050812 夏休みの思い出と〆切 [随想]

 8月も10日を過ぎると、 「夏休みも折り返しだねえ」 と思う。

 一学期の終業の日、通知表とともにもらったのが、 「なつやすみのとも」 。1日1ページ、計40ページの宿題の冊子。 「こんなん、友だちじゃねーや」 というつぶやきを誰かが発するのを、毎年耳にしていた。

 小学生のころ、よい子だった僕は7月末には宿題をすべて終わらせ、残りの1ヵ月を左ウチワで過ごした。 『あさりちゃん』 でいうところの、タタミちゃんタイプ。当時から寝坊しいだったのでラジオ体操には行かなかったけれど、目覚まし時計を8時半にセットしといて高校野球を第1試合から観た。4試合ぶっ続けで観た日もあった。ヒマな子だ。

 宿題をさっさと片付けるようにしていたのは、つまるところ 「あとでめんどくさいことにならないように」 という理由のみによるものであった。それが 「いま苦労すんのも、あとで苦労すんのも、いっしょではないか」 と考えをあらためるのは、中学生になってから。 「めんどくさがり」 という根っこは同じなのだから、この流れは道理であった。ヒーヒーいいながら、最後の10日間でどうにかこうにか間に合わせる。あさりちゃんタイプにあっさり転向。

 思うに、この転向が問題であったのだ。あのままタタミちゃんを貫いておれば、いまのこの苦労はなかったはずなのだ。

 あさりちゃんに染まった僕が、なんの因果か〆切に追われる仕事に就いてしまった。自分で原稿を書くにも、人に執筆を依頼するにも、常に〆切がついてまわる、この編集というお仕事。タチが悪いのは、人に依頼する場合は 「数日から10日ほど、余裕をもった〆切をあらかじめ設定しておく」 という安全策がとれるのに対して、自分で書く場合は 「本当の本当の〆切」 というものを知ってしまっている、ということである。

 レイアウトデザインや印刷のスケジュールを考慮し、発行日から逆算して 「この日までに原稿入れなきゃヤバイっす」 という期限が、すなわち 「本当の本当の〆切」 。そうした裏事情を把握しているからこそ、むしろ原稿は早めに早めに用意しておけばいいじゃないかキミ、という話なんだけど、それができないから僕はあさりちゃん。さらに悪いことには、自分でも 「この原稿は、このくらいの時間で書ける」 という予測がつくようになってきているから、〆切直前までなかなか気が向かない。で、〆切前夜に泣きを見る。経験が悪い方向に作用してます。

 「いま苦労すんのと、あとで苦労すんのとは、ひょっとしたら違うかもしれない」 と、僕は気づきはじめている。のに、抱えている原稿じゃなくてこの日記を書いてしまう。タタミちゃんだったころの僕に思いを馳せる。僕はタタミちゃんに憧れる。

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