■ 2000年3月,4月

. 000430 やっぱ馬でしょ。

風邪もどうにかこうにか回復の兆し(ごほごほ)、起きたらめったやたらと天気がよかったので気分がよくなり、布団干して、新宿までおさんぽしてきました。「散歩」じゃなくて「おさんぽ」です。なぜならこっちのほうがかわいいから。

で、新宿で、馬券を買いました(ちっともかわいくない)。春の天皇賞です。馬券買うのって一年ぶりくらいですね。すっかり遠ざかっておりました。ド本命の単勝を一点、1000円だけ購入。場外馬券売り場っていうのは各地にありますが、なんつーかその、どこでも共通にただようムッサイ雰囲気が好きです。おっちゃんたちが新聞を睨むその眼光に、男を感じます。そんなところにラヴラヴなカップルなんざがいた日にゃあ、ラリアットで張り倒したくなりますな。

そういう僕は90年の有馬記念、オグリキャップのラストランを見て以来の競馬ファンです。高校時の修学旅行(東京)の自由行動の時間に、喜び勇んで東京競馬場および競馬博物館に行ったくらい(ガクランでね)。僕は競馬が、というよりも馬が好きなタイプのファンでして、サラブレッドの芸術品然とした体躯を眺めて悦に入ったりなんかします。その線形をスケッチするのが好きだったり。だから好きな(キレイな)馬がいるときには競馬自体に注目するようになりますが、逆にそういう馬がいないときは徹底的に疎遠になります。僕にとってはサラブレッドは、走らないでただそこにいてくれるだけでいいんですね(サラブレッドの存在意義を否定しているみたい)。そしてサラブレッドを育て、走らせる調教師はじめ生産に携わる人々、あるいは騎手の、サラブレッドを見つめるあたたかな視線が好きです。

そんな馬が好きで好きでたまらない人たちの優しい目と、馬券を求めるおっちゃんたちの鋭い目が混在するところに、競馬の魅力があります(ほお、そうだったのか)。

おおっとその天皇賞、テイエムオペラオーが見事勝利です。いいレースでした。んと、何倍ついたの?え?1.7倍?・・・700円の浮き、か。むぅ〜。

学生・生徒又は未成年者は、
勝馬投票券を購入し、
又は譲り受けることは出来ません

・・・半分だけクリア。

2000年04月30日



. 000424 多分幹事がいちばん楽しませてもろた。

はい、どうも、マジで銀座三越ライオン像の前に腰掛け旗を振っていたバカヤロウです(ライオンにまたがるまでに到らなかったのが悔やまれる。でも通行人の「なんじゃコイツは?」という視線がちょっぴり気持ちよかったらしい)。

「らなさん、イメージと違い過ぎ」との声がありましたが、いやそのあのね、書き込みと、チャットと、そして何より名前と、「イメージが違う」ことはね、自覚してるんですよ。でもね、「過ぎる」って・・・ああ、そうでしょうよ(涙)。ちなみに髪型はですね、そのイメージとの乖離を目指すために、あえてパンクにしてみました。ネタでした。ねらいがズバリでそれはしめしめです。どうです?「かよわく」も「すごい美人」でも「素敵な人」でもなかったでしょう?

引き受けたときは、軽い気持ちでした。ですが人数が増えるにつれ、そして遠路はるばるやってくる人たちの期待の声を聞くにつれ、ガラにもなくちょっとばかりのプレッシャーなぞも感じ始めました。2回ほど、夢でもうなされました。「はうあぁっ、15人しか集まらないよおおおおおおっ(泣)」って。

・・・「恩返し」が、したかったんです。このHPに出会って11ヶ月、たったこれだけの時間に、おそらくはここでなければ決して出会うことのなかったであろう、通り過ぎてしまっていたであろう多くの素晴らしい人に出会うことができました。いろんなお話を聞くことができました。そしてその刺激を受けて僕自身からもいろんな考えが、言葉が生まれました。いろいろなものを得ることができたんです。そういう場所に、そういうみなさんに、そしてpastaさんに、恩返しするつもりでがんばろう、そう思ったんです。それが不要な気負いにつながっていた部分もありましたけど。

重なって僕自身が学校および就職活動方面でヤられ、精神的にまいっていた時期でもあったので、「大だらは」があることが支えになってたりもしました。「ああ、大だらはまではがんばんなきゃねえ」と。ですが同時に、「大だらはが終わっちゃったらどうなっちゃうんだろう?」というのがちょっとした恐怖でもありました。

