060321 同期の桜は [野球]

 ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の決勝、キューバ―日本戦を中継したのは日本テレビ。局アナの上重聡(かみしげ・さとし)