■ 2001年5月

. 010529 活字の読ませ方。

 だから、いいかい、作家は見せ方に注意しなきゃならない。博物館と同じようにね。

瀬名秀明『八月の博物館』

 先日、「活字好きに100のQuestion」に答えさせていただきましたが、そこではた、と考えました。果たして自分、ほんとに活字好きなの? と。たしかに昔から本を読むことは好きでしたし、みずから書くことも好きでした。しかし、僕の認識として「活字を読むことは疲れる」というのがあります。娯楽小説であれ専門書であれ、さあ本を読むぞと心構え、実際に手にし、開き、一行目に目を通すまでに、相当なエネルギーを消耗します。気分がよほど乗らなければ、必要に迫られなければ、読みません。これで活字好きと言えるでしょうか。

 世に娯楽は数多くありますが、活字(本)を読む行為というのは、受け手に要求される作業に伴う「めんどくささ」の度合いが他に比べて高いです。本を手に持つ、ページを繰る、活字を目で追う。ただ追うだけでなく、集中を持続させなければ内容が頭の中に入ってきません。これらを「めんどくさい」と認識しないのが活字好きというものでしょう。「活字嫌い」を自認する友人たちはこれらを理由として、「だから本読むの嫌いなんだよ」と言っています。僕はこの境界にいると言えます。

 本を読むと「エラい」と言われ、読書感想文の宿題は疎まれます。本来娯楽に過ぎないはずの活字読みに、「好き」「嫌い」という隔絶があるということ自体が不自然です。これらの事実が、活字読みの裏にある「めんどくささ」を暗に示しています。

 「絵本の描き方講座」というものがありまして、それを受講していた将来絵本描きを志望する生徒のひとりが、次のような質問をしました。

 「子供が、みずからの意思で絵本を手に取り出すのは、何歳ころからですか?」

 講師は、こう答えました。

 「いえ、みずからの意思で絵本を手に取るような子供はそういません。親が、周囲が買い与え、周りに置くから見るようになるんです」

 極論ですが、人間の本質は活字を求めません。与えられて触れて、楽しさを知って初めて、好んで手にするようになるのです。活字を読むという行為は、「めんどくさい」し「とっつきにくい」し「敷居が高い」のです。「活字が好き」と自認している人たちは、えてしてこの感覚を忘れてしまいがちです。そして「活字読みが好き」な人たちの何割かはやがて「活字書きが好き」な人たちになりますが、「全ての人が活字が好きなわけではない」という感覚を欠落させたまま文章を書くと、一人よがりで、読みにくいこと甚だしい文章になってしまいがちです。

 「活字を読むことは疲れる」ことを念頭に置き、読者として「活字読みが嫌い」な人たちを想定して文章を書こうとすれば、自然「どう書き出すか」「どう引っ張るか」「どう楽しませるか」に神経を注ぐことになります。自分の書きたいこと、言いたいことをそのまま綴るのではなく、どう提示すればより効果的に伝わるのかを工夫することになります。これらに長けた人々は、やがて文筆家として名を馳せるようになる、可能性があります。

 プロの話に発展させるまでもなく、素人が書く分において、別に全ての人に読まれ共感を得られる文章を書く必要はないのですし、不可能なのですが、自分の書いた文章をできるだけ多くの人に読んでもらいたい、活字を読むことの楽しさを広めたい、という願望があって文章を書くのならば、労苦を惜しまずして損はないでしょう。

 本を読むだなんて、バカバカしいくらい普通のことが、いつからカタくて特別でマジメちゃんなことになったのだろうか。どうも解せない。

鷺沢萠『私はそれを我慢できない』

2001年05月29日


. 010526 雨、だから。

雨の日に部屋にいるんじゃなくて

ちょっと外に出て雨に濡れてみよう

風の日に部屋にいるんじゃなくて

ちょっと外に出て風に吹かれてみよう

雨だから外に出て

風だから外に出て

雨だから笑って

風だから笑って

悲しいときは笑って

泣きながらでも笑って

そうすればきっと

いつもとちがうことがあって

いつもとちがう人にあって

いつのまにか雨やんで風おさまって楽しくなるから

2001年05月26日


. 010524 憧れの君。

 友人と、「子供のころに憧れていたものは何か?」という話になりました。彼は言いました。

 「やっぱ、ジャンプを月曜日に読むことに憧れたよね」

 !

