050514 価値の創出と喪失 [随想]

 イチロー、3試合連続マルチ!

 なんてなテロップや見出しを、テレビで新聞で、目にします。

 「マルチ」 、すなわちマルチヒットとは、打者が1試合に2安打以上マークすること。コンスタントにマルチを記録し続ければ打率3割をゆうゆうキープできるのですから、調子のバロメータとして適切であるといえます。加えて、 「活躍しましたよ!」 ということを一言で表現できるため、重宝されている言葉です。逆に、たとえば 「松井秀喜7試合ぶりマルチ!」 と聞くと、 「ああ松井、最近調子悪かったんだな」 と、野球ファンなら思うわけです。

 ですがこの言葉、イチローがメジャーリーグで活躍する以前には、日本の野球ファンには馴染みのないものでした。類例として日本では 「猛打賞」 という語が用いられていますが、これは 「1試合に3安打以上マークすること」 を指してのものです。2安打は該当しません。イチロー以前、1試合に2安打打つことは、それ以上でも以下でもない、ひとつの事象に過ぎなかったのです。

 メジャーリーグの紹介が進んだことにより、そしてイチローの活躍により、日本人は 「1試合に2安打以上打つこと」 を 「マルチ」 と呼ぶのだと知りました。 「1試合2安打」 に言葉が与えられ、そこに価値が生じた瞬間です。むしろ 「1試合2安打」 の達成はそもそも評価に足るものであった。だからこそ、その事象を 「マルチ」 と呼んで賞賛し、大きく取り上げることが、抵抗なく受け入れられたともいえます。

 これは、ひとつの例。事象に言葉を与えるとき、それが定着するとき、人はそこに価値を見出しています。

 事象のなかには、人に益をもたらさないものもあります。 「成層圏のオゾン層においてオゾン濃度が激減し、穴が空いたようになっている事象」 は、あるとき、ある規模を超えたころから 「オゾンホール」 と呼ばれるようになりましたし、 「人の営みなどにより、降水の酸性が強くなってしまった事象」 に関しては、pH 5.6以下の雨を 「酸性雨」 と呼ぶことにしました。事象に端的な言葉を与え、多くの人の口の端にのぼらせることにより、問題として認識させ、注意を喚起するだけの 「価値がある」 事象だと思われたからです。

 逆に人が価値を認めなくなれば、言葉は急速に廃れます。昔、 「ファミリーコンピューター」 から 「スーパーファミコン」 への移行が進んでいたころ、 「16ビットゲーム機だ!」 という文句が、僕らの心を躍らせました。 「ファミコン(8ビット)」 から 「スーパーファミコン(16ビット)」 へのCPUの倍化が、スゴさもおもしろさも倍化させてくれるように思われたのです。しかし128ビットの 「プレステ2」 が発売されて5年が経つ現在、ゲーム機の性能をいうときに 「ビット数」 を云々していた時代があったことは、もはや忘れ去られようとしています。いま 「プレステ2」 で遊ぶ小学生たちは 「128ビットゲーム機」 に至る道は知りえないし、その価値を実感としてはわかりえないことでしょう。

 「メジャーリーグで評価されているみたいだから」 という理由で、 「マルチ」 は日本で市民権を得ました。15年前の 「16ビットゲーム機」 という言葉が帯びていた価値に、現在の 「128ビットゲーム機」 は到底およびません。価値はちょっとした外因で揺れるし、時の流れに消えもするものです。しかしその指標としての言葉はいつの世も変わることなく、名を付与するに値するものの出現を待っています。 「ただの2安打」 に価値を見出したこと、価値を与えることができたこと。言葉の力が、そこにあります。

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