040622 できねえなあ、が、変えること [随想]

 小学生のころに住んでたアパートの前に広場があって、日曜日ごとに友達4、5人と野球をしていた。思えば当時の遊び方といえば、しばらくファミコンして飽きたら外に出て野球、そしてまた部屋でファミコン、この繰り返しであって、それなりにバランスがよかった。まあこれは本筋とは関係ない。

 4、5人で野球ができるのか? というと、これができちゃうところが子どもマジック。2対2に分かれて攻撃側はバッターとキャッチャー、守備側はピッチャーと内外野すべて受けもつスーパープレイヤー、という役回りとなる。攻撃側のひとりがヒットを打って塁に出た場合、次なるバッターはキャッチャーも兼ねることになる。空振りしたボールを自分で拾いに走ってピッチャーに投げ返すのである。実に忙しい。そしてランナーが複数人出る状況になったら、必殺「透明ランナー」の登場。こんな感じでうまいこと「野球」ができてしまうのだった。

 「じゃ今度、山田で」

 とピッチャーが宣言して、阪急プレーブスの山田久志のフォームで投げ込む。バッターは、読売ジャイアンツのウォーレン・クロマティの構えでこれに対峙し、快音を響かせたもんなら「ゼッコーチョー!」と叫びながら一塁ベース(ということになっている、石ころ)の上を駆け抜ける。そりゃ中畑清だ。

 プロ野球が、今のようにわけわからんことになる一歩手前の時代、まだヒーローはヒーローで、スターはスターだった。注目されたのは選手の人間性ではなくむしろ超人性で、伝説だとか神話だとかが高値安定を維持していた。プロスポーツはこれでいいんじゃないか、よかったんじゃないかと思う。

 だから『小学○年生』とかいう類の雑誌にも、プロ野球選手のグラビアが載り、フォームの図解が載り、変化球の握り方が載っていたわけだ。僕らはこぞって特徴的なフォームをもつ選手のマネをし、流行りの変化球の握りをおぼえた。

 そして、気づくのだ。ロッテオリオンズの村田兆治のようなマサカリ投法では、腰を痛めることに。読売ジャイアンツの桑田真澄のようなスプリット・フィンガード・ファーストボールは、投げられないことに。山田久志のようなサブマリン投法では、ボールはあらぬ方向に飛んでいき、見事窓ガラスを割ってしまうことに。

 「できねえなあ」
 「むずかしいなあ」
 「ちっくしょー」

 という気づきの瞬間に、僕らは鑑賞者としての立場に身を置き、「プロって、やっぱすげえな」という視線で、プロ野球を観るようになる。素直に楽しみ、好き勝手に批評を加えることができるという意味で、これはとても幸せな立場だ。

 もちろん僕らとは違って、「おっ、ちょっとできるかも」と思う人もいるだろう。こういう人は中学で野球部に入り、プレイヤーとしての立場から、野球との関わりを続けるだろう。

 まれに、「できる」と自信を深める人もいるだろう。こういう人は高校でも野球を続け、大学でも続け、社会人でも続けるだろう。さらにその中のごく一部、ついにはプロにまでなってしまう人は、「できる」と思い続け、自分を信じ続けた人、なんだろうと思う。

 こうして、「できねえなあ」「できるかも」「できる」が、さまざまな場面で人を動かし、道を選ばせる。

 いろんな人がいると思う。「できる」と思い続けながらも、まだ身を立てられないでいる人。「できるかも」がたくさんありすぎて、どれを選べばよいのかわからないまま、時を過ごしている人。「できねえなあ」だらけで嫌気が差してしまっている人。「できる」ことで大成する人はごく少数であり、現実は厳しい。

 でも、まだ見ぬ「できるかも」との出会いを待ってる間に、多くの「できねえなあ」に気づいて、鑑賞者としての立場をとれる対象をたくさん確保しておくことは、それはそれで面白い道じゃないか、と思う。野茂英雄の投法もイチローの打法も、「できねえなあ」とわかっているからこそ、「すげえな」と思い、応援するのだ。ただ、「できねえなあ」に気づくためには「できないかもしれないこと」に何度か挑む必要があるのであって、それはちと腰が重いことなんだけど。

 僕は最近、ボールを投げていないことを思い出す。
 また、フォームをマネることからはじめてみよう。

 できないことに気づくことは、悲しいし悔しいことなのだけれど、
 壁にぶつかることは、痛いし苦しいことなのだけれど、
 限界を知ることは、怖いし切ないことなのだけれど、

 できないことが、人生を変える。

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