 そうだよ、そうなんだよ、柴崎君!(実名かい)週刊少年ジャンプ。僕らが少年期にまさに黄金時代を迎えていた漫画雑誌です。人気作品が名を連ね、発行部数最大650万部という脅威の数字をたたき出していました。このジャンプ、正規の発売日は火曜日です。次号予告にも明記してあります。僕が当時住んでいた宮崎でも、ジャンプは火曜日に発売していました。これが常識でした。これがグローバルスタンダードだと思っていました。

 しかしですね、東京に住んでる従妹から、ちょいと小耳に聞き捨てならない情報をはさんでしまったのです(日本語ヘン)。「こっちではジャンプ、月曜に出てるよ」と。

 驚愕です。唖然呆然です。僕の中の常識が瓦解しました。なんと東京の小学生はジャンプを月曜日に読むことができるのです。「キン肉マン」も「聖闘士聖矢」も「ハイスクール!奇面組」も「北斗の拳」も「キャプテン翼」も、僕らより1日早く読めるのです。「毎週火曜日はジャンプの日」とか書いてありながら、フライングで月曜日に発売してるって話です。不公平です。理不尽です。正義はどこに。

 のちに知ったことですが、どうやらジャンプ、一部の地域を除いては、月曜日に発売されるらしいのです。一部の地域、すなわち田舎。マイノリティーは僕のほうでした。この事実を知りさめざめと泣いたのちに僕は、「いつの日にか月曜日にジャンプを読めますように」と祈願したものです。宮城出身の柴崎君(だから実名・・・)も同じ不条理を感じ、「月曜日にジャンプを読む」ことに恋焦がれていたということです。僕と柴崎君(実名はやめとこうよ)はがっちりと心の握手を交わしました。

 こんな「憧れ」をしょっぱなに炸裂させるとは、柴崎君(せめて仮名にしようよ)、なかなかやります。この時点で僕は敗色濃厚だったのですが、戦いを捨てることなく僕はこう言い返しました(対戦なの?)

 「おれはフィレオフィッシュに憧れていたぞ」

 ?

 首をかしげる柴崎君(仮名にする気はないようだね)。ハズしてしまいました。説明してあげなければならないようです。マクドナルドのフィレオフィッシュ、これ、僕好きだったんですけど。これがどうして「憧れ」にまで至ったのかをお話しなければ。

 そもそも、マクドナルド自体が当時の僕には憧れの地でした。まず、店舗が周りにありません。年に1度か2度、帰省で訪れる大分市の、パルコ近くにあった店舗が、僕にとって唯一のマクドナルドだったのです。そこに家族で訪れるのが楽しみでした。わくわくでした(「わくわく」なんて言ってる歳じゃないのは重々承知していますが当時の感情ということでご容赦ください)。そこで出会ったのが、フィレオフィッシュ。ハンバーガーと一線を画しつつも異端に走らない存在感。青色の箱容器も素敵なデザイン(当時はまだスチロールの箱が用いられていました)。正体が知れない白身のフライとタルタルソースのハーモニー。これらに僕はぞっこん。フィレオフィッシュを頬張ることで、僕は家族を感じ、故郷を感じ、都会を感じていたのです(CMのコピーに使ってくれたまえ)

 しかしそこは子供、食べることができるのはせいぜい1個、それも1年に数度の邂逅でしかありません。「いつの日にかフィレオフィッシュを死ぬほど食いたい」。これが僕の子供のころの夢だったのです(小さい)

 この僕のアツい訴えを聞いても柴崎君(結局最後まで実名で通した)、「ふうん」と、あんまり感じてない様子。どうやら僕の憧れは一般性を持たなかったようです。残念。やっぱりジャンプには勝てない。

 子供のころの憧れ。これに似た気持ちを、果たして今、抱けているでしょうか? ヘンに大人ぶって、素直に憧れることを避けてはいないでしょうか? 憧れは活力。憧れは推進力。憧れは未来への希望。青雲それは君が見た光。僕が見た希望。臆することなくなにものかに憧れましょうぞ(なんだこの意味不明のまとめは)

・週刊少年ジャンプの後日談

 中2で僕は岡山に引っ越して、悲願の「月曜日にジャンプ」の環境になったのですが、そのときには僕は少年サンデー派になっていましたし、東京に来てからはそれこそ漫画を読まなくなりました。悲願成就の喜びは味わえなかったということです。

・フィレオフィッシュの後日談

 僕は今、歩いてマクドナルドへ行けるような場所に住んでいます。フィレオフィッシュはなんと平日120円です。ここまで身近になったからには夢をかなえてみせましょうと、先日、実行しました。「フィレオフィッシュ8個ください」と。

