■ 2001年11月

011121 なくて七クセ、オクテな長瀬は相川七瀬。


 クセ、というものがあります(こういう書き出し自体がクセ)

 文章には、書き手のクセが如実に現れます。それは書き手の個性を反映し、魅力に繋がります。だからこそいろんな人の文章に触れたくなる、というものです。逆に言えばクセの見つからない文章の方が稀かもしれません。僕もちょいとばかり意識して文章を書き始めてかれこれ2年になりますが、書いていくうちに様々なクセが生まれました。無自覚なままでいられようはずもなく、読み返してみてクセを所々に発見し、苦笑します。ある程度自制しつつ書いているんですが、努力空しくクセからは逃れようもないようです(この段落、クセを大行進させてみました)

 僕の文章中の頻出単語を列記してみます。

  • 「うーむ」「要注意」「やっほう」「こっぱずかしい」「ちょいとばかり」「なんてこった」「いい加減」「もろやん」「ちょっと待て」「ぐはっ」「〜らしいです」「〜な感じ」「〜なんですけど」「〜なような気がします」「〜かもしれません」「〜してみようじゃねえか」「〜してるっぽい」「〜し過ぎ」「〜なわけです」「〜ではないでしょうか」

 技法上のクセで言えば、

  • 無駄に押韻
  • 無駄に対句
  • 無駄に倒置法
  • 無駄に体言止め
  • 無駄に繰り返し表現

 となります。「無駄に」がポイントです。使いすぎて効果薄れてます。

 クセは日記の文章にとどまりません。掲示板のレスなんか特に反射神経だけで書いてますから、より一層著しくなってます。いい加減ワンパターンに陥ってるような。ひょっとしたら、みなさんにももう読まれてるのかもしれません。

 ですから近頃では、自制をより一層厳しくしております。「文章を短くしようぜキャンペーン」実施中ですから(そうなの?)、いったん書きあげてから読み返してみて、クセはできる限り削っていきます。するとあら大変、文量、1/2になります(言い過ぎ)。すっきり。KDDIもびっくり。こういう風に削って削って削って、それでもやっぱり残ったのは僕の文章で。そこからにじみ出てくるのが本当の意味での、

 文体

 というものではないかと思うのです(こういうまとめ方も、クセ)

 うーむ、こういうこと書いたらこれから書きにくくなるな(これもクセ)

Today's diary is inspired by duzz and maruma.


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011116 こういうのは明け方に生まれがちです。


何かを、忘れていませんか。

理由を作って、逃げてませんか。

理屈を並べて、誤魔化してませんか。

失いつつあるのに、気づいていますか。

崩れつつあるのに、対処しないのですか。

傷つけたことから、目を逸らしていませんか。

傷ついたことを、封じ込めていませんか。

走ってばかりで、見逃してませんか。

立ち止まって、見つめませんか。

あなたは今、あなたですか。


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011115 舞台 2。


 とある舞台の裏側――それは文字通りの舞台裏――を垣間見る機会があった。

 ――リハーサル。

 各人の美意識のぶつかり合いである。セットの配置。均衡を採るか、不均衡を採るか。照明。全体に散らせるか、スポットにするか。音声。ピンマイクにするか、スタンドマイクにするか。役者から、脚本家から、注文が飛ぶ。語気は荒ぶり、場所を違えば喧嘩かとも思わせるような応酬が続く。

 各人が最上を目指し、意見を出し合い、試行錯誤ののちにやがて闘争は決着をみてリハーサルは終わるがこれはあくまで今日の最上であって明日もまた同じき方法が適用されるとは限らない。闘争は繰り返されて明日の舞台が生まれる。舞台は毎日生まれ変わる。

 ――楽屋。

 各人がそれぞれの方法で緊張と闘っている。緊張を楽しんでいるようにすら見える。緊張しなければ最上の表現なんてできないことを知っているから喜んで迎え撃つ。突如腹筋を始め、突如髭を剃りだし、突如発声練習を開始する。これまた場所を違えば奇異の目で見られるに違いない光景が展開する。

 各人ともに出された弁当も飲料も喉を通らないと訴えていたのは彼らもやはり人の子なのだと思わせる一面であって念入りに構成や科白のチェックを繰り返す姿はさながら試験直前の受験生を思わせる。「時間です」の合図とともに表情は平静を取り戻し、しっかと眼前を見据えながらステージへ向かう。

