050122 たぶん、タブー [随想]

 たとえば、年賀状。

 「あけましておめでとう」 とか 「謹賀新年」 とか 「A Happy New Year!」 とかいう言葉を使わないでレイアウトを構成しようと思うと、けっこう難儀する。ストレートにめでたさを表す言葉を避けつつ、それでもやっぱり年賀状には、祝賀ムードとか前向きな思いとか感謝の気持とかいったものを盛り込みたい。だけど 「おめでとう」 とは言えない。もどかしい。そんなマゾヒスティックな愉しみに浸りながら、ここ数年の僕は年賀状を作成している。

 この日記でも、あるいは仕事のうえでの原稿でも、長いことやってると自然 「使いたくない言葉」 が出てくる。その理由が明確に説明できるものだったり、単に感覚的に嫌いなだけだったり、種類はさまざまだ。常套句や慣用句もまた、できることなら使いたくないものが多い。使っちゃうのはくやしい。

 こうした言葉を禁句、すなわちタブーとしてみると、タブーが増えていくことは、文章を書くにあたっての縛りがどんどんキツくなっていくことを意味する。 「あ、この言葉はヤダ」 「しまった、この言い回しは使えない」 といった感じで書いては消し、書いては消し。原稿はなかなか上がらない。日記はなかなか更新できない。

 タブーは単語や言い回しのみならず、構成にも及ぶ。一度用いたパターンではまとめたくないし、同系統のオチは回避したい。過去にうまいこと書けた原稿の手法をなぞっても新味がないので、違う手法を探す。禁句というよりは禁忌になってくる。

 んなことつべこべ言ってないでとにかく原稿上げやがれ、という状況に置かれることも少なからずあるので、やむなくタブーを犯すこともある。タブーを書き連ねて行数を稼いで空白を埋める。そんなときには書き上げた爽快感は微塵もなくて、まず敗北感があり、誰に対してだかわかんないけど申しわけなさでいっぱいになる。

 タブーをたくさん抱えることには苦しさもともなうけれども、といって逃れることはできない。真っ先に思い浮かぶ単語、言い回し、構成に即座に飛びついていたら、表現の幅は広がらないし語彙は増えない。

 タブーについて考えることは言葉について考えることだし、その言葉を投げかける対象を思うことに通じる。たとえば 「がんばれ」 という言葉以外で相手を励ますのにふさわしい言葉はなんだろう? と考えるとき、何倍もの時間を費やして相手のことを思っているだろう。タブーを抱えるのも悪くない。

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