 やりすぎだ。キミはアホの子か。

 案の定、4つ食ったあたりで胸焼けと、舌のピリピリ感。終盤は苦行以外のなにものでもありませんでした。やっとこさ食い終わって感想。

 「夢はやっぱり夢のままにしとくべきでした」

 しばらくフィレオフィッシュ、見たくないです。

2001年05月24日


. 010521 サークルHP開設2周年に捧ぐ(自己完結)。

 100キロ歩いてきたんです。

 うわっ、言葉にするとこんだけか。一行で終わってやんの。寂しいものがありますな。

 大学の名物行事のひとつに、「100キロハイク」というのがあります。読んで字のごとく、100キロ歩くんです。埼玉県本庄市から東京都新宿区まで。一昼夜かけて。これに、参加してきました。サークルの連中と。もう卒業したってのに、なにやってんだか。3年前に同じく参加したときに、「二度とやんねえぞ、こんなもん」と決意したはずなのに、どうやら喉元過ぎてしまったようです。そして感想。

 苦しかったです。

 む、これもまた言葉にするとこんだけなんだよな。100キロ歩き続けることの苦しみ。例えようがありません。筆舌に尽くしがたいとは、まさにこのこと。足指に出来たマメが歩を進めるたびに激痛を呼びます。筋肉痛関節痛で足は上がりません。直射日光に容赦なく照らされる一本道や、アップダウンの激しい夜の山道に、「やめたい」と何度思ったか知れません。雪の八甲田山と比しても劣ることはないでしょう(それは言い過ぎ)。しかし具体的な事象をいくら書いてもやっぱり苦しみは語り切ることが出来ません。伝えられないのが無念です(伝わらない方がよろしいかと思われます)。延々歩き続ける大学生1000人。苦しみを共有する者たちの間の奇妙な連帯感。名前も知らない者同士が「お疲れです」「ありがとう」と言葉を掛け合い励まし合います。地元住民の「がんばってね」という声援。気分は東京国際女子マラソン(女子?)。ゴール地点の大学講堂が目に入った瞬間、日ごろクールを装ってる(装ってる?)僕も涙腺が緩みました(誇張)。出迎えに来てくれた連中に拍手で迎えられ、交わすハイタッチ。充足感が披露を癒してくれます。よくがんばった、自分。

 え? このイベントに、なんか意味あんのかって? ないですよ、ンなもん。中国語サークルと100キロ歩くこととの間の相関性にも言及しないようにお願いします。意味深げな言葉残して出発しましたがこんなアホイベントでした。申し訳ない。

 てなわけで、

 恥ずかしながら帰ってまいりました(古)

2001年05月21日


. 010518 炊飯器。

 姉さん、事件ですっ<誰だよ

 あン? どうしたンよ、突然<あなた誰?

 炊飯器、ぶっ壊れましたっ<だから誰に話してんの、君

 炊飯器? なンでそンなもンが壊れたりすンのよ。普通に使ってりゃ永久に使えンじゃない<ごもっとも

 いやあのそのですね、・・・溶けましたぁ<情けないキャラだね、君

 はンっ?<ナイスリアクション

 ・・・。

 さて、姉さん(だから誰?)同様疑問に思われた方も多いことでしょうから、ご説明申し上げます。

 本日の朝食は、グラタンにしようと決めました。冷凍グラタン。オーブンに入れて作るヤツですな。で、まあNHK朝の連ドラ『ちゅらさん』(けっこう好き)を観ながら加熱していたんですよ。この冷凍グラタン、調理完了までにはかなり時間を要します。余熱時間も含めると20分はかかるでしょうか。と、するとオーブンレンジの天井は高温になります。触れないくらい。その上に炊飯器(下部はプラスチックス樹脂製)を乗せたまんまにしてるとどうなりますかね。

 溶けますわな、そら。

 「そろそろできたかな? 焦げ目はついたかな?」とのん気にオーブンを覗き込みに行ったら、なにやら焦げ臭い。ふと上を見ると炊飯器、微妙に傾いてる。

 "Ouch !"<え? 外人さん?

 慌てて炊飯器を持ち上げるも、溶けてコールタール状になった樹脂がどろりと伸びること伸びること。「キレイ・・・」なんて感動してるヒマはなく、オーブンの天井と炊飯器の底の後処理に追われること数分。そんな朝。素敵な目覚めです(最悪)

 とりあえず出来たグラタンを気もそぞろに食らったあと、炊飯器を確認。底にぽっかり穴が開いて内部構造丸見えです。電熱線とコード発見! お手柄でありますっ(ちがう)。念のためにコンセントに挿して電源入れてみました、が、・・・はい、見事に死んでました。

