031023 本当のフォント。

ところが神の愛を説く聖書、仏の慈悲を説く経典、あるいはコンピューターのマニュアル、哲学書、詩歌、文学、全部同じ書体、明朝体なんです。世界の先進国の中でこんな異常な状態は日本だけです。
――片塩二朗「なぜ明朝体がイヤなのか」
(『編集会議』2003年10月号)

 書体が、脚光を浴びています。

 京極夏彦は、みずから書体を選んで『陰摩羅鬼の瑕』を出版しましたし、文芸誌『ファウスト』では、文体と書体の融合という新しい試みがなされました。

 文庫なら文庫、ノベルスならノベルスのフォーマットに入れ込むのみ、あるいは単行本ならばブックデザイナーの選択に委ねるのみであった書体の世界に、作家や編集者が積極的に踏み込んでいっているこの流れは、とても面白いものだと思っています。

 素人の立場からしても、この「書体を選ぶ」という過程は楽しいし、悩むし、時間を費やすところです。たとえば現在のトップページには「Eurostile Extended」という書体(フォント)を使用していますが、これにたどりつくまでには、自分のパソコンに入っている実に300弱のフォントの中から、行きつ戻りつ、あれでもないこれでもないと、試行錯誤する時間を必要としました。イメージに合致するフォントに出会った時は何とも言えぬ安堵感があります。

――例えば『陰摩羅鬼の瑕』ですと、「ヒラギノ明朝w3+游築五号+ヒラギノ行書w4」と書体指定が明記してありますね。

京極 僕らはそれで飯を喰ってるわけで、フォント制作者にはもっと敬意をはらうべきです。これはノベルスにする時にヒラギノだとどうも硬いし、他のノベルスと印象が違っちゃうので、平仮名だけ游築という書体にしたんですね。
――京極夏彦「推敲作業とは何か(聞き手 千街晶之)
(『ポンツーン』2003年10月号)

 「書体を選ぶ」過程は、「ミステリを読む」のチラシを制作する時にも訪れます(「ミステリを読む」については、011019, 021019の日記を参照としてください)。特に直近に手がけた『頼子のために』(法月綸太郎)という作品をテーマとしたチラシ制作の際には、頭を悩ませました。

 何が難しかったのかというと、

 『頼子のために』

 まず、タイトルが強いのです。成功しているかどうかはともかくとして、インパクトはあります。下手にアクの強いフォントでこのタイトルを装飾してしまうと、とんでもなく野暮ったくなってしまうでしょう。かと言って、おとなしいフォントではタイトル負けしてしまいます。

 そして、中身。『ぐうたら雑記館』の掲示板で、くらさんが言っている(1447-01)ように、「読後感が嫌〜、な作品」なのです。こりゃもう、読んでいただければわかります。チラシ制作のためとはいえ、僕をこの本に引き合わせたもろやんを恨んだものです。ヤな気分になっちまったじゃないかちくしょう(『頼子のために』については、そのもろやんの読書メモも、ご参照ください。>>>

 そこで僕は、「このヤな読後感を何とか浄化する、すっきりとしたデザイン」のチラシを作りたいと思いました。かつ、「タイトルと相殺してしまったり、あるいは負けたりしてしまわないようなデザイン」にしなければなりません。

 デザインを簡素にするということは、フォントにかかる負荷が大きくなってくるということです。先述したように下手な選択は禁物ですから、慎重を期しながら探しました。惜しむらくは、所持している和文フォントが決して多くはなく、選択肢がそれほどなかった、ということです。

 行き着いたフォントは、「HG正楷書体-PRO」でした。>>>

 完成させたはいいものの、おそらくは最善の選択というわけではないのだろう、と思っています。ふさわしいフォントは、僕の知らぬところで眠っているように思われ、そこがもどかしいところです。自著を表現する書体に出会い、出版することがかなった京極夏彦の快心はいかばかりか、と想像します。

舞城さんの文章は心を強くかき乱される、まるでジャングルの中を駆け回っているようなスピード感のある不安な感じがあります。その感覚を漢字とかなの組み合わせ、そしてウェイト(文字の太さ)を変えることによって表現しました。
――紺野慎一「『ファウスト』版面の秘密!?」
(『ファウスト』2003年10月号)

 僕のような素人までもが惹き込まれる、書体探しの旅。文芸誌『ファウスト』は、「文体と書体の融合」という方向性をさらに徹底していくと聞いています。それが読者にどう受け止められるのか、吉と出るか凶と出るかも含めて、今後の展開を楽しみにしています。

※文中、「書体」と「フォント」という単語を便宜的に使い分けていますが、私的な線引きで非常にあいまいなので、特に気にせず同一のものと受け取ってください。

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