも理論を理解していたならば、多少のブランクがあったって公式を自力で導き出せるのです。いかに高校時代数学をフィーリングでやっていたか、を痛感しました。だから数学苦手なんだってば。弁解しますが3年前には微分方程式も偏微分もフィボナッチ数列もできたんです。フィーリングでだけど。過去の栄光。そして今はできません(やっぱダメじゃん)。それにしても幼い幼いと思っていたがこんなに高等な数学を解くようになるとは、成長したな、妹よ(ふっ)(負け惜しみ)。 これらの他にもおつかいや皿洗い等、いろいろと手伝うこととなったこの数日。いそがしいってば。その報酬として完全にリラックスできる空間を与えてもらってるんですけどね、実家という場所。ところで卒論、どうなってるんでしょう。本日お昼に、東京に戻ります。現実にも戻ります。では。 2000年12月20日 |
. | 001214 ちゅうことで学会に行ってきます。 |
さてさて、日本分子生物学会(12/13-16)へ行ってきます。今日の早朝に神戸に向けて旅立ちます。ので、この日記は前日から書き始めています。なんだそりゃ。4日間の長丁場。生物学関連の学会では日本最大規模。述べ十万人が押し寄せるというからもお大変。会場探しもひと苦労だそうです。別に僕は苦労しないですから知ったこっちゃありません。この期間に僕は岡山の実家に帰ったりなんぞもします。正月は卒論の追い込みでおそらくは帰れないだろうから、今のうちに顔出しとこうってなもんで。この1週間はハードに動き回ることになりそうです。 いや、こんなことはどうでもいいのです(え?)。重大なことがひとつあります。1週間近く東京の家を空けるのですから、冷蔵庫に入っている食材のうち、危険なものは処理しとかなければなりません。腐らせるのは信条として許せません。豚肉は昨晩、うどんと共に煮込んで処理しました。納豆は一昨日、賞味期限後4日経過したものに果敢に挑んで制覇しました。牛乳も飲み干しました。連戦連勝です。しかし、強敵が残っていました。 生玉子6個。 これをすべて処理しなくてはなりません。もう購入してからそこそこ経過しているので、1週間後には危険な状態になっているものと思われます。食うなら、今しかないのです。だいたい10個入り1パック100円のときに考えなしに買ってしまうからこういう事態になるのです。バカ。あとのスケジュールと相談してから物買え。金額的な面から言えばたいしたことではないのですが、だからといって廃棄してしまってはダメです。食べ物の神様に怒られちゃう(誰?)。しかし、生玉子6個。これを一晩で消費するのはかなり苦しいものがあります。ジョッキに入れて一気に飲み干してしまいましょうか。罰ゲームじゃん。そもそもうちにジョッキなんて、ない。いろいろと調理法を考えてみたのですが(なんとかして食おうとしてはいるらしい)、なかなかこれといったものが思いつきません。さらに冷蔵庫をごそごそ探してみる(までもないほど小さい)と、もうひとつ、処理すべき食材が見つかりました。 ちくわぶ。 決定です。「玉子+ちくわぶ=おでん」という公式から(今作った)導き出されたとおり、おでんを作ることになりました。文句は言わせません。玉子とちくわぶだけのおでん。これっておでんと呼称してよいのでしょうか。「玉子とちくわぶの、おでん風煮込み」ではないでしょうか。まあいいのです。おでんです、おでん。 茹でた玉子と適当な大きさに切ったちくわぶを「S&B おでんの素」といっしょに煮込みます。楽勝です。頃合いを見計らって火を止め、いったん冷まします。冷まさないと味が内部に浸透しませんからね。で、また温めなおして完成。立派なおでんです(言い張る)。器に盛り付けてみました。 煮玉子6個とぶつ切りのちくわぶ。 色気もへったくれもありません。全面的にセピア色です。思い出は彼方に。おでんというからにはやはり具だくさん、どれから手をつけていいのかわからないくらいのにぎやかさが命だった、ということを知りました。今、眼前にあるおでん(のようなもの)における、選択肢は二つしかありません。寂しいことこの上なし。でも食いますさ。 元来僕はおでんの玉子が大好きです。普通おでんをみんなでワイワイつつくときは、割り当て上の問題もあり1個、ないし2個くらいしか食すことができません。かなうものなら3個でも4個でも食いたい、とずっと思っていたのです。その夢が今まさにかなうとき。・・・だったはずなのですが。 ちがいます。ちがうんです。玉子だけ連続で食ってもうれしくないんです。その箸休めはちくわぶ。これもちがう。そもそも味からしてちがいます。