 というわけで、鍋000917,001214、フライパン(これも壊れた)に引き続き、

 炊飯器募集。嫁に来ないか、おらサ村まで。

2001年05月18日


. 010516 ときにはスタート地点に。

 ときどき自分のハンドルネームに違和感を覚えることがある。肩に小錦が乗っかっているような(エリック・ヒルマン)。「Rana」「らな」、どちらもしっくりこない。「お前誰だよ?」てなもんである。「Rana」が何か気の利いたことを言っている。「らな」がやさしい口調で語る。それを見つめる僕がいる。冷静に。いやむしろ、冷めて。

 だけど他の名を名乗ってネットに出没する自分はもはや想像できない。それだけ僕は頻繁に「Rana」と自称してきたし、オンラインで、オフ会で、こう呼ばれてきた。初めて名乗ってから3年、ネットと深く関わるようになってからは2年近くが経過した。僕の隣にいた「Rana」は急速に成長していった。本名で呼ばれる機会と、ハンドルネームで呼ばれる機会、後者の方が多い日だってあるくらいだ。多い日も安心。いや失敬。

 「ネット内外、僕は僕、自分は自分。人格に違いはないですよ」と言う人もいるが、僕の場合は一側面がやたら肥大化してネット上で踊っている。だから「Rana」の書いた文章を、「らな」の吐いた言葉を、第3者的に評することができるし、これらに対して自己ツッコミを入れることもできる。即時に。と同時に、不安になるのである。「お前ら、誰?」と。

 多くのハンドルネームが存在し、その数だけ名付け親が存在し、オンラインで交流している。初めて訪れた掲示板やチャットルームに連なる名前を見て、その名前たちの珍妙さに滑稽を感じたことはないだろうか? 自分もその只中にいるのを忘れて。しかし数多くのオフ会を経てきた僕は、そんな珍妙なハンドルネームの持ち主が「普通の」人々であることを知っている。当たり前のことだ。一見キャラクタが違う、と思われても話してみるとオンラインの顔をのぞかせてくれ、安堵する。翻って自分について考える。僕はどう見えているのだろう? 恐怖に駆られもする。僕は僕ですか? それとも「Rana」なんですか?

 「Rana」に振り回されている自分がいた。大学のサークルの連中と話していたときに、ふと「Rana」がまだ育っていなかった頃の感覚が甦って、懐かしくなった。「Rana」を切り離しても僕は僕でいられることを確認する。違和感を覚えるようになったのはここ最近のことだ。ひとつの警告なのかもしれない。主導権は僕が握っていたい。「Rana」や「らな」を操って楽しもう。多くの人が言っている。「適度な距離を保ちながら付き合いなさい」と。その通りだな、と思った。

 いや、なにもネットを拒絶し始めたわけではないけれど。

2001年05月16日


. 010515 そう、今日はセールなんです。

 料理をするほうである、と思う。

 一人暮らしを始めてから積極的に料理をしてきた。実家にいた当時からやってみたいとは思っていたが母を押しのけて台所に立つまでには至らなかった。実家を離れ、やっと羽を伸ばせたというわけだ(使い方間違ってます)。俗に言う男の手料理の域は脱しないものの、小器用にこなしてきたと思う。常々周囲に漏らしているが僕には主夫になりたいという野望がある。言い方換えればヒモであるが、そんな生活に憧れている自分は否定できない。ばりばり働きたい女性募集。家はおれが守るぜ(かっこいい)

 しかし近頃(というかここ1年ばかりずっと)おつかれさんなので、怠けている。家に帰ってきてひとりのためにひとりで料理をするというのはツラい。ちゃっちゃっと食って早く寝てしまいたい。ご飯を炊いて味噌汁を作る、こんな基本的なことすら億劫になってくる。たまに突発的に深夜に餃子なんて作ることがあるし(010513)、勢いで炊き込み御飯を作ることもあるが(001001)、これはお祭りみたいなもんで日常的な料理とは意味合いが違うだろう。「作らなきゃ」という義務感がない以上は、安易な方向に流れることになる。だから冷凍食品に頼ることが多くなった。

 近所のスーパーで毎月5日、15日、25日に冷凍食品4割引のセールをおこなっている。このときを狙って赴き、冷凍のチャーハンやグラタンを買い込む。夕食はこれで済ます。栄養面で問題があるかもな、とは薄々感づいている。昨今の体調の悪さはこれに起因しているのかもしれない。体調がすぐれないからまともな料理をする気が起きない。まともなメシを食わないから体調が悪くなる。まさに悪循環。デフレスパイラル。

 わかっちゃいるけどそう簡単に生活は立て直せないので、流れに任せることにする。だから今夜も冷凍チャーハン。レンジで作るよりもフライパンで炒めたほうが格段においしくなるので、これだけは手間を惜しまないようにする。これを怠けるようになったらいよいよやばくなる気もするし。

