040401 ミニコンポ [随想]

 ミニコンポを、処分しようかと思っている。

 今から7年前、「入学祝いに」ということで、親から買ってもらったものだ。この7年の間に、「ミニコンポ」という言葉のもつ威力も響きも、随分変わってしまった。新しいメディアが次々と生まれ浸透し、音楽はどんどん安く、軽くなっていった。

 CDが5枚一度にセットできるという、こけおどし的謳い文句で販売されていたこのコンポを購入したのは上京直前。思えば東京に出てから、東京の量販店で買えばよかったものを、「金だけ渡して祝いにするのもなんだから」という理由で、地元岡山の家電ショップで買ってもらったのだった。7年前の3月末に、僕の部屋で開梱したときのことをよく憶えている。

 なぜだかその日そのとき、部屋には父、母、妹、そして僕と、一家が勢ぞろいしていた。ベッドが面積の半分を占めていて、狭苦しい印象を与える部屋に4人。単身赴任先から一時帰宅中の父がいて、いつもながらに身体の不調を訴えていた母がいて、中学入学を目前に控えていた妹がいたわけだ。ダンボール箱から取り出したコンポ本体とスピーカーとを接続し、試しに稼動させてみよう、ということでビートルズの『青盤』をセットし、リモコンの再生ボタンを押した。

 「STRAWBERRY FIELDS FOREVER」が部屋に流れるなか、僕はなんだかしみじみと、「家族4人」であることができる最後の日のことを思った。

 たかだか新幹線で4時間の距離の地に移り住むだけなのに何を大げさな感慨を、と思われるかもしれない。けれど年に1、2回帰るだけの実家にあって僕の立場はどうしても「お客さん」となり、帰省することはひとつのイベントとなり、家族ともにあることが当然であったそれ以前の日々とは明らかに何か違ってしまっているので、「最後の」と感じていた当時の思いはあながち外れてもいなかったと思う。

 東京生活のはじまりに、友人知人が誰もおらず、夜や休日の空いた時間を持て余していた僕の退屈を紛らわせてくれたという意味で、このコンポは相当に活躍した。CDを聴いた。ラジオを聴いた。深夜ラジオを録音したテープは繰り返し聴き過ぎて、また、重ね録りをし過ぎて、すぐに使い物にならなくなった。

 だが蜜月とは短いもので、僕が東京生活に慣れていくのと反比例して、コンポの稼働時間は短くなっていった。夜通し飲んだり、カラオケしたり、バイトしたりしていた毎日のなかで、急速に音楽もラジオも要らぬものとなってしまっていった。

 3、4年もすると、初期の酷使が祟ったのか、あちこちにガタが生じはじめた。CDをセットしても認識してくれなくて「NO DISC」の表示を続けるし、テープにいたっては「OPEN」を押しても何の反応も示さないために、セットすることすら不可能となった。損なわれることなく機能し続けるのは、ラジオ部門のみ。バカでかいラジオの誕生。

 丸7年。ここ数年はほとんど稼動することなく、放ったらかしになってしまっていた。時刻の表示窓はずっと「- - : - -」のままだ。「処分」が頭をよぎったのも何も今にはじまったことではなく、同じくここ数年、折に触れて考えてきたことであった。

 それでも実際に処分する段になかなか進めないでいるのはどうしたものだろう。処分すれば空いたスペースに、溢れかえっている本を少しでも収納することができるのに。「祝いの品」であるからこそ、ためらいを抱いてしまうのはまあ納得できる理由であるのだけど、どうにもそれだけではない他の心情が、処分に踏み切るのを邪魔しているように思われる。そうして8年目を迎えるのだ。コンポ自身にとっても、おそらく本意ではない待遇のままに。

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