040120 マンガを読む体力 [随想]

 体力の衰えを感じ始めてきている昨今ですが(え? もう?)、この「体力」、なにも肉体的なものばかりではありません。マンガを読むのにも、体力がいるようです。

 マンガとの初めての出会いは、藤子不二雄『ドラえもん』だったと記憶しています。幼稚園の年中組のときでした。小学館の「てんとう虫コミックス」や「コロコロコミック」を買い与えられた僕は、そりゃもう夢中で読んだものです。ひらがな、カタカナ、基礎的な漢字を憶えることができたので、小学校に入ってからの学習が比較的スムースでした。みなさんも、お子さんには早いうちからよいマンガを与えましょう(推奨)。僕もそうする所存です(いつの話だ)。母ちゃん、ありがとう!

 以降も僕のマンガ好きはとどまるところを知らず、手塚治虫、藤子不二雄を出発点として「ジャンプ」「サンデー」「ビッグコミック」「モーニング」などなど、年齢に応じた週刊・月刊誌を購読し、単行本を買いそろえました。両親ともにマンガ大好き人間だったので、マンガに関して大層理解があったのは幸いでした。ただ、僕のあまりのマンガ好きっぷりに呆れられ、一度すべてのマンガを没収されそうになったのには参りました。当時小学校低学年だった僕はこの世の終わりとばかりに泣き叫び、「ちょっと控えるから」ということでカンベンしてもらいましたが。後にも先にも、赤ん坊時代を除いてあれだけ泣いた記憶はありません。

 こうしてマンガ漬けだった僕の小・中・高・浪人時代でしたが(浪人時代もか)、大学生になってやや変化の兆しが見え始めました。ひとり暮らしの狭い部屋にそうそう大量の雑誌・単行本を置いてはおけないという事情から、自然と購入を控えるようになってきたのです。なにかと出費がかさみ、財政的にも購入ままならず、という根本的な理由もありましたが。

 一度遠ざかると、「マンガ離れ」は加速しました。購入から立ち読みへと形態が移行し、やがては立ち読みする機会すらもなくなってきました。サイクルの早い週刊誌では、何号か読まないでいるだけで展開がわからなくなるし、連載終了・新連載で執筆陣が目まぐるしく入れ替わるしで、久しぶりに手に取っても読めるマンガがない――という循環も、この傾向を後押ししました。

 そんなここ数年、「マンガを読む体力」が落ちてきていることを自覚することが多くなってきました。長時間読み続けることができないし、そもそもマンガを手にするのが億劫です。「マンガと小説、どちらを読むのが楽か?」と問われたならば、「小説」です。以前では考えられなかった逆転が起こっています。

 つい先日にも、マンガ喫茶にて荒木飛呂彦『ジョジョの奇妙な冒険 第6部 ストーンオーシャン』を数時間かけて全巻(17巻)読破したのですが、ほとほと疲れ果てました。昔なら平気で、秋本治『こち亀』全53巻(当時)を1日で一気読みできてたのに!

 ただ、読む体力の低下だけならばまだしも、マンガを受容する力までも、衰えてきたような気がして、それがもっと憂慮するべきところだと思っています。内容に入り込めないのです。たとえば『ジョジョの奇妙な冒険』にしても、中高時代にあれだけ熱中して「貧弱! 貧弱ゥ!」とか「やれやれだぜ」とか「スピードワゴンはクールに去るぜ」とか、名言・決めゼリフを連呼していたにもかかわらず、先日読んだときには、どうにも流し読みになってしまった感があります。物語世界との距離を感じてしまったというか。おもしろいことはおもしろいんだけど、その感じ方が明らかに変性しているんですね。

 これをして、「大人になった」という風には片付けたくはないなあ、と。大きな言葉でいうと「感性」の話にもなってくるのでしょうが、「おもしろい!」と思えないよりは思えたほうが、お得で楽しいよなあ、と単純に思いますので。

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