 ここで試算をしてみよう。このカタチばかりの自炊は家計にやさしいのか否か。冷凍チャーハン500グラム276円(税別)。一食で半分食うから138円。玉子を加えて見かけを豪華にするからプラス10円(10個100円)。計148円。消費税を乗じて155円。ふむ、こんなものか。それでは我が家の夕食2本柱のもう一本、焼きそばと比較してみよう。焼きそば3玉138円だから一食分は46円。もやし一袋48円を半分使うからプラス24円。これに目玉焼きを乗せるからさらに10円プラスで占めて80円。税込みで84円か。うーむ、やはり冷凍は少しばかり高くなるか。更にもうひとつ、いよいよ家計が苦しくなったときの最終手段、ご飯と納豆と玉子だけの食事のときはどうなるのか、これもついでに計算。ご飯一杯がいくらになるのかわかりかねるので考えないことにして、納豆1パック25円(4パック100円)と玉子1個で計35円。税込価格36円。安い。圧倒的に安い。納豆は偉大だ。ジーク・納豆。と、まあこのような試算をするのが大好きな人間である(前歴:000718)。家計はおれに任せろ(かっこいい)。この段落数字ばっかり(読み飛ばされているおそれあり)

 試算終了。すみません、書き連ねるうちにだんだん悲しくなってきました。文体を変えてごまかそうとしたけど、食生活が貧弱であることを再確認し、それを公にさらすことになっちまいました。君を一言のもとに斬って差し上げよう。「おめえ、みみっちいよ」と。こんな貧食な僕に合いの手を。もとい、愛の手を。

 では今度、我が家で晩御飯オフしますか(朝食オフは実行済み)

2001年05月15日


. 010514 消すか残すか。

 言葉は、「消える」からいいのでしょうか。それとも「残る」からいいのでしょうか。

 ご存知の方もおられるかと思いますが、当サイトのBBSの書き込みは、すべて保存され、公開されています。受動態で書きましたが保存し、公開しているのはほかでもない僕なんですが([Contents]のページから見ることができます。直リンクこちら)。

 いちいち定期的にソースから保存し、公開できるかたちに加工するのは、けっこうな手間になります。こんなことをしている理由を一言に集約すると、「もったいないから」ということになります。普通のBBSは保存される書き込み数の上限があって、それを超えると古い順に削除されていきます。それが、「もったいない」。

 僕もよそのサイトのBBSによく書き込みますが、「書き込もう」と発起するに至るにはある程度の動機付けが必要になってきます。そして「書き込もう」と思ったと同時に「なにを書こう」と考えることとなり、BBS自体が持つ「文脈」に照らして相応の内容、テンションで文章を書き、送信することになります。この段階で文章の推敲、という作業が大なり小なりおこなわれます。たとえ一行の書き込みであっても、その文章作成にかかる時間は無ではありません。もちろんすべての書き込みでこんなしち面倒くさい手順を経ているわけではなく、勢いだけで書き込むこともありますが。

 こういう過程を経た書き込みが、BBSのオーナーや他の来場者の書き込みと絡み合い、その中で投稿者の個性、センス、色というものが発揮されます。これがまたBBS自体にフィードバックされ、果てはサイト自体の個性をオーナーとともに作り上げていきます。BBSはオーナーの管轄を少し離れた、サイトの第2の顔と呼べるものですからね(今決めました)。

 はい、僕のサイトに来てくださっているみなさんの書き込みは、おもしろいです。それぞれに強烈な個性があり、センス溢れ、様々な色を呈しています。恵まれていると思います。レスをつける身としても腕が鳴ります。いやむしろ防戦一方。こんな書き込みたちを消すのって、もったいないじゃないですか。書き込みに注がれたエネルギーと割かれた時間。これらも併せて考えると、消えてゆくのを漫然と見守るのは惜しいなと。だから保存し、公開しています。

 言葉は「消える」からいいのだ、だからこそ恐れずに自由に発することができるのだ、というスタンスもわかります。それもまた言葉の一側面です。しかし「消す」と「残す」、どちらを選ぶ? という選択肢が与えられたときに、僕は「残す」を選びました。

 みなさんの初登場の書き込みを振り返りますとね、今と比較したときの距離感の微妙な違いが感じられておもしろいです。趣味悪いですが。ふっふっふ。しかし人のこと言ってる前に僕自身のキャラクタが今と違ってて恥ずかしいんですけど。どんどんキャラ崩壊している感あり。僕のレスはさらっと読み流しましょうね、さらっと。言葉遣いとかぜんぜんちゃうやん、とかつっこまないようにね。いじめないでね。

