021021 小説・物語 その3。――阿刀田高『朱い旅』
その1はこちら、その2はこちら。
ギリシャ神話に、アンフィトリオン伝説というものがあります。大神ジュピテル(=ゼウス)がテーベの武将アンフィトリオンの妻、アルクメーヌを見初めて通じ、英雄ヘラクレスが誕生するストーリーです。この伝説を基にして、古来、いくつもの戯曲や叙事詩が作られています。
紀元前には、
プラウトゥスが「アムピトゥオ」として神への畏敬を表わす戯曲を。
17世紀には、
モリエールが「アンフィトリオン」としてルイ王朝を揶揄する戯曲を。
19世紀には、
ジロドゥが「アンフィトリオン38」として人間賛歌と実存を謳う戯曲を。
前回、「物語は太古の昔からあって浮遊していて、それを掴み取って掬い取って言葉を与えて小説に加工するのが作家というものだ」と書きましたが、このギリシャ神話こそ、「太古の昔からある物語」の一つであると言えます。そしてそうした物語の構造は、分解してみると至極簡潔になります。
アンフィトリオン伝説ではどうなるでしょう。――Aという男と、Bという女がいます。AとBは、夫婦です。Cという男がBに横恋慕し、Aが不在の隙にBに求愛し、そして手に入れてしまう――こんな、ごくごく単純な構造です。単純だからこそ、いろんな作家が取り組み、モチーフを付加させ、時代に寄り添わせ、一つの作品として完成させることができるのです。
阿刀田高は講演で、次のように言いました。
数多あるストーリーの類型から、どれを選び、どれを盗み、どういう視点で踏み込み、どういうモチーフを付加させ、そして自分の中にあるどのストーリーと結合させるかが、作家の仕事です。
と。
その阿刀田高もまた、アンフィトリオン伝説を素材とし、運命の根源を問い、人間の知性に迫る小説、『朱い旅』を書きました。現代の日本を舞台に、一人のサラリーマンを主人公として語られるこの小説は、モリエールの戯曲「アンフィトリオン」を呑み込み、ギリシャの海の色を想起させるスケールの大きなものとなりました。が、そのスケールに比して小説自体はそれほど長くはありません。ショート・ストーリーの名手、阿刀田高でないと書けなかった小説でしょう。
僕はこう思います。確かに作家・阿刀田高はアンフィトリオン伝説を「選んだ」かもしれない。けど、「選ばれた」のは実は阿刀田高の方で、プラウトゥスやモリエールやジロドゥと同じく、アンフィトリオン伝説に見初められ、この物語を今の世に出すために手を動かすよう仕向けられたのではないか、と。北村薫が表現したところの“必然”が、ここでもまた阿刀田高に働きかけたのではないか、と(その2参照)。
物語の背後には“見えざる手”があり、自らを紡ぐ才ある書き手を、誘っているのではないか、と。
書き手が物語を選ぶのではないのだ。物語が書き手を選ぶのだ。
作家こそが、物語の道具なのだと。作家を通じて、物語は真実を伝えるのだと。そう、真実を語るのは、作家ではなく、あくまでも物語なのだ。
舞城王太郎 『The Childish Darkness 暗闇の中で子供』
次回は、作家を飛び越えた物語、のお話です(まだ終わらないのか)。
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