020917 15歳 [随想]

 15歳の頃の話をする。

 15歳。僕は中学3年生で、今より少しばかり子供だった。高校受験を控えてはいたがそれはそんなに切迫した問題でもなく、日々学校に行って家に帰って漫画を読んでゲームをする、穏やかな時が流れていた。友達は多くはなかったけれども自分の交際能力からすれば分をわきまえていたとも言え、時々カラオケやボーリングに行って遊びのための遊びに興じていた。田んぼに囲まれた公立中学校のごくごく一般的な黒髪の中学生はごくごく一般的な遊びに時間を費やし、身に充填されていたであろう活力のようなもの、あるいは蓄積されていたであろう熱のようなものを放出し発散し切れているとはとても言えなかった。それでもそれが僕の15歳であり、そこそこに満足していた。

 当時の僕は村上龍がお気に入りだった。ハルキじゃなくてリュウ。この点で今とは決定的に異なっている。今の僕はリュウが嫌いで、ハルキが好きだ。村上龍『69』で読書感想文を書いただなんて信じられない。そういえば僕は読書感想文という宿題が嫌いではなかった。「嫌いではなかった」なんて微妙な言い方をしているのは、どうやら読書感想文は「嫌いであるべきもの」のようであるからだ。しかしながら僕はそう、「嫌いではなく」、「気に入られるであろう」感想文を書いたり「気に入られないであろう」感想文を書いたりして周りの反応を計っていた。極めてかわいくない所業であるが、それはこのろくでもない宿題を少しでもマシなものにするための手段のひとつだった。

 小遣いの多くは漫画と文庫本の購入に充てられた。漫画を何冊、そして文庫本を何冊買えば小遣いが尽きる、なんてことは毎月の支出の中で身体でわかってくるから、読みたいヤツを吟味して検討してから意を決して一冊の本を買うことになるし、心して一冊の本を読むことになる。だから僕はそんなに「つまらない」と思う本に出会うことなく最も吸収のいい時期を過ごすことができた。これは幸福なことだと思う。逆に趣味が本に偏重していたため僕の周りに音楽はなかったし映画もなかった。これは不幸なことだったし今からすれば後悔だ。しかしテレビは普通に好きで観ていたので、辛うじて本以外の別の吸収口も保持されていたことになる。ダウンタウンが席巻していた当時のテレビ番組を、僕も多分に漏れず深夜に至るまで観ていたのであった。

 中学校の卒業文集、「将来の自分」の欄には、こう書いた。「イラストレイターになってる。」と。イラストを描かなくなった僕は、15歳の僕を裏切ったのだろうか。裏切ったのかもしれない。でもこんなことを書きながらも、「まあ可能性は低いかな」などと達観していた僕がいたことをよく覚えている。好きなことをやって食っていける人間がどれだけ少ないか、ということをよく知っていたし、自分の能力がそこに及ばないものであることも知っていたからだ。そのくらいのことは知っていた。その程度には大人だった。15歳の僕は10年後、今の僕の姿を想像しただろうか。今の僕の姿を見てどう思うだろうか。「ふん、やっぱりね」と鼻白むような気がする。人間そう大きくは変わらないし、期待するほど突拍子もないコトをしでかすはずもない。彼の延長線上に僕はいるし、僕の数メートル後ろに彼はいる。

 15歳の誕生日に僕はスーパーファミコンのソフトを買ってもらい、
 15歳の僕は家出をすることはなかった。
 家出をしなかった15歳の僕だけど、少しの物語はあった。
 25歳の僕は『海辺のカフカ』を読んで15歳の僕を想い、
 25歳の僕は10年の時というものを想った。

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