なんか平板です。調味料の味しかしません。そう、普通のおでんの玉子というものは、いろんな具材から染み出たダシを吸収して、あの濃厚な味を構成していたのですね。ちくわぶからダシが出るでしょうか。出そうにないです。口の中がいいかげんモソモソしてきて、玉子3個食った段階でギブアップ。これだけでもカロリーやらコレステロールやら、一日の推奨摂取量をあきらかにオーバーしています。でもまだ半分残っている。とりあえず鍋に戻しました。 さて、あと数時間で出発です。残る玉子3個とちくわぶ少々。これどうしましょう。どうしたらいいですか(聞くなよ)。学会発表の準備もこれからしなきゃならんのですよ。鍋の中にアレが残っていると思うとうんざりです。かといって残して家を出るわけにもいかない。なんだか調理前よりも処理が難しくなってしまったような気がします。どうすりゃいいんだ(たぶん食うんだろうな、なんだかんだ言って)。 ◆ 付記。あ、あのですね、この日記を書いている間にも、件のおでんを煮込んでいたんですよ。で、その、書くのに夢中になってまして、空焚き・・・させてしまったんですね、鍋(ぷーさん寄贈。000917参照)を。ええ。いやあの、今回のは、まだ再起可能なんで、こ、これから、がんばって磨いて、コゲを落とします、はい(落涙)。なお、コゲついたおでんの残骸は、廃棄です。前段落の逡巡はいったいなんだったんだ。ああもったいない。 やっぱり僕、天然なんですかね?>まさぱん 2000年12月14日 |
. | 001213 だから大丈夫。 |
昨日の自分と今日の自分。 昨日の空と今日の空。 2000年12月13日 |
. | 001212 どおりで軽いと思ったんだよ。 |
基本的に服装には無頓着なのですが、たまにはおしゃれさんになります。今日は池袋に行く用事があったので、いつもの120%くらい服装に気をつかってみました(あんまり変わんないじゃん)。グレーのロングコート(お気に入り)にダークグレーのタートルネック、黒のスラックスに原田宗典氏とお揃いの革靴。完璧です。いっちょうらのオンパレードです。逆にいえばこれら以外におしゃれの術を知りません。全面的にこれでもかっ、というくらいに黒です。お前色の合わせ方知らんだろ、と突っ込まれそうですがその通りです。だってめんどくさいんですもん。いいんですよ、シック(便利な言葉だ)にキメてるんですから。 実験を切りのいいところまで終わらせてから、意気揚揚と池袋に向かいます。学校の近くの駅から都電に乗り込み、ものの10分足らずでそこは池袋。若者の街。都会。といいますか、海辺の田舎町育ちの僕にとってみれば東京はどこでも都会。東京と名がつけば奥多摩でも沖ノ鳥島でも(言い過ぎ)。そんななかでも正真正銘の都会、池袋(こういう風に認識している時点で田舎者だ、と言われたことがあるけど)に出向くのですから、それ相応の格好をしなければならないのです。と、いうことで今日の僕は冒頭のような格好に身を包んでいるのです。これなら池袋を闊歩しても問題あるまい。ふっ。・・・などと思いつつ都電の車中で足を組みかえたとき、視界にとんでもないものが飛び込んできました。 サンダル。 どうしたサンダル。なぜサンダル。原田宗典氏とお揃いの(また言う)革靴はどこに。そうそう、今日はなんだか整髪料までも髪に塗りたくってきたのでした。いつもは起きたまんま、クシすらも通さないっていうのに。そこまで気合を入れたんです(なぜにそこまで)。頭のてっぺんからつま先まで、身だしなみに気をつかって家を出たはずです。それなのに、 サンダル。 ・・・事情をご説明申し上げましょう。研究室においては、実験室が多ヶ所に分かれていて移動が多く、また、衛生上土足厳禁となっている部屋があって靴からスリッパに履き替えなければならない機会が多いのです。ですから多くの学生は、革靴なりスニーカで学校に来て早々、研究室に置いてあるサンダルに履き替えてから実験に臨みます。フットワークがよくなりますからね。そして僕も同様です。寒さが足に沁みるようになってからはさすがにビーチサンダルを放棄し、普通の靴で登校するようになりました。今日もまたその習慣どおりに、革靴で登校し、サンダルに履き替えて、実験していたのです。で、また革靴に履き替えるのを忘れたまんま、池袋へと出発したのですね。だから、 サンダル(三回目)。 これは恥ずかしいですよ。いちおうその他の服装はまがりなりにもきちっとしているのです。だいたい元がオプションをつけたところでたいして見栄えのしない風体をしているのですがそれでも服装だけはがんばってみたんです。