070210 3人の背番号 “18” [野球]

 8年前、松坂大輔を口説き落とし、西武ライオンズへの入団にこぎつけた功労者、東尾修監督 (当時) は、松坂を評し、こう語っている。

 「頭の先からツメの先までセンスの行き届いた選手。最近の高校出のピッチャーでは桑田以来だろう」

 松坂もまた、尊敬する投手のひとりとして桑田真澄の名を挙げていた。1999年のルーキーシーズン開幕直前の3月、松坂と桑田は中華料理店で食事をともにし、桑田は松坂に1980年の赤ワインをプレゼントした。1980年はすなわち、松坂の生年である。松坂曰く、 「20歳になったらいただきます」 。

 昨年12月、東北楽天ゴールデンイーグルスの新入団選手発表記者会見で、野村克也監督はドラフト1巡目指名の期待の高校出ルーキー、田中将大 (まさひろ) を評し、こう語った。

 「素晴らしいスライダーに、天性の直球の速さ。非常に鍛えがいがある。松坂君の後継者になれる存在」

 田中もまた、松坂を意識している。記者に 「松坂の代わりに日本球界を盛り上げたいか」 と問われれば堂々 「そういう気持ちはあります」 と答え、野村監督に 「松坂の後継者」 と持ち上げられれば 「 (自分は) 田中で行きます」 と切り返す。これらの言動は、入団発表の席で 「200勝を目標にしたい」 と壮語した松坂と重なる。

 田中は8歳上の松坂を見据え、松坂は13歳上の桑田を見据えていた。彼ら3人の背番号は、いずれも “18” 。日本球界でエースナンバーとされる背番号である。高校時代、甲子園でそれぞれ20勝 (桑田) 、11勝 (松坂) 、8勝 (田中) という素晴らしい成績を収めた彼らに対する球団の期待の表れがここにある。

 しかし、現在の3人が置かれた状況はおおいに異なる。これから日本プロ野球に身を投じる田中、120億円超で請われてメジャーリーグに移籍した松坂、読売ジャイアンツを自由契約となりメジャーをめざすもマイナー契約を余儀なくされた桑田 (しかも背番号は “52” だ) 。松坂を間に挟んで約20年という年齢の差は、そのまま3人の現況を規定している。

 観衆は、プロ野球選手としての 「青年」 「壮年」 「晩年」 の姿を、そこに見る。20歳前後から40歳前後、長くとも20年間 「しか」 選手としてのプロフェッショナルではいられないという現実を知っている観衆は、その期間に己の人生を投影する誘惑に抗えない。だからプロ野球ファン内外の幅広い年齢層の人々が、この3人の動向を追う。メディアは需要に応えるべく、この3人の情報を集め発信する。

 3人が今シーズン、どのような成績を残すのか、誰にもわからない。活躍が既定路線かのような見方がなされている田中・松坂が日本プロ野球やメジャーリーグで1勝もできずに終わる可能性はなくはない。悲観的な見方が多数あることを否定できない桑田があっさりメジャーに昇格し、大活躍する可能性だってなくはない。誰も予測できない、断言できない。だから、見たくなる。

参考資料
スポーツニッポン (1999年4月8日付紙面)
日刊スポーツ (2006年12月16日付紙面)
報知新聞 (2006年12月17日付紙面)
『週刊ベースボール』 ベースボール・マガジン社 No.54 Vol.2 1999.1.18
『週刊ベースボール』 ベースボール・マガジン社 No.62 Vol.7 2007.2.24

comments

comment form
comment form

Recent Entries

Search


Category Archives