 ――終演。

 各人がソファに崩れ落ちる。汗をぬぐい、ため息をつく。表情を緩め何事もなかったかのように談笑する彼らは、最高にかっこよかった。


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011114 舞台。


 大学時代にやってたバイトはイベントの整理係で、例えば武道館、例えば東京ドーム、例えば代々木体育館、各所で開かれるコンサートやその他興行の舞台設営やチケットもぎりや会場案内やアンケート回収等々言わば雑用全般を、頼まれる端からほいほいとこなしていくのであった。

 与えられるポジションは時と場合によりけりで、運が悪いと会場外の誘導係に回される。日がな一日、誘導灯を持ってそんなに頻繁ではない車の出入りを待ち構えているのである。冬の寒空の中だったらそれこそ地獄である。

 では、運がいい、つまり当たりのポジションはどこなのかというとそれはもう会場内案内係であって、コンサートを聴きつつぬくぬくと突っ立っていればいいわけである。アリーナ席最前列に配備されようものなら心の中で歓喜するものの、そこは仕事である。「はい、わかりました」とだけ答えて速やかに任地に赴けばよろしい。

 お仕事なのであるからして、コンサートを茫洋と眺めていようものならチーフに怒られる。当然舞台を背にして観客の方を向いていなければならないのであるが、やはりちらりちらりと舞台に視線を注いでしまうのを止めようもないのだった。

 背後から聞こえてくる歌声、演奏、トークは、自分自身の好みとは別にして、人を集め、金を取り、楽しませる、それだけの力というものを端々に感じさせる。それはいずれの興行においても感じたことで、大なり小なり僕は舞台上の人々の表現に感動することとなる。僕が向いているのは観客席の方なので、歓喜し叫び踊る人々の勢いに至近距離で貫かれることとなる。僕自身が舞台上の人々の熱狂的なファンでない限りは、結構冷静に観察できるものである。これだけ人を動かすことができる表現の力を、素直に凄いと思った。舞台上から投げ与えられるものを、観客は確実に受け取る。

 終演後、視線は自分に向けられる。

 何もしていない自分、何も持っていない自分を見る。

 自分も、何かを与えられるようになりたいと、思う。


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011112 等号。


この世は、
したいけど、できないこと。
できるけど、したくないこと。
二つから成り立っている。

ゲーテ

 昔からの口癖のひとつが、

 「やだ」

 というものでした。人になにかを頼まれる。それが自分の意にそぐわなかったらカウンターで、

 「やだ」

 と切り返します。相手は二の句が継げません。じゃあいいよ、と踵を返します。これを繰り返してると人間関係は滑らかに動かなくなるけど、やっぱりしたくないことは、しない。この一線を守ることの方が大切でした。この性質は継続し、したいことだけ選択し、したくないことから逃げてきました。

 したいことは、できないことなんです。先が見えないんです。
 だから、したい。

 したくないことは、できることなんです。先が見えるんです。
 だから、したくない。

 行動には、意思を伴わせたいから。

 いつでも、「おもしろい」と思っていたいから。

 やりたいことだけやってるからには、弱音は吐かないから。

 「したいこと」
 と
 「できること」
 が等号で結ばれることなんてめったにありません。
 だけど、だからこそ、等号で結ぼうと必死になります。
 できないことだからこそ、魅力を帯びます。
 いつだって誰だって等号を目指します。
 それが、推進力。


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011111 帰省。


 駅に着いて。

 改札では相変わらず駅員が待ち構えていて彼に切符を渡す。と、街の風景が視界に飛び込んでくるが薄暮の中の街並みにこれまた変化はほとんどない。5年前と比べたところで差はないだろう。時間の流れが違う。

 バスを確認する。

 あいにくと僕が乗るのは少し前に出たばかりで次に乗るにはあと15分ばかり待たねばならない。

 だったら歩くか。

 と、さして重くもないバッグを肩にかけ、バス停を離れる。歩いたところで1時間もかかる距離じゃないし、急ぐわけでもない。さして寒さも厳しくなく、風は身を刺すほどの勢いを持たない。

 空が大きい。

 と感じるのは、極端に空が小さい場所で生活しているが為の反作用であって、元来空は大きい。紫とオレンジを等量ずつ混合して水に溶いて乱暴にぶちまけたらこんなになるんだろうと思える色の空が山の端に広がっていた。歩を進めるごとにこの色は濃くなっていく。