ですが会が終わり、みなさんからの「ありがとう」「お疲れさま」の声を聞き、それがずいぶんと心に染み、勇気付けられました。「ああ、そうだね、明日もがんばろう」という気持ちになれました。僕なんかを支えてくれたすべての人に、お礼を言いたいのです。

直接、間接を問わず助言をくれ、励ましてくれ、助けてくれた、あらこさん、おき、こきゅさん、いいんちょ、ナカ、ねもさん、むうちゃ、ぷーさん、osamu、Qちゃん、YAMAさん、ほっぽ、まさぱん、ありがとう。

来てくださったみなさん、そしてコ玉さん、ありがとう。

こんな素晴らしい人たちが集う場を作ってくださったpastaさん、ありがとうございました。これからもよろしくお願いします。

そして何よりお忙しい中、そしてお疲れのところ、わざわざ足を運んでくださった原田さん、美保子さん、ほんとうにありがとうございました。お二人の温かな笑顔と、「がんばってね」とのお言葉は何にも代えがたく、「幹事やってよかった」と冥利を尽くしたところでありました。

全面的に「ありがとうありがとう」ばかりで芸がないですが(いや、芸が求められてるわけじゃないけど)これ以外の言葉は思い浮かびません。みなさん、ほんとうにありがとうございました。

なんだか大仰な物言いになりましたけど、つまりは、成功してよかったよかった、ということなんですね。機会がありましたら、またよろしくお願いします。そのときにも僕がでしゃばるかもしれませんし、あるいは参加させていただく立場に回るのかもしれません。いずれにしても、絶対、ふたたびお会いしましょうね!ではっ。


人生の価値は、
その人が何を成したかにではなく、
何を成そうとしたかにある。

2000年04月24日



. 000419 サークルの連中このHP見てねえだろうな(恥)

サークル新歓シーズン、ということで、あちらこちらでコンパが行われています。僕の入っているサークルの新歓コンパも近いということで、ビラ配りまっさかり。現役は退いた身ですが、ちょこっとお手伝いなぞしていました。

ビラを配りながら昔のことを思い出していました。僕が今のサークルに入るきっかけとなったのも、いま自分が持っているビラの束の、その中の一枚でした。あの日、あの時間に、このビラを手にしなければ、僕はこのサークルに入ることはなかったでしょう(それほど偶然性の大きい出会いでしたから)

そのサークル、思いもよらぬほどに僕の大学生活に影響を与えました。サークルと共に過ごした過去3年間だけをもってして、僕の大学生活は大満足のいくものだった、と言い切ることができます。大切な友人が、大勢できたこと。これがなによりの理由なんですが。彼らとともに過ごした時間を、僕は誇ることができます。どこがどう、とは言えないけれど、普通の友達づきあいとはちょっと違った、いや、言い過ぎてしまえば「異常なほどに濃い関係」でしたから。これは自分の友人関係を美化しているわけではなく、輪の外から見ても、そう映っていたようです。

彼らが、今、苦しんでいます。言わずもがな、の就職活動です。「彼らが」などと、僕が客観的に語ることができるのは、僕自身は現時点では大学院進学を決めているからです。サークルの掲示板、チャットで彼らが漏らす一言一言に、苦しさがにじみ出ています。迷いの中で就職活動を少しだけ経験した僕にも、その苦しみが痛いくらいに響いてきます。彼らは、自信を失いかけたりもしています。そんな中で、「もっとちゃんとやっとけばよかったな」「バカだった」なんて、今までを否定するような言葉まで漏れてきています。

でもね、

そんな悲しい言葉は漏らさないで欲しい。
そりゃあね、あんだけバカやってきた日々、時間に勉強でもやっていれば、
なにか変わっていたのかもしれない。
だけど、そう言われてしまうと、
おれは自分が否定されたような気分になって悲しくなる。
君たちはそれぞれにスゴイ個性をもったやつらで、
スゴイ能力を持ったやつらで、
おれは圧倒されっぱなしだった。
おれはそんな君たちを尊敬していたから、
君たちに負けないでついていくために、
何かおれにしかできないことはないか、
おれだからできることはないかを探しながら、
充実した日々を過ごすことができた。
だからね、それを否定しないで。
おれが保証したところでなんにもならないんだけど、
君たちはすごいやつらです。
そんな君たちだから、こんなに苦しい中でも、
それぞれの成功を手にすることができると思うよ。
おれが進もうとしてる道にはっきり言って将来の保証はなくて、
その中で強いられる努力や苦しみは君たちのものとはちょっと異質だと思う。
でも君たちの姿を見ることで、おれもがんばろうと思える。
だから、もうちょい耐えてみ。
おれもがんばるから。

