
■ 2001年8月
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| . | 010822 星の話をするのは犯罪ですか。 |
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星を見るってことは、本を読むことと、とてもよく似ていませんか? 加納朋子 『ななつのこ』
日光で、星を見たんです。 霧降という地名そのままに、霧降り視界遮られる山道を、車で上って上って。 頂上付近になって束の間霧が晴れて視界がクリアになって 車から降り、アスファルトの上に寝そべり、上下左右180度を星空にして。 久しぶりに見た、星空でした。 教科書に載ってるまんまの星空が、展開されていました。 天の川が、ぼんやりと縦断していました。 重力に耐え切れなくなった星がひとつふたつと流れ落ちてゆきました。 三日月が細く、オレンジ色に光っていました。 影に隠れた輪郭までもが浮かび上がるほどに空気は澄んでいました。 冬の星座であるオリオン座は、東の空の地平に横たわっていました。 彼の出番は、もう少しばかり先です。 しばし呆けて見上げていました。 夏の夜にしては幾分肌寒かったにもかかわらず。 感動していました。 たかだか星空に感動するようになったことは とりあえず素直に感動できるだけの心であれたことはことは 原田宗典は、言いました。 昼間でも、見えなくても、星はいつも空にあるんだよ。 その昔星がきれいに見える地に住んでてそれを当たり前としていたぼくは、 星の見えない地に移り住むことでいつか 彼は、言葉を継ぎました。 見えないから、ないんじゃなくてね。 あるということを知っていれば、幸せだよね。 そうですね。 見えるから、あるんじゃなくて。 あると思う心があるから、あるんだと。 彼は、結びました。 そしてそれは夢や希望と――同じじゃないかな。 2001年08月22日 |
| . | 010811 どうしよう。 |
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困ったことになりました。 一体なにが起こったのか。その説明は少々あと回しに。今日は大変な1日だった、という話から始めます。 いま、甲子園で、第83回全国高校野球選手権大会が開催されております。本日は大会4日目、1回戦4試合がおこなわれました。組み合わせは次の通り。 つまりっ(盛り上がってるのは僕だけなのだが、テンション高く)、 母方の実家があり、生誕した土地である大分。 僕にゆかりあるこれら3県の代表校がこの日、揃い踏みなのです。東京にすっかり染まり、汚れ、うらぶれ、純真の二文字をどこかに置き忘れてきた僕も、甲子園のときばかりは地元意識丸出しになります。おらが県を応援するべさ。ふるさとは遠きにありて思ふもの(小景異情)。 こんな日ですから試合中は外出してても気はそぞろ。携帯ラジオのイヤホンを耳に当てながら街を歩きます。応援している高校が得点しようものなら、佐々木恭介ばりに 「よっしゃー!」 と嬌声。三振を奪おうものなら、デストラーデばりにガッツポーズ。怪しさ満点。人の目なぞ気にしません。あ、後ずさりしないで遠ざからないで(気にしてる)。 試合結果。 地元の高校、いずれも快勝。素敵。3県とも、有力校を毎年送り出すような強豪県では決してないだけに、このたったひとつの勝利が嬉しいです。次もいい試合を見せてくださいね。 ん? 次? うわお。 なんてこったい。 困りました。 13年間という長きに渡り住まい、人格形成に多大なる寄与ある宮崎と、中学高校という多感な時期をともに歩んだ岡山。どちらを応援すればいいんでしょうか。決められません。いや、どちらかを応援しなければならない、なんて謂れはないんですが。だけどこの試合にてどちらかが負けてしまうことになるのです。複雑です。 たとえるならっ(『JOJOの奇妙な冒険』)、 メーヤウでポークカリーとチキンカリーを前に出され、 「どっちかひとつだけしか食べちゃダーメ!」 と言われているようなもんです。そんなご無体な。両方食わせろ。食えるし。 こほん。 試合の日をどのような心持ちで迎え、試合をどのような気持ちで観るのでしょうか。幸せな悩みですね。でもなあ。 芝のにおいと、ビールとソースの混じったにおいね。今でも夏に甲子園に行くと、あ、このにおいや、と思うもんね。――甲子園いうのは、何回行ってもええよね。 清原和博( 「高校野球 激闘の世紀。」 ) 日南学園の試合はテレビで見てましたが、投手寺原、素晴らしい。151キロを3度記録。149キロをアウトローに決められたら、打てっこないね。コントロールいいし、力んでないし、後半はセーブしつつも130キロ後半出すし。自分の都合抜きにして、次の登板を見るのが楽しみです。前評判に違わなかった。 2001年08月11日 |
