050611 フォントサイズは、あなたが選ぶ [随想]

 2年ほど前、 「Webログ」 なのか 「ウェブログ」 なのか 「ブログ」 なのか、表記はまだ定まっていませんでした。

 現在、勝利は 「ブログ」 の手にあるように思われます。社長がアイドルがプロ野球選手が、ブログを運営し読者を集め、コメントやトラックバックは花のにぎわい。日記でエッセイで創作で、各人がそれぞれの思いを綴って繋ぐ。誰もが遊べるツールとして急速に普及が進むなかで、 「Webログ」 「ウェブログ」 「ブログ」 の表記の揺れは、やがて 「ブログ」 に収束しました。文字数少なかったからかな。

 ただ、定義はいまだにあやふやなように思われます。冒頭の引用にしたところで、わかったようなわからんような感じです。でも、定義なんて知らなくったって、ブログは運営できます。人生の定義なんて知らなくったって、人は生きていけるように(今、うまいことゆうた)。

 いわゆる 「ホームページ」 からブログへの移行、日記サイトからブログへの移行も進みました。気づいたら周りはほとんどブログさん。昔ながらの構成の 「ホームページ」 をやってる人は、むしろ少数派になってきた感があります。作成・更新に習熟と忍耐を要するHTMLによるwebサイトより、ブログははるかにとっつきやすいですからね。

 ただ、この展開に僕は一抹の寂しさを。

 それは何も、変化についていけてないことのみに拠るものではありません。みんながHTMLに四苦八苦していた時代。 「ホームページ」 のデザイン(サイト名も、サイト構成も、レイアウトも、色づかいも、あるいは文体も、すべてひっくるめての広義の 「デザイン」 )は、それこそ個性のダイレクトな反映でした。 「何でもできるような気がする」 という各人の思いが、幻想と限界を伴いつつも画面から滲み出ていたように思います。

 アバンギャルドな色づかいも、大小入り乱れたフォントサイズも、文法エラーだらけのHTMLも、作者それぞれが試行錯誤の末にたどり着き、公開を決断したものであったはずなのです。お手本が確立されていなかったからこそ、独自の発想による構成をもった 「ホームページ」 が、多数生まれました。僕はそれを巡るのが、あの頃、たしかに好きだったのです(参照:010308、010608)。

 今、構成は最適化され、デザインは洗練され、フォントサイズも相応なものが選択されていて、見た目涼やかな多くのブログが、日々誕生し、更新されています。僕がここで少しの寂しさをおぼえるのは、個性の振れ幅が以前よりも狭まっているように思われるからなのです。 「ホームページ」 には、1から7までの7段階あるフォントサイズのいずれかを選び取った作者の思いの表出があった。それが、今は薄まっている。読みやすいフォントサイズはあらかじめ与えられていて、個人がゼロから検討するものではなくなっています。 「色づかい」 についてもしかり。

 「ブログはかくあるべきだ」 というお手本が多数存在し、デザインに対する意識が高まり、提供されるカスタマイズ機能も充実している現状は、歓迎すべきものです。情報を発信する立場からすれば、ややっこしいHTMLに時間を取られずとも作成・更新が可能ですし、受信する立場からすれば、その更新の情報が逐次入手できるのです。情報の公開・シェアの進化したひとつの形が、そこにあります。

 その代わりに、素人が、個人が、 「色づかい」 「文字の組み方」 「HTML」 に取り組み、苦心惨憺していた珍しい時代は、あっという間に過ぎ去ってしまったのかなあ、と思うのです。その機会が失われるのは、惜しいなと。読みやすく綺麗であるに越したことはないのですから、技術が開発され、それを誰もが使えるようになることは正しい流れではあります。そのなかで生まれたスマートなブログも、もちろんいい。けど泥臭い 「ホームページ」 もまた、好きなんだよなあ。

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