・・・こんな彼らに出会えたことに感謝しつつ、今度は僕が今手にしているこのビラが、そんな出会いのきっかけになったらいいなと思いながら、僕はビラを配っていました。

え〜〜〜〜〜っと、この物語はフィクションです(そうとうコッパズカシイらしい)。

2000年04月19日



. 000410 桜。

我が家の脇を流れている神田川沿いには、桜並木があります。
今はまだ硬い小さなつぼみですが、
これが一週間後には満開になり、
さらに一週間後には若葉におおわれる。
そんな劇的な変化の予感は今のところ
微塵も感じさせません。
そんなエネルギーを一体どこにしまっているのでしょう。

この桜が開くと、3年前上京してきた日のことを思い出すのでしょう。
まさにその日、満開の桜が迎えてくれました。
不安だらけでした。
それでも桜を見るとなんだかほっとしました。
以来1年が経ち2年が経ち、
いろんな経験を経て毎年この桜を見るわけですが、
そのたびにふと原点に返ったような、そんな気がするのです。
今年はどんな気持ちでこの桜を見るのでしょう。

(00/03/25)

…実際には開花はこの日から2週間も経ってからだったんですけど。ここ2日、花見をする機会がありましたが、桜を見て素直にほんわかして、うかれることができる自分を感じて、安心しました。よかった、まだ余裕あるね、って。

神田川沿いの桜は満開で、
でも早くも若葉が顔を出してきていて、
数日もすれば主役に踊り出る、
そんなエネルギーを外に漏らさないように今はまだひそかに。
家のベランダには花びらが舞い降りてきていて、
洗濯機の排水と混ざり合ってそれを見ると、
春も折り返しなんだねと、そんな気分。

(00/04/09)

と、こっちは某掲示板に書いた文章。「おまえ誰やねん?」というツッコミはなしでお願いします(笑)。前の散文よりももう少し詩的に(自分で分析してりゃ世話ないけど)。一人暮らしの男の生活感が垣間見られるところに自分らしさが。

で、本題(笑)。この書き込みを見てね、誉めてくれた人がいたんです。とてもうれしかったんですよ。照れましたが。自分の予期しない方向からの批評だったんで、面食らった分、素直に喜べたというか。その言葉、了解を得てはいませんがちょっと引用させていただきます。

一人暮らしかご結婚されているんでしょうか?やっぱり、言葉に表れる生活感って、自分の中から生れたものと、どこかでインプットされたものを引っ張り出してきているだけなのって、違うってわかります。それに洗濯排水に桜の花びらっていう対比が、すごく美しかったです。じーん。

なにか言葉が生まれたときに、形にしたときに、誰かが拾ってくれて、反応を返してくれる。創作のベースにあるこんな喜びを、今日また、感じることができました。

2000年04月10日



. 000331青。

絵が、好きです。今はもはや見る専門ですが。

先日、「絵のことはワカラン」と自認している友人が、「おれがぜひ見たいと思っている絵は、『雲ひとつない青空』をキャンバスいっぱいに描いた絵かなあ」と言ったんですね。ちょっとした衝撃でした。「青ってねえ、難しいんだよね、使うの」と、その時はこう答えただけでしたが、よくよく考えてみると、スゴイ絵なんですよね。実際見たことないです。『雲ひとつない青空』を見事描ききった絵があったら、ぜひ見たい、と思います。

ではなぜ、この絵がスゴイのかといいますと(以下自論です)、まず、先述したとおり、「青は、使いにくい」というのがあります。青というのは自然界において、「空」と「海」以外にはめったにお目にかからない色です。ですから必然絵の中に使う場合、空と海を描くときに主に用います。ですがキャンバスに乗ったときの絵の具の「青」は、空や海の「青」とは異質なんですね。もちろん、青は美しい色です。ですがそのために、絵の中の他の要素・他の色の美をぼかしてしまいます。それでいて(ここが重要ですが)、空や海の青の美しさには、どうしたってかないません。ですから、青を見事に使い切った名画というのは少ないですし、事実使われる頻度もそんなに高くはありません(天然顔料としての青が美術史において長らく貴重な存在だった、というのもあると思います)。