 僕は、「残る」という前提でもってすべての言葉を連ねています。

2001年05月14日


. 010513 餃子。

餃子を作った

ひとりでな

ああひとりでだよ悪かったな

ひとりで作ってひとりで食うよごめんなさいね

おっと失敬

手順をご紹介

下準備

ひき肉に

葱のみじん切りを加え

大蒜を加え

調味料を加える

ぱらぱら

ぱらぱら

こねる

こねこね

こねこね

気持ちいい

もう夢中さ

陶酔の世界へようこそ

妄想の世界へよ・・・ごほごほけほん

包む

餃子作りのハイライト

昔テレビでタモリがやってた方式で包む

カンタン

カンタン

タモリは偉大だ

音楽は世界だ(懐かしい)

焼く

油をしいて

餃子を並べて

焦げ目が付いたら水、水、水、ほら早くっ

ざぱじゅわっ

蓋をしてしばし待つ

できたっ(ビストロスマップ)

食う

ぱくぱく

ぱくぱく

旨い

旨さが逆に

虚しさを一層引き立たせた

そんな深夜3時

2001年05月13日


. 010512 僕。

あのとき言えなかった言葉

あのとき言わなきゃよかった言葉

あれはほんとの僕じゃないと

ほんとの僕を見せられなかったと

悔やんで苦しんで少し泣いた

でもそれはちがって

言えなかったのは僕

言ってしまったのも僕

ぜんぶをひっくるめて僕なんだと

それを見せることはできていたんだと

気づいて楽になって少し笑った

2001年05月12日


. 010511 ぼくは英語ができない(山田詠美)。

 自慢話をひとつ、しようじゃないか。

 よくある、呑み屋の親父のたわごとだと思って聞いてくれたまえ。時間は取らせないさ。こう言うヤツに限って2時間でも3時間でもベラベラベラベラしぇべりやがるんだけどな。聞いてる方の身にもなってみろってんだ。なあ? おめえもそう思うだろ? おっ、気が利くね。おっとっと、ありがとうよ。ズズ〜(熱燗呑んでます)。

 僕は昔、英語が得意でした。大学入試でセンター試験を2回受けましたが、ともに満点近い点数をたたき出しました。ケアレスミスで1、2問失点。満点は取れないというツメの甘さが、僕らしくていいです。模試では満点取れてたのに。勝負弱い男。あ。今、自分で言ってズキッとキました。人生、万事こんな感じさ。ふっ。ああそうさ、肝心なところでイケてないさ、おれはな(やさぐれ中)。

 選択式のセンター試験のみならず、記述式の2次試験においても、僕は英語の試験を得意としていました。国語とともに得点源。理系科目における失点を、文系科目でカバー。そんな理系志願。それ、どうなの。まあいいや。そう、僕は英語ができたのです。

 自慢話終了。すべて過去形になってることには既にお気づきのことと思います。そして今。

 英語ができない。

 致命的にできない。

 英語の授業をとったのは大学1年のときだけで、以来遠ざかること3年以上。英語、見事に忘れました。話すことはもとより、書けません。読めません。

 エピソードをひとつ紹介しましょう。

 僕の所属する研究室には、アメリカ人の研究員が一人います。その名もBob。このBob、いまいましいことに英語しか話しやがりません(暴言)。教官曰く、学生が英語に接する機会を増やすために、Bobには英語で通してくれるようお願いしているらしいのです。ご立派な方針。こうでなくちゃなりません。でもこれ、なかなかツラいです。そもそも日本語を話すことすら億劫がる僕のことですから、英語でBobと何を話せばよいのか、見当もつきません。自然狭い研究室の中で、Bobとのコンタクトを必要最小限にとどめることとなります。器用に。情けない。たのむ、中国語を話せ。それならまだなんとかなるから(それはムチャだろう)。

 しかしある日、Bobとどうしてもコンタクトを取らねばならない事態が勃発しました。研究室に僕がひとりしかいなかったときに、電話がかかってきたのです。Bob宛に。先方にBob不在の旨告げると、あとでかけ直して欲しいと伝えてくれるように言われました。言いやがりました。電話を切って、僕は途方に暮れました。そして僕は途方に暮れる(大沢誉志幸)。Bobに、「電話があったよ。かけ直して欲しいって言ってたよ」ということを伝えねばなりません。大仕事です。机について、文案を考えました。

 "Mr.Bob, I had a phone call for you. Please call back."