 いい思い出がある場所じゃない。

 早いとこ離れたかった。6年間ずっと、思っていた。離れることを前提として過ごしていたから、なんとか我慢できた。周りと、自分に。

 変わりたい。

 変われると思っていた。周りが変われば、自分も変わると。他者依存的な変身願望だったが事実その通りになった。自分を抑えなくてもよくなったし、周りに合わせる必要もなくなった。普通に振舞い発言しても、受け止めてくれる人がいて聞いてくれる人がいた。自分は、自分になって、自分じゃなかったものを捨てた。変わった。

 違う。

 変わったと、思い込んでいるだけなのだ。変わったと思うことで自分を納得させ安心させ誤魔化しているだけなのだ。成長したと思い込みたいから。過ぎた時間を肯定したいから。実は、何も変わっていないくせに。

 家に着く。

 いちばん、変わっていない場所に。僕もまた、何も変わっちゃいないんだということを思い知らされる場所に。どれだけ息巻いても強がっても逃れられない場所に。玄関先の電灯が燈ったまんまになっているのは僕の帰りに合わせているからだろうし、扉の鍵は閉められていないだろう。手をかけると、なんの抵抗もなく扉は開くだろう。5年前の僕が動き出す。

 ただいま。


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011105 書き込みランキング発表(どどーん)。


 歌は世につれ世は歌につれ…、今年も残すところあとわずかとなりました。この時期になると増えてくるのが、なんとかランキング系の番組。CD売り上げとか視聴率とか。あるいは有線大賞とかNG大賞とか。一年のまとめをしちまおうぜ、ってなもんです。我が『Rana's HOME PAGE』でもなんかやらかしたい、と思っていたところに格好のネタがありました。

 BBS。

 現在レンタルしているBBSには、書き込み数を自動集計してランキング形式で発表してくれるという小粋な機能が付いていました。ときどきチェックしてくださっていた方も多いはずです。え? 知らない? いや、いたでしょ? 誰も見てなかった、なんてことないよね? いるって言って。お願い。

 (話を進めます)そんな大好評コーナーも、開始以来約1年が経ちました。ここらで一度区切りをつけてみようじゃねえか、と、集計作業にとりかかりました。データをエクセルに入力して降順に並べて、別ハンドル使用でカウントが分離してる場合は整理して実数を出して、できたランキングを今度はHTMLで組み立ててある表にコピーアンドペーストしていって、最後に順位をつけていきます。書き込みが同数でタイになってる順位もあるから要注意。

 …。

 だあっ(ちゃぶだい返し)

 なんてめんどくさいんだ。こんなこと思いつかなきゃよかった。しくしくしく。だけど、そこはサガというもの。途中で反故にすることはできません。僕の血液型は言わずもがなです。

 1時間の格闘ののち、集計完了しました。

クリック。

 おっ、なんて激戦なんだ、上位お二人。ぴろさんのたさんの、モスト・デンジャラスコンビがハイレベルの争いを繰り広げていたのですね。ぴろさんが一馬身ほどのたさんを引き離して逃げ切った模様です。おめでとう、ぴろさん。栄冠はあなたのもの。なにも出ません。

 分析に移ります。まず男女比。男:19、女:33。おっと、読めてはいましたが女性陣優勢ですね。なんてうれし…ごほっ、なんてしあわ…ごほっ、んっ、んっ、んっ、…男性陣の盛り返しを期待しましょう(棒読み)。男性陣トップはもろやんですね。しまった、また名前出しちゃった。

 次に、僕と直に面識ある方の割合。42人/52人。おい、多すぎだろ、これ。お前、オフ会出すぎ。あちこち飛び回りすぎ。大丈夫なのか。実生活、ちゃんと営まれているのか。目指せ、全員制覇(いや、無理だろう)

 今年度になって大きくカウントを伸ばしたのは前掲のお二人に加え、りかさん、ぴぴんぱさん、しおりさんの御三方ということになるでしょうか。ありがとうございます。いやあ、ランキングから見えてくるものって、いろいろあるもんですね(まとめた)

 しかし僕の凝り性はこれにとどまりません。

 サイト開設以来の総合ランキングも作ってみました。

クリック。

 おおおっ、昨年度の覇者、ぷーさんが一位に踊り出て、さらに激戦になっております。ぴろさんのたさんの猛追をかろうじてかわしています。あやうし、ぷーさん。この先の展開から目が離せませんね、タザハマさん。