そしてもうひとつ、青は、「美しい」と同時に「哀しい」色である、というのがあります。空や海の青は、絶対的な美しさを持っています。ですが、絵の中に登場する青というのは、見る者に「哀しい」という印象を、どうしても抱かせてしまうものです。衣服の青や、陶器の青にしたところで、「哀しい」という印象を少なからず与えてしまいます。これを意図する場合は別として、そうでない場合、青は、明らかにジャマになってくるんですね。

ピカソの中では、「青の時代」の作品がいちばん好きです。それは、そんな「青」に正面きって挑み、「美しさ」と「哀しさ」が絶妙なバランスで展開される絵を成したからです。青の持つ「哀しい」面を操ることに成功しているからです。さらに、こちらは最近知った画家ですが、フェルメールという画家がいました。寡作にして同じ構図の絵を多産している、というのが難点ですが、この画家の使う青は、とてもみずみずしい印象を与えます。『青いターバンの少女』という代表作がありますが、そのターバンの青は、少女の可憐さを見事引き立てていると思います。そのほかの絵(ex.『地理学者』』)においても、青が実に印象的に用いられていて、青の「美しい」面を操りきっている、という印象があります。

これら好例はありますが、青を使いこなした絵、というのは数が少ないです。ですから僕は、『雲ひとつない青空』を描ききり、かつ空の美しさに匹敵するほどの美を構築した絵を、見たい、と思うと同時に、幻だよな、と思ったのでした。

高校生時分に僕は油絵を描いていましたが、一度、まずキャンバス全面を青で塗りたくって、その上に青の要素のない(カラスの)絵を描く、という荒業をやってみたことがあります。この絵、無論稚拙なものですが、背後から湧き上がる青が不思議な印象を与えて、僕自身いちばん気に入った作品となりました。だから、青に関して特別な思い入れがあったのですね。

で、そのフェルメールの展覧会、「フェルメールとその時代」というのが近々、大阪市立美術館で開催されるんですよね。うをっ、めっちゃ行きてえ〜。

2000年03月31日



. 000317 オリジナリティって。

ぷーさんのHP、『phosphorescence』の中のエッセイ「オリジナリティ」を読んで触発されて書いてしまった文章。

僕の文章もあとで読み返したときに、「ううむ、平凡だよなあ」って思います。でもそれと相反して、「この文章はおれにしか書けない」とも思います。作文の上で影響を受けた作家、思想の上で影響を受けた作家はつらつらと思い浮かびますが、やはりこの文章は僕のものなのです。では、他者から見たときのオリジナリティの基準って、どこにあるんでしょう?

例えば、音楽。僕は詳しい事はわかりませんが、「メロディはもはや出尽くした。残っているのは不協和音くらい」とかって言ってた人がいましたね(デヴィ夫人に「芸能界のパラサイト」という名キャッチコピーをつけた某音楽プロデューサ)。確かに最新の曲を聴いたところで、「どこかで聴いたメロディだね」という印象を抱く事は多いですよね。それでもやはり、人を感動させる音楽というのは生み出されつづけます。それは、音楽というものが、決して旋律ただそれだけで評価されるものではないからでしょう。歌い手さん、声、演奏、歌詞、これらの要素が重なり合って音楽は命を与えられるものですし、その歌がどんな時代に、どんな場面で歌われたかによって、名曲という地位を与えられたりします。そう考えると、どれがオリジナル、なにがオリジナリティか、というのは非常に微妙で曖昧です。

それは文章についても同じことが言えると思います。単語、表現、発想その一つ一つを取り出してみた時に、さほど目新しさを感じないものだとしても、その文章が誰によって書かれ、どんな媒体で発表され、誰によって読まれるのかそれらをひっくるめて考えた時に、やっぱりその文章はその人のオリジナルなのだ、と考えていいんじゃないかなと思います。たとえ受け売りの知識を垂れ流した文章であっても、そこにはその知識を選択した発信者の意思がわずかではあっても介在するでしょう。これをしてオリジナリティなどと称すことにはやはり抵抗はありますが、オリジナリティの基準というのをこのくらい低く考えてみるのもいいと思います。そもそも現代の表現の世界で、厳密な意味でのオリジナルという地位を確保するのは不可能でしょう。それこそキレるか、トぶか、そうでもしない限りは、ね。