 ・・・こんな感じでどうだ。合ってるのか? 合ってるのか? 不安だったので辞書で"phone"や"call"を引いてみます。が、確証は得られません。自信がありません。泣きそうです。と、Bobが部屋に入ってきました。うわっ、まだ準備不足だってば。もう少し時間をくれたまえ。せっかちさんねえ、もう。でも、覚悟を決めました。これでいくことにします。みんな、オラに元気を分けてくれ(元気玉)。伝わらなかったら日本人スマイルで走り去ろう。緊張の面持ちでBobに歩み寄ります。

 「は、はぁ〜い」

 "Hi !"

 「みすたーぼぉぶ、あい はど あ ふぉん こーる ふぉー ゆー。ぷりーず こーる ばっく」

 Bob、怪訝な顔。し、しまった、通じてない? いやひるむな、もう一回だ。Try, again!(ここは自信満々)。

 「あい はど あ ふぉん こーる ふぉー ゆー。ぷりーず こーる ばっく」

 "Oh ! I see, I see. Thank you."

 電話に走り寄るBob。よかった、僕の声が小さかっただけのようです。一仕事終えた男。とても清々しい、いい顔をしていたかと思われます。いや待て、これで安堵してどうする。なにをこれだけの会話に四苦八苦しとるのだ。それでも大学受験を突破してきたのか? 英語、得意だったんじゃないのか? お兄さん、涙出てきました。

 また、こんな話もあります。

 銀座をひとりで歩いていたときのことです。前方からスペイン人とおぼしきスキンヘッドの長身の外国人が歩いてきました。スペイン人かどうかはわかりませんがなんとなくそう思ったのでそういうことにしておきます。と、そのスペイン人と目が合いました。こちらに向かってきます。「あっ、道を訊かれてしまうっ」。瞬間的にそう判断しました。彼が手に持っている地図が、その判断に間違いはないことを保証してくれます。こういう時にはおそらく世界の公用語、英語で話し掛けてくるはずです。ヤツらは街角の日本人が誰でも英語を話せると思ってやがります(暴言2)。んなわきゃねえだろ、こんちくしょ。

 どうしましょう、どうしましょう。道案内をする際の定型文句、色々と覚えた気がします。気がするだけです。思い出せません。「まっすぐ歩いてください」「3つ目の角を右に曲がってください」「すると左手にそのビルはありますよ」。これらの言い回しを思い出そうと必死でした。訊かれる前から。そしてスペイン人、僕の目の前で姿勢を低くして一言。

 「スイマセーン」

 きっ、きたっ。

 「有楽町は、どちらですか?」

 ・・・完璧な発音です。見事です。滑舌の悪い僕よか立派な日本語です。惚れ惚れしました。安心しました。日本語にご堪能な外国人さんだったようです。僕は自信を持って、こう答えました。

 「わかりません」

 ・・・英語以前の問題でした。

 さて、こんな風に英語を話さなきゃならないシチュエーションになるとどうしようもなくあわててしまう僕。いかな受験英語ができたって、話せないものは話せないんです。大学のサークルで周りと競い合い、ネイティヴ講師と話しながら学んでいった中国語のほうがよっぽど身につきました。それも1年間で。中高6年間の英語教育は、モチベーションを活性化させる方向には働いてくれませんでした。テストのために、受験のために、単語を覚え、文法を覚える、そんな授業。嫌気もさすというものです。比較的好きだった僕にして、身についたとは言えないのなら、なんのための授業だったのでしょうか。 こんな僕には次のキャッチフレーズを進呈しましょう。いやいや、遠慮すんなって。

 日本の英語教育の欠陥を体現する男。

 ・・・か、かっこいいけど、かっこわるい。

2001年05月11日


. 010508 パソコンを買ってから1年が経ちました。

たぶん言葉は宙に浮いてる
ふわふわと
たくさん

歩いてて
寝ていて
話してて
ぶつかる
事故だね

ぶつかってその衝撃でまたどっかに消える
ごくまれに手の内にすっぽりと収まる
つかまえたらこっちのもんで
どんな風に加工しよう?
どこに投げよう?
と考える

たくさんの言葉を拾えるほど
僕の感性は鋭敏ではないし
つかまえてすぐに投げられるほどの
瞬発力を僕は持たない
不器用だから
へたくそなショートストップみたいなことになってしまう
無理して焦って言葉を投げると
暴投してしまう
しかも不細工で
トゲがあって
人を傷つけてしまうのだ
それは本意ではない
華麗なステップとグラブさばきで言葉を投げる人がいる
その言葉は飛躍や閃光や熱や毒をたずさえ
矢のような速度と鋭さをもって心に刺さる
あこがれるけど
僕にはできない
レイ・オルドニェスにはなれない