 みなさまの書き込みのおかげで、更新不定期にもかかわらずいつも活発な雰囲気を醸し出せております。ありがとうございます。これから新規書き込みレースのスタートです。今後ともよろしくお願いします(なにも出ません)

 ところでサイトオーナーである僕の書き込み総数は754でした。え? 一日二個の計算? よくよく考えるとすごいな、それ。


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011104 ちっ、またもろやんを出演させるハメに(不本意)。


 この日記は、同日のもろやんの日記も合わせ読むと、より一層お楽しみいただけます。

 祝・りりばーす創刊。

 といわれても、ほとんどの方はなんのことだかさっぱりわからないと思われます。「りりばーす」というのは、もろやんが所属している大学院の院生が中心となって発刊される研究雑誌で、先月の末にやっと第1号が完成しました。この説明文、まんまもろやんをパクりましたごめんなさい。

 この雑誌の創刊をなぜ僕が祝しているのか。それは僕ともろやんとの間の熱い友情故なんかではけっしてなく、なんと僕が雑誌の表紙デザインを担当しているからなのです。雑誌の発刊準備が始まった6月中旬、もろやんから打診がありました。

 「雑誌の表紙デザインをやってもらえないかね、らなたんくん」

 やらせてくださいやらせてくださいやらせてください。

 願ってもないお仕事です。本の表紙のデザイン、ひいては装幀ってば、もっとも心魅かれるフィールドです。過去にはサークルで発行する冊子の表紙も手がけておりましてノウハウは重々承知しております。そのときは手描きイラストとかコラージュとか、アナログな手法によるお仕事でした。今、私の手元にはパソコンおよび画像編集ソフトがございます。時流に乗ってデジタル化してます。駆使したい駆使したい駆使したい。工場制手工業(マニュファクチュア)から工場制機械工業へのステップアップです。ん? この例え、微妙にズレてるような。

 と、まあ、二つ返事で引き受けた僕に、もろやんから詳細が伝えられました。

  • タイトルは、「りりばーす」
  • 英語表記すると、re=rebirth/re=reverse
  • サイズはB5で、使える色は白と黒<予算の関係
  • 表紙デザインのところに名前が載るらしい
  • 国会図書館や近代文学館にも送りつけて蔵書にしてもらうらしい

 おおお、なんて魅惑的なお仕事なんでしょう。俄然ボルテージも上がります。イメージや方針もおぼろげに浮かんできます。ん? 研究雑誌? まあまあ、そんなお堅い中身にお堅い表紙じゃそれこそ手に取る人も読む人も限定されちゃうから(そういうものでいいのかも知れないけれども)、表紙くらいはやわらかく行こうぜ、ポップまっしぐらにしてやろうぜ、と目論んでおりました(単に得意なだけだったりもする)。引き受けたとき、そして着手したときは、ごくごく軽い気持ちでした。

 が、

 制作はひどく難航しました。試行錯誤、紆余曲折の末、第一案を示すのに2ヶ月を要し、さらに2ヶ月寝かしたあとに少しの手直しをしてやっと完成版を渡せた、という難産っぷり。正直、途中少々焦りました。かつてないことです。案を提出するときにも、「こ、これでいいのかなあ?」ってなくらいの弱々しさでした。基本的に自信過剰な僕にしてみれば異例の自信なさ加減です。お目通しいただいたもろやんのお仲間からは幸い好意的な感想をいただいて、安堵しましたけれども。こうして、研究雑誌らしからぬポップな表紙が完成しました。


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 こんな感じ(クリックすると拡大します)

 おい。

 軽すぎねえか、いくらなんでも。

 この表紙を一枚めくれば、

  • 「〈都市と農村〉パラダイムの形成」
  • 「現実との闘争 ―田村俊子の先見性―」
  • 「柳宗悦〈民芸論〉における時間認識と宮沢賢治〈農民芸術論〉」
  • 「〈フルイ・マニヤ〉」
  • もろやん「『ミステリを読む』顛末記」

 こんな目次が飛び込んでくるのです。看板に偽りありまくりです。びっくり箱です。論文タイトルのお歴々を見てちょいとばかり怯んだのは事実です。表紙、浮きすぎです。思惑を文字通り飛び越えています。が、僕に少しの落ち着きを与えてくれる要素もまた、ありました。そう、それは言わずもがな、