僕がこの文章を書いたのは、ぷーさんの文章を読んだからです。それがぷーさんの言葉だったから、ぷーさんの考えだったから、僕の中でなにかが反応し、思うところがあり、応えるところがあり、言葉が出てきたわけです。こんなささやかな事実だけでも、ぷーさんのオリジナリティは保証されるんじゃないかな、と思います。そしてせめて自分だけは自分のオリジナリティを認めてあげよう、と思うのです。

「I love you.」という言葉であっても、これを発する人と受ける人、2人にとってみれば世界に2つとない言葉になるのですから。

2000年03月17日



. 000301 なぜか金閣。

――行き当たりばったり。

が、僕の信条である。いや、信条というか普段考えなしに動いてるから結果的に行き当たりばったりと言われてもしょうがないことになっちまう、といったほうが正しいのか。いずれにしても困ったヤツである。で、その行き当たりばったりもここに極まれり、ということになってしまった。−なぜか金閣、である。

春休み。やたらとヒマヒマな僕は帰省することにした。例によって青春18きっぷを用いてののんびり帰省である(片道13時間)。ヒマと体力が有り余ってるからこそ出来る芸当、と言える。これだけの時間を宙ぶらりんにしておくわけもなく、しっかりと文庫本5冊を携帯していた。村上春樹4冊と北村薫1冊。お供として村上春樹を選んだのは、当時の自身の精神状態にピッタリなのではないかと思ったからである(実際そうだった)。北村薫は待望していた新刊である。それが、『冬のオペラ』であった。

3月1日、本日解禁の青春18きっぷを改札にて意気揚々と差し出す。午前4時40分。ここまで気合の入った18きっぷユーザーもいないだろうが、その用途は「帰省」といういたって地味なものである。何の野望もない。ただただ安く帰省できればそれでよし。この時点での僕はストレートに乗り継いでさっさと家に帰る、ということしか考えていなかった。

名古屋を通過するまでは眠りこけていた。前日徹夜だったのだから無理もない(とは言っても僕の生活リズムは何をして「徹夜」と称すのかが曖昧なくらいに不規則であるのだが)。不自然な姿勢で寝ていたもんだから首が痛くてしょうがない。もう寝るのも限界かな、ということで読書に移行することにした。そこでまず取り出したのが、『冬のオペラ』。

北村薫は、日常の謎と、そこに潜む人の心の陰と陽を描く達人である。人が殺される、犯人を探す、という定型にはまらないミステリを生み出し、ミステリの魅力を改めて教えてくれた作家で、僕も昨年来どっぷりと浸かっている。この中編集もその期待に違うものではなく、ゆれる電車と首の痛みと格闘しながらも猛烈な速度でページを捲っていった。そして中編3編目、表題作「冬のオペラ」を読了した。

その無駄のない筆致、さわやかな読後感に酔ったのは毎度のことだったが、今作において格別に僕の心を打つものがあった。京都の情景描写のすばらしさ、である。主人公の目と言葉を通して語られる冬の京都の風景は、白く輝いていた。雪の白、花の白が鮮やかに描かれていた。見たい、と思った。そこで、はたと思い至って時刻表を開いてみた。

京都着 13:44

電車は近江八幡を過ぎたあたり。あと30分ほどで到着する。心は決まった。「そうだ、京都行こう」である。まさに「行き当たりばったり」、なんと単純。しかし作品世界から思い描かれる風景、言い換えれば一流の作家の目を通した風景と、僕自身が直に見る風景の差異はどのようなものなのか、僕自身の目には京都がどのように映り、どのような言葉が生まれるのか、抗しがたい魅力に突き動かされて、春まだ浅い京都に途中下車することに決めた。

京都駅。4年前に受験で訪れたときには改築中だったが、このたびその完成形を見ることとなった。・・・アホである。浮いている。要塞を思わせる威風堂々たる外観。前衛建築と考えれば建物自体は悪いものではない。問題はこれを京都のド真中に配する美的センスである。世界遺産にも登録された京都の町並みにあまりにも似つかわしくない。こんな批判をいまさらしてもしょうがないとは思うのだけれどね。

さて、ここで主人公の足取りを追ってみるというちょいと小粋なことをやってみようじゃないかと考え、文庫本を取り出しページを捲ってみた。どうやら嵯峨線に乗り換え、花園へ向かえばいいようである。ガイドブックも地図もなしに観光に乗り出すのもいいもんだね(というか僕の場合いつもそうだ)。