それなのに足元は、サンダル。いいオチになっています。しかもこの格好で池袋の雑踏をかきわけ、豊島区役所に出向き、大学院入学手続きに必要な「住民票記載事項証明書」を発行してもらわなければならない。こんなごくごくまじめな用事なのにもかかわらず、いっぱしの整った格好をしているのにもかかわらず、足元はサンダル。コントです。 気付かれやしない、と思いつつも心なしか早足。速度を上げてサンダルであることを認識させないようにしよう、との魂胆です。足元が残像になってくれればしめたもの。おれがかっこつけようとしたところで無理があるのよね、と逆ナルシスト状態に陥った、そんな12月にしては異様に暖かい冬の日(結びの言葉、変)。 ついに研究室のパソコンで日記を書き、あげくの果てにアップまでしてしまいました。 2000年12月12日 |
. | 001207 have a backache |
腰痛です。ええ。ならない方がおかしい。卒論、実験データ整理、チャット、HP更新と、ずっとパソコンの前に座りっぱなしです。コタツに入ってあぐらを組んで。いちおう壁を背にしてはいますが負担はかなりのもの。毎日気がついたら「めざまし天気」。おれは目覚めてないってば。おやすみなさい。そして5時間くらいの睡眠ののちに研究室へ。ここでは始終せわしなく動き回っています。休む間なし、マイ腰。 ずっと腰の右側が痛かったので、無意識にそっちをかばった体勢をとっていたのでしょうね、昨晩は左側にピリリとした痛みがきました。やりました、左右制覇です。うれしくない。ぜんぜんうれしくない。今思ったのですが腰の左右の別ってどう呼べばいいんでしょうね?「右腰・左腰」?なんかしっくりきません。英語にしてみましょう。「レフト・サイド・オブ・ウエスト」。なかなかカッコいいです。映画のタイトルみたい。 そんな感じですからときどき襲ってくる腰のピリリ痛にビクビクしながら動作しています。うん、ぴったりの表現があります。「腰に爆弾を抱えている」。おお、なんか同情を誘うっぽくていいですね。「肘に爆弾を抱えたエース」「膝に爆弾を抱えたストライカー」と同じくらい、悲劇のヒーローっぽいです。いつ爆発するかわからない、そんなハラハラ感もあります。スリリング。でもちょっと待ってください。改めてこの表現を僕の身にあてはめて言い直してみます。 「腰に爆弾を抱えた大学生(23)」 カッコわるいです。なんかカッコわるいです。そもそも大学生というなまっちろい身分のクセに、なに悲劇をしょってるんでしょう。アンバランスです。部活のスポーツとかで痛めたのならば、まだ弁解の余地はあります。でも、パソコン。インドア。思いっきりインドア。これもカッコ悪さを増幅。「大学生」と「腰痛」とがこれほどまでに不似合いな取り合わせだったとは。これ以上のものはないのでしょうか?たとえば、これはどうでしょう。 「腰に爆弾を抱えた力士」 けっこういい勝負をしているような気がします。「力士」という単語自体にそもそもオチ的な要素があります。「野球選手」や「サッカー選手」と比べても、どこか陽性。陽性なのにもかかわらず「腰痛」なんて陰性な持病を抱えている。これもアンバランスを感じます。感じるのは僕だけのような気がしてきました。まあいいです。このまま進めます。この文章を読んで不快になられた力士のみなさん、ごめんなさい(いない)。 そう、腰が痛いんですよ。今日の主題はこれでした。「腰痛の苦しみは経験しないとわからない」とよく言いますが(そうか?)、まったくその通りで、この痛みは頭痛とも腹痛ともちがったイヤ〜な雰囲気があります(雰囲気?)。いちじるしく集中力が削がれます。もともと集中力のポテンシャルが低い僕ですから、ほんとにもう参ってしまいます。チャットに、もとい、卒論に集中できないじゃないですか。できるだけ休ませるようにして治癒するのを待つしかないのでしょうか。だれかマッサージしてください。ねえ、お願い。 勢いだけでここまで書けました。なにしろ腰に響くので文章を吟味している余裕がありません。過去の日記の中で、文章量と所要時間の比を算出するとたぶん最短で書きました。かなりつっぱしってます。余勢をかってこのままアップしましょう。うりゃあっ。 2000年12月07日 |
. | 001204 素晴らしい記録です。 |
