030911 ドッジボール [随想]

 ドッジボールができなかった。

 小学生の頃の話。昼休みの定番といえばドッジボールで、給食が終わるなり運動場へ出て、地面に足でラインを引いて、「グーパー」なり「ウラオモテ」なりでチーム分けをして、ゲームを始めるのだった。男子も女子も関係なく。リーダー格の男子の号令のもと、外野が配置され、内野に布陣がしかれる。ゲーム開始後にも次から次へとメンツは増えて、どちらかのチームに飛び入りしてボールの投げ合い、ぶつけ合いにわあわあきゃあきゃあ。

 その流れの中に、僕は入れなかった。

 そもそもドッジボールが苦手だった。それ以前に、「みんなで遊ぶ」ということ自体が苦手だった。いやちょっと違うな、なんというかほんとに苦手だったのは、「みんなで楽しく遊ばなければならないという雰囲気」であった。

 「みんなで」いるといたたまれなくなるし、その中にあってはとても「楽しく」過ごすことはできないし、なにより「遊ばなければ」と強いられることが嫌いだった僕が遊びの輪の中に入るには、結構な決意と緊張と覚悟を要するものだった。で、その遊びの象徴として、ドッジボールがあったわけだ。自然、距離を置くようになるというものであろう。

 だから僕は、昼休みをひとりで過ごすことが多かった。教室なり図書室なりで。ぼーっとしたり本を読んだり。こうして過ごす昼休みの45分は途方もなく長く感じられるので、早く掃除の時間に、そして5時間目に、ならないものかと思っていた。みんなでいるのは苦手なくせに、ひとりで手持ち無沙汰を貫くこともまた、それはそれで苦しいものであった。

 そう、ひとりでいることは苦しいので、たまにみんなでいることの安堵の中に身を投じることもあった。誘惑に負ける。小学生の心はそんなに強くない。気まぐれに友だちのあとにちょこちょことくっついて運動場に出て、ドッジボールの場までは顔を出すのだった。

 けれどやっぱりドッジボールをするような気にはならないので、僕は「見学」することにする。体育じゃあるまいし、なに昼休みのドッジボールを見学してんだよと今ならば思うところであるが、当時の僕にはそれが精一杯だった。ドッジボールを、見学。ラインを越えてボールが飛び交う中に入ることは、すごくすごく遠いことのように思われた。小学校6年間ずっとそんな感じだったために、ドッジボールのゴムの感触は決して手に馴染むことはなく、たまに体育で触る時にいつも新鮮な手触りを僕に与えた(その体育だってしょっちゅう休んでた)。

 6年間でたった一度きりの「昼休みのドッジボール」を、よく憶えている。

 それは僕にとって最初で最後のドッジボールだったわけだが、と同時に最後の昼休みでもあった。

 小学6年の3月。3学期も残すは卒業式のみというところだった。その日は最後の授業の日で、すなわち普通に昼休みが与えられる最後の日であった。

 「最後の昼休み」という意識に、周りはどうも落ち着かない様子だった。最後の昼休みを存分に満喫してやろう、という意気込みに満ちていたように思われた。そして最後の昼休みを飾るにふさわしい遊びといえばやはりドッジボールであった。それはもう自然発生的に、「ドッジボールをするぞ」という暗黙の了解事項が成立していた。そのくらいは僕にも感じ取れた。

 最後ということで、僕もいくらか感傷的になった。「ずっとドッジボールをしてこなかったなあ」と思った。そして「最後くらいはやってみたいなあ」という気になった。劇的で画期的で奇跡的なことだった。

 昼休みに突入し、いつもより早足で駆けてくみんなのあとに、僕もついていった。運動場に出て、いつもならここで少し距離を置くところだったが今日はチーム分けの輪の中に加わった。周りがちょっとざわめいた。

 「おおっ、入ると?」
 「すげーすげー」
 「初めてっこつね?」

 そんな言葉が投げかけられた。たかだかドッジボールに加わるだけでトピックになる。それだけ徹底して避けていたってことだ。僕はあらためて自覚した。

 ゲームが始まる。体育の時とは全然ちがった緊張感がある。ボールをよける。ボールを受ける。すべての動作がぎこちなかった。何度かボールをキャッチできただけでも殊勲ものであった。周りもどよめく。投げ慣れていない僕の肩から放たれるゆるいボールは、たいした驚異も与えずに相手の手の中にすっぽりと収まる。それが悔しかった。「悔しかった」という感覚を得られたことは、なんだか照れ臭くもうれしかった。

 やがて僕はボールの餌食になり、外野に出た。外野からの眺めもまた新鮮だった。早い話すべてが新鮮だった。6年目にして、初めてドッジボールを身近に感じた。

 数ゲームをこなして、45分はあっという間に経過した。45分とはこんなに短いものだったのかと。昼休みが終わってしまうのはこんなに寂しいものだったのかと。

 ところが、昼休みの終わりを知らせる音楽が鳴り出さない。

 みんな、「あれ?」と思っていたようだった。「まだ遊んでていいの?」と。そこに放送があった。

 「本日の昼休みは15分延長します」

 他になんの説明もなかった。それは6年生の最後の昼休みを、少しだけ延ばしてあげようという学校の粋な配慮だった。他になんの理由も考えられなかった。みんなそう解釈して、大喜びでドッジボールを続けた。僕も喜んだ。昼休みが続くことを、喜んだ。

 この後のことは憶えていない。延びたとはいえたったの15分、終了の音楽は鳴り出しみんな教室に戻り、掃除を始めたのだろう。5時間目、最後の授業を迎えたのだろう。この、小学校最後の授業を、僕は憶えていない。記憶にとどまったのは、最後の昼休みのことだった。あんなに嫌いだった、昼休みのことを。

 小学校を卒業して中学に上がると、昼休みにドッジボールをする者なんて誰もいなかった。黒い学生服にドッジボールは似つかわしくないらしかった。昼休みはサッカーをしたり、宿題をしたり、タバコをふかしたりする、そんな時間に変わったらしかった。

 ずっとドッジボールを避けてきたことを、僕は後悔しているわけではない。むしろ、だからこその鮮烈な印象が残ったのだと、思っている。

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