花園駅。ここもまた近年改築が行われた様子で、やたらと小奇麗である、東京郊外のニュータウン付近の駅を思わせる。機能的だけれども殺風景な駅舎(という単語も不似合いだが)にまた少し期待を裏切られた気分になった(旅行者の勝手な見解としてだけど)。主人公はここで、風花に出会う。

名前もやさしい花園の駅のホームに降り立つと、白いものがすうっと目の前に流れた。出来過ぎた話だが、駅に合わせたように−風花だった。見上げれば、微かに日の差す空から次々と小さな点が舞い降りてくる。

残念ながら現実にはこのような素敵な光景には出会わず、したがってなんの文学的表現も思いつかなかった。無から有を生み出すほどの想像力にも欠けていた。ここに作家と僕との隔たりがあるのだろうな。

主人公を追って妙心寺へ。広い敷地のなかの、「松と土塀に囲まれた道」をぷらぷらと歩く。やや寒いのだがコートを着て散策しているとじわりと汗ばんでくる。思えば今年に入って春を感じたのはこの時が初めてであった。知らず入り込んだ庭の一角にししおどしがあり、ちょっとした感慨を覚えてナゾに写真を撮ってみる。このときそんなことをしている自分を第三者的に見下ろし、そして思った。

「・・・なんでおれ、京都にいるんだろう」

・・・まあ、深く考えないことにしよう。

(主人公と同様に)妙心寺を抜けて、さて、と考える。やはりもうちょっと足を伸ばして鹿苑寺間で足を伸ばしてみよう、そして主人公は修学旅行で行ったことがある、という理由で敬遠した龍安寺と仁和寺にも寄ってみよう、と、とりあえず(そしてめずらしく)プランをたててみた。歩くと結構な距離である。荷物が重く肩に痛い。実は作中、主人公もロッカーに預けられなかったバッグの重さに辟易しているのである。こんなささやかな共通点が、なんだかうれしかったり。

鹿苑寺、といえば金閣。僕にとって見れば初である。修学旅行で京都に来ることがなかったのだよね。ちょっとばかりウキウキしてみたが、拝観料400円ということで水を差された。「む、金、とるのかよ」。貧乏旅行を決め込んでいたのだが、ここでケチってもしょうがないのでしぶしぶ払うことにする。それだけのものは見せてくれるんだろうな、コノヤロウ、と、およそ場に似つかわしくない意気込みで入場した。

「・・・金色にも程がある(桂小枝で)」

この一言に尽きる。金閣、おそるべし。ほんとにきんきらきんである。それでいて悪趣味の域には収まらないだけの壮麗さは感じさせる。周囲の自然の美に精一杯対抗しようと試みた姿にも思えた。これさえ見られればあとは用はねえ、こちとら急ぎなんでえ、とばかりに残りは足早に駆け抜けた。滞在時間は20分にも満たなかったのではないか。まったくナメている。

しかし、抹茶羊羹色の池は、まことにスケールが大きい。実際以上に大きく感じられる。島の一つ一つがふうっとふくれて人間の住んでいる異郷に見えたりする。なるほど、これだけの背景と張り合おうとすると、建つ建物は《金閣》になるのかもしれない。

それにしても目に付いたのは鹿苑寺のすぐ隣にそびえ立つ(というには貧相だったが)ラブホテルであった。こんなところまで来てイタしたいのか、それともこんなところだからこそイタしたくなるのか、深遠なるテーマの振りをして少しばかり考えてみたが、結局、まあ、どっちでもいいや、ふんっ、と結論づけて脇を通り過ぎた。

続く龍安寺、仁和寺も超高速で駆け抜ける。龍安寺石庭を見ては「おお、枯山水だぜ、わーいわーい」、仁和寺を巡っては、「む、法師だね。やっほーやっほー」とまったく乱暴な観光である。無知もいいところでこれでは冒涜である。将来文化的に成熟してから、予備知識を持ってもう一度訪れないといけないね、と思う。

再び京都駅。滞在時間はなんだかんだで3時間であった。ずうっと歩きっぱなしで少々疲れた。電車に乗り込み、長旅の続き。目的であったところの、僕の目に京都はどう映ったのかというと、はたして文学的表現は僕からはちいっとも生まれてこなかった。しかしこうしてやたら饒舌な日記が書けてしまった以上、何らかの言葉が生まれたとはいえるのだろう。それだけでも意義はあったよね、と思った3月のよく晴れた日。

2000年03月13日


2000 : 01-021999