僕は誰になんといわれても、方解石のようにはっきりした、曖昧を許さぬ文章を書きたい。 芥川龍之介「文章と言葉と」(角川文庫『杜子春・南京の基督』所収) ※
小遣いを使って、つまりは自分のお金で初めて買った本は、新潮文庫『蜘蛛の糸・杜子春』(芥川龍之介)でした。表題2作はじめ「トロッコ」や「猿蟹合戦」など、いわゆる「年少文学」が収められている、比較的読みやすい短篇集です。 僕に読書の習慣が身についたのは、最初に出会ったこの文庫本の貢献とするところが大で、上京する時にも携えてきたため、今なお脇の本棚の、すぐ手に取ることができる位置に収まっています。 ※
同じく芥川龍之介「六の宮の姫君」(新潮文庫『地獄変・偸盗』所収)を読んだのは、大学3年の夏でした。サークルの中国合宿の最中です。読み終えたのは、広州から桂林へ向かう寝台列車の車中。その直後に、北村薫『六の宮の姫君』に手を伸ばしました。自身の芥川に関する卒業論文を材とした作品です。元ネタとなった短篇を先に、と思ったため、この順番で読みました。 この『六の宮の姫君』、文学部生の卒論が下敷きということで、さすがに難解な部分多々ありなのですが、どうしたもんだか僕は好きで、何度か読み返しています。来年には卒論を……という折も折、「こんな卒論が書きたい」と思ったものです(いや、君、理系だったし)。 ※ 今日は、神奈川近代文学館「21世紀文学の預言者 芥川龍之介展」に行ってきました。あえて「今日」でなければならなかったのは、北村薫さんを講師に迎えての講座、「私と芥川龍之介」もまた、この日に開かれることになっていたからでした。 2月に開通したばかりの「みなとみらい線」に乗り、元町・中華街駅で下車、坂を延々と登ったその先に、文学館はあります。日中の気温は上がってきたとはいえ、朝夕まだ冷える季節。長袖シャツの上に薄手のパーカー(UNIQLO)を羽織っていたのですが、坂の中腹、大佛次郎記念館のあたりで湧き出る汗に辟易し、パーカーを脱ぎ、袖をまくりました。 会場に着いたのは開演10分前。息が少々切れぎみながらもなんとか落ち着かせ、着席して北村さんの登場を待ちます。衣服がじんわり汗ばんで気持悪いのはガマンです。 登壇、そして開演。サイン会も含め、北村さんにはこの半月で3回目の接近遭遇ということで、「追っかけすぎ」のきらいもありますが、気にしません。文庫版『六の宮の姫君』とメモ帳とペンを手に、講座に集中しました。やはり内容は、自作(=卒論)が中心。読んだ本の内容を端から忘れていく僕といえども、『六の宮の姫君』は3度ばかり読んでいます。触れられた(あるいは、朗読された)箇所それぞれについて大体の見当がつき、文庫本を開いて当該箇所を参照しながら「ふむふむ」と頷き聞き入ります。 僕にとって興味深かったのは、実際の(=学生時代の北村さんの)卒論制作経過を、小説『六の宮の姫君』に落とし込む際の工夫、でしょうか。たとえば当時の北村さんが卒論制作以前からすでに備えていた知識(あるいは読んでいた資料)に、《私》(=小説の主人公)は紆余曲折を経てたどり着くことになっている、といったようなことです。もちろん「事実そっくりそのまま」では小説にならないわけで、そこを読ませる小説に仕上げる実作上の背景を伺うことができたのは、とても刺激的でした。 また、『六の宮の姫君』刊行後に読者から寄せられた「六の宮の姫君」(ややっこしいですが、こっちは芥川の短篇を指します)に関する別方面からの解釈を、文庫版『朝霧』(シリーズ上の続編)にこっそり加筆している、というお話もされました。これまた文庫版『朝霧』を、つい先頃読んだばかりの僕はにんまりです。 講座全体を通してみると、芥川について、ひいては文藝についての知識乏しい僕には、正直ついていけなかった部分も多かったのですが、それはさておき充実した講座であった、ということは言えます。満腹。 芥川は、多面体です。わたしの『六の宮の姫君』は、ほんの小窓から、彼を覗いてみたにすぎません。 北村薫(講演「私と芥川龍之介」より) ※
「芥川龍之介展」そのものの紹介は駆け足で。生い立ちから晩年・死まで、ゆっくりと、丁寧に説明・展示されていました。直筆の原稿・草稿、掲載雑誌、書簡がこれだけ揃うと圧巻。『文藝春秋』の創刊号、「六の宮の姫君」の掲載雑誌(『表現』)、その他『六の宮の姫君』にて触れられた物品の実物を目にすることができました。それにしても写真がいちいち格好いい。 館を出る頃には日は傾き、気温は低下。バッグに詰め込んでいたパーカーを広げて羽織り、帰途についたのでありました。 ※ ところで。 展示会場を出てすぐのところにあるカウンターに、原田宗典『河童』が重ねられていました。原田さんが芥川の戯作に挑んだこの作品が、ここでこうして売られているのはまあ自然なことではあるのですが、不意を衝かれたためにちょっと驚きました。昔、自分が売り子として手売りしたこともあったもので。 さらに。 展覧会の図録サンプルの横に並べられていた文学館の機関紙を、何気なくパラパラと眺めていると唐突に、 慈眼寺まで 原田宗典 との文字。うはあああっ。芥川についてのエッセイを寄稿されていたのですね。そういえばご本人の口から、「『芥川龍之介展』に寄せた文章書いたよ」とのお知らせをいただいていたのでした。恥ずかしながら、そして失礼ながら失念していた次第で、何も知らなかったかのように純粋にびっくりしてしまいました。すみません村長、買いました機関紙。 一昨年(二〇〇二年)の十一月ことだ。 私はその年の春先から晩夏にかけて、芥川龍之介の「河童」を戯作して、若者向けの絵本に仕立て上げる、という向こう見ずな作業に没頭していた。―― 原田宗典「慈眼寺まで」(神奈川近代文学館機関紙第84号より)
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