忘れていました。 ひどい書き出しです。文法的にペケです。主語がありません。目的語がありません。誰が?もちろん、僕です。この主語の省略は大目に見ましょう。日記ですしね。言わずもがな。何を?この省略はひどい。なんのことやらさっぱりです。僕がどういう意図で冒頭の一文を発したのか?それは、12月3日に行われた福岡国際マラソンを観戦するのを、です。これを省略してどうすんですか。いくら口数の少ない僕だからって、こんなことじゃ誰にも理解してもらえませんよ。反省しなさい。はい。謝りなさい。ごめんなさい。 では、文法的に不足なく、言い直してみますね。 僕は、12月3日に行われた福岡国際マラソンを観戦するのを、忘れていました。 おーけー、これで国語の先生に叱られずにすみます。よかったよかった。でも、ちょっと待ってください。果たしてこのような書き出しの文章に、読者は興味を抱くでしょうか。そんなに魅力的な書き出しではないような気がします。むしろ最初の、「忘れていました」という言葉足らずな書き出しのほうが、読者は「なになに?」と身を乗り出してくれることでしょう。こう考えると、決して文法的に正しい文章こそが最上なわけではない、ということになりますね。ルールにのっとってばかりじゃおもしろくはならないよ、ということ。これはなんにでも言えることですね。おおっと、なんだか示唆深くまとまりましたね。ふふん。 さて、本題です(あれ?)。その、福岡国際マラソンで藤田敦史選手が日本最高記録を出して優勝した瞬間、僕はみごとに寝ていました。陸上競技マニアの僕。研究室も休みということで楽しみにしていたのに。絶対見逃すまいと思っていたのに。起きたとき、泣きましたね。藤田選手が電光掲示板を前ににっこりと笑っていたとき、僕はだらしない顔で歯磨きをしていました。この対比、どうでしょう。なんか悲しくなります。彼は僕と同年代。その偉業をたたえるのはもちろんですが、同時に自分の励みにもしなきゃね。と、強引なシメ。 本題の方が圧倒的に短いという珍しい構成になりました。 2000年12月04日 |
. | 001203 だから明日ゼミ発表なんだってば。 |
思えば現代における一九という年齢は、自分が子供であることにしがみついていられる、ぎりぎりのラインではないだろうか。子供と大人とを自在に使い分け、両者の間を自在に行き来できるのもここまでだよと、その白いラインは厳しく宣告するのだ。 〜加納 朋子『ななつのこ』
若い、ただそれだけで許されることがあります。日本では、とりあえず19才までは「子供」と認知され、保護もされています。だけどひとたび20才というラインを超えると、等しく大人とみなされます。いやおうなしに。どんなに「いやだいやだ」とだだをこねたって、許しちゃくれない。 僕がこのラインをオーバーしたのはかれこれ3年半前になります。誕生日前日、すなわち10代最後の日に、僕はサークルの友達、先輩と一緒にカラオケに行きました。 「明日おれ、誕生日なんすよ」 とさりげなく(どこが)アピールした甲斐もあってお祝いムード。お祝いを強制した、とも言えます。なかなかのずうずうしさ。僕が歌ったのは、光GENJIの「ガラスの十代」。この歌を10代最後の日に歌うとは、いいセンスしてますね、自分。と、当時は思っていました。思い返すとかなり恥ずかしい。壊れそうなものばかり集めてしまう十代。輝きは飾りじゃない十代。 そして友達が安室奈美恵「SWEET 19 BLUES」を歌ってくれました。 男です。 なにが哀しくて男の歌う「SWEET 19 BLUES」で10代最後の日を迎えなければならないのでしょう。しかもそいつの歌、上手いときている。妙に高音部がキレイ。聴き惚れる自分がいます。こりゃいかん。でも上手い。でも男。複雑な思いで聴いていました。ああ、そういえば当時好きだった女の子も、お祝いしてくれましたね(遠い目をしている模様)。 しかし今気づいたが、なんで唐突に誕生日ネタなんだ、今日の日記。だれかの誕生日か。いやちがう。おれはハタチか。いやちがう。ハタチははるか彼方に。3年半前。これも中途半端。どうせ昔を思い出すならもっと区切りのいいときにしようぜ、自分。どうやら日記、思いつきで書いていることが発覚。いや発覚する以前に周知の事実。そして文体がこの段落だけ変わっている。 コホン・・・。別にハタチが特別なわけじゃなく、いつの自分にも価値があり、いつの自分も好き、こう思えたらいいのでしょう。だけどやはりこの時期というのは特別で、境界にいるからこその、その前とも後とも違う輝きがあるな、と思います。過ぎ去ったからこその思いなのでしょうが。 今、このラインにいる人。その手前にいる人。その「今」を大切にしてくださいね。 だけど私もほんとはさみしがりやで 〜安室 奈美恵「SWEET 19 BLUES」
2000年12月03日 |