| . | 010807 なんとなくセンチメンタル。 |
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オフ会である。 唐突にこんな書き出しをしてみたのは、今の僕がオフ会帰りだからであり(書いているのは日曜日)、また、初めてオフ会に参加したのはちょうど2年前だったな、と思い出したからである。 この2年の間に、オフ会の社会的認知度も随分と上がってきた。もっともこれは平均以上にインターネットの世界をさまよい、オフ会に参加してきた僕の抱く印象であるから、実態とはまた異なるかも知れない。自分では長いと思っていてもたかだか2年であり、これより以前、インターネットがパソコン通信と呼ばれていた時代の事情は知る由もないのであるが。しかしながら2年前にはたしかにオフ会というのは今よりマイナーで耳慣れない言葉であったし、それはニュース番組で 「"オフ会"に参加する人々」 がトピックとして紹介され、木村太郎が現代性と結びつけたコメントをしたり顔で発していたほどなのである。これを見ていた僕も当時はハンドルネームを持っていなかったしオフ会未体験だったわけで、珍妙なハンドルネームでお互いを呼び合い、初対面で酒を酌み交わす集団に対して少しの奇異の目を交えていたことは否定できない。世間の目だってこんなもんだったはずだ。それは今現在、 「出会い系サイト」 に対して向けられている視線と大した差異はなかった。 こんな先入観が、初参加を前にしたときに異常な緊張を呼んでしまった。前夜にまったく眠れなかったのである。興奮で眠れないのは遠足前の小学生であるが、僕が眠れなかったのはまさに緊張ゆえである。天王山の登板を控えたエースピッチャーにも匹敵するものであったろう、という比喩を思いついたがこれは言い過ぎだ、失敬。ともあれ緊張で布団に入っていても全然気持ちの昂ぶりが治まらないし、吐き気までもよおしてきた。トイレに立つこと数度。なんだねキミ、そのザマは。人見知りが激しく大人数が苦手な僕が参加者20名超、しかも全員初対面というシチューエーションに身を投じるのだから無理からぬことであったが、それにしても今の姿からは想像もできない緊張っぷりである。当日の昼に2時間ばかり仮眠してから(それもごく浅い眠り)集合場所に赴いた。 ここで、 「オフ会の集合場所でよくある風景」 。
いや、すべて経験則なんですけれども(特に最後の3つ)。 さて、オフ会初体験のお話であった。初対面とはいえ、チャットや掲示板やメールで交流のある人々との集いであるから、自分でも驚くほどに、そして事前の緊張がなんだったのかと思うほどに、すんなりと溶け込めた。性も歳も職もバラバラな集団であるが、共通の趣味があるというのがなにより大きいのであろう(今回の場合、同じ作家のファンである、ということ)。サークルコンパや合コンが、空気をつかむのに、あるいは作るのに四苦八苦するのに比して、オフ会は最初から空気がおさまるべきところにおさまっていて、非常に居心地がいい、という印象がある。このへそ曲がりな僕をして楽しませたのだからその実力は折り紙つきである。楽しかったよ。楽しかったでしょ? ね? ね? (誰に同意を求めておるのか) 以来。 味を占めた僕は、月1以上のペースでオフ会に参加することになる。幹事の役を買って出たことも度々だ。初参加というヤマを越えればあとは普通の飲み会と変わらない。回を重ねるごとに新人さんが一人二人と加わっていき新しい血となるわけで、この意味で常に刺激があり新鮮さが失われることもない。刺激と言えばやはり、 「出会うはずがなかった人との出会い」 が大きな刺激となる。そんな人々と接し、話すために足を運んでいると言ってもいい。今まで参加したことがない人も二の足を踏んでいる人も、もしも機会があるならば許されるならば、参加してみることをお勧めする。無論、 「服用に際しては使用上の注意をよくご覧になり、用法、用量にご注意ください」 というただし書きもあるのだが。 こういう文体は疲れるのです。 2001年08月07日 |
| . | 010801 ストーカー。 |
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2001年08月01日 |