 もろやん「『ミステリを読む』顛末記」

 かろうじてもろやんのエッセイだけが、僕の表紙に負けじと浮かび上がろうともがいてます。さすが、旧知のよしみとはこのことでしょうか。こうなったら徹底的に浮くのもそれはそれで面白いかなと思います。もろやんくん、僕と一緒に浮き続けましょう(あっ、最後もパクりやがった)

 今月中旬には現物が僕の元に届く寸法になっています。楽しみだ。


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 蛇足的にこのデザインに込めた意図を解説します。すべてのデザインには意図、意味、理由、目的、対象を説明する言葉を用意しておきなさい、という忠告をいただいて以来、以前にも増してこういったことを意識するようになりました。僕の好きなデザイナ、原研哉のエッセイからもこの精神(というか当たり前の心がけとしてだけど)の大切さは読み取れます。その真似事です。

 まず、モチーフは「イーゼルとカンバス」です。種々の色(=論)を塗りたくり、展開させる、カンバス。ロゴは次号以降も使い回しできるようにシンプルにしました。やわらかいフォントを使用(日本語は「SAKURA」、英語は「SAKU」)。「禁則を破る、戒律を無視する」=「新しいものを産み出す、再生 "rebirth"」、という意味をこめて、「×(ペケ)」の上にロゴをかぶせています。"reverse" を反転させているのは…ま、そのまんまです。黒白しか使えないので、グレーを有効に使って、表情をつけようとしました。全体としては…第1号ということで、勢いとインパクトを与えたかったのですが成功しているでしょうか。


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011101 年賀状、いらんかね。


 年賀状、販売開始です。

 郵便局では局員が街頭に出て、寒空の中販売促進のキャンペーンを張っています。この光景を見ると年も押し迫ったことを実感します。

 年賀状。

 ここ数年、出していません。実家の年賀状のイラスト描きを毎年担当しているのですが、これを描き上げるだけで満足してしまい、自分の年賀状はおざなりになっていました。年賀メールでお茶を濁していました。筆不精もいいとこです。出さなかったら来なくなるのが道理というもので、僕に年賀状を出してくれる好事家は年々減少していきました。

 さみしい。

 さみしん坊の僕は(殴れ)、この事態を憂いました。なんとかして起死回生の一打は繰り出せないものでしょうか。

 妙案が生まれました。

 年賀状を企画化しちまおう。

 このサイトを訪れてくれる人は40-50人/日。これは延べ人数なので割り引いて考えるとしても、ふらりと立ち寄ってくださる方も含め合わせると30人はコンスタントに来場してくださってる模様です。ありがたいことです。このコミュニティを利用しない手はありません。ここに、僕と年賀状交換してくれる人を募集してしまいます。

 年賀状プリーズ(企画要項下記)


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企画要項。


□手順

1.Ranaさんに「年賀状送りやがれこのやろうメール」を送る。
>>> rana_catesbeiana@hotmail.com(企画終了しました)

2.Ranaさんから「ご参加ありがとうございますメール」が届く。このメールにはRanaさんの住所氏名が添付されてるらしい。

3.Ranaさんにあなたの住所氏名をお知らせする。

4.年賀状を買いましょう(今なら1枚50円です)

5.年賀状を書きましょう。

6.年賀状を投函しましょう(ここ、肝心です)

7.元旦に互いのご家庭に年賀状が届きます。郵便事故がない限りは。

8.Ranaさんは年賀状が届いて幸せです。

9.Ranaさんから届いた年賀状は、1月15日のお年玉くじ抽選結果発表までは保存しておいて下さい。あとは煮るなり焼くなり。

10.めでたしめでたし。

□補記

1.最初のメールにて住所氏名をお知らせしていただくのも手ですが、段取りとしては上記のものがまっとうかと思われます。

2.古き風習が廃れつつあるのを憂いているわけではないみたいです。

3.本企画を通じて知り得た個人情報は本企画の遂行(つまり年賀状送付)以外の目的には使用しません。漏洩しません。

4.先日先輩からもらったプリンタを駆使したいという目論見がある、なんてことはないです。

5.反響がなかったらこの企画自体こっそりとなかったことにして、Ranaさんは旅に出ます。

以上。


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