お手玉してでも
しっかりと握って
狙いを定めて
ファーストが取りやすいボールを投げる
投げるときに硬球はスポンジ球になってるかもしれない
山なりに投げよう
100メートル投げる必要はないから
とにかくファーストミットにすっぽりと収まらせるように気を配ろう
ランナーは悠々セーフになってるだろう
でも僕は別にアウトセーフの判定を争わない

もっと経験を積んで
ただよう言葉を確実につかまえられるようになろう
時間はかかるけど
やわらかくてあたたかい言葉が投げられるようになろう





 昔、僕の文章を読んでくれた人に、「まるい文章だね」と言われました。

 コンパスで描いたような、
 正確で張り詰めたまるじゃなくって、
 手書きで描いたぼよぼよしたまる。
 うん、まるく感じる文章だね。
 ぼよぼよって、誉め言葉かしら?

 誉め言葉です。とてもうれしかったです。「ぼよぼよしたまる」。おれらしくっていいな、と思いました。そして、そんな文章がもっと書けたらいいな、と思いました。今、いろんな色の、いろんな味の、文章を書く練習をしています。だけどやはりいちばん大切にしたいのは、その昔に僕が持ち得ていた僕の文章のかたちです。守っていきたいです。忘れたくないです。

 この言葉をもらったのはそういえば、ちょうど1年前にパソコンを買った直後だったな、と思い出しました。

2001年05月08日


. 010506 の通った文章が書きたかった(意味を取り違えている)。

 を見るのが好きなんですよ。

 こう書くとケンカっぱやい気盛んなならず者か、自傷癖のある人物に誤解されかねません。いかんいかん。言い方を換えよう。

 注射が好きなんですよ。

 いかん、ますますやばくなった。やはり説明しないとダメか。説明します。昔から病弱でして、しょっちゅう病院で注射だの点滴だののお世話になっておりました。この注射が好きな子供でした。なかでも採されるのがね、好きなんです。ビニールチューブで腕を縛って流を止めて管を太くして、エタノールの染みた脱脂綿で消毒して、注射針が皮膚を貫通して脂肪を貫通して筋肉を貫通して管内部に侵入し、シリンジが鮮で満たされてゆく一部始終を「じっ・・・・・・」と眺めるのが、好きなんです。特に針が皮膚を破るその瞬間の映像ね。見逃すのもったいないね。思えば小2くらいからこんな感じでした。変な子供。微妙に痛いのがまた、いいじゃないですか。これってマゾなんでしょうか。マゾをカミングアウトしてるんでしょうか。説明したら余計にやばくなった気がします。気にしません。健康診断シーズンの先月は採される機会に恵まれましてね。学校とバイト先と、2回も採していただきました(感謝の意を込める)

 しかも僕は、採する機会にも恵まれるのです。

 例えば大学3年時の生物学実験で、ウズラにインスリンを注射して、その前後の血中インスリン濃度の変動を測定しよう、という実験がありました。まずウズラを片手で(左利きの僕の場合は右手で)固定して、羽を広げ、左手に注射器を持ち、脇に相当する個所に走っている管に注射し、インスリンを注入します。続いて時間の経過とともに採して、そのインスリン濃度を測定するのです。この作業はけっこう難しく、ヘタするとウズラの羽の骨を折ってしまうこともあるのですが、僕は上手だったようです。先輩にも誉められましたし。採マニア。

 また、4年になって研究室に入ってからは、ウサギの採に携わることもできました。ウサギに、とあるタンパクを注射して、抗体を作らせて数日後に回収するという仕事がありまして。この場合は耳に走っている管に口径の大きい針を刺し、ピストンをぐいぐい引っ張ります。体躯のバカデカいウサギ(バスケットボール大)ですから、採しがいがあるってもんです。100cc以上も採れば、ビーカーは満たされます。僕の気持ちも満たされます(うまいこと言う)。うふふふふ。やっぱり採マニア。

 そうですね、僕は採するのもされるのも好きで得意ということになりますか(だったらどうなの)

 とりあえず自分の腕に注射する機会はまだありません。人間やめるときにはするかもしれませんが。これ、冗談になりませんね。オチにしていいんでしょうか。ややブラックですが他にいいオチを思いつかないので、これで終わります。ごきげんよう、さようなら。

 『動物のお医者さん』に出てきた餅(けっぺい)マニアの菱沼さんみたい。

2001年05月06日


. 010504 アキバに完敗。

 ウチワネタなので別個掲載。だらはから来て下さってる方で、登場人物(takka、YAMA、muu)を認識している方に送ります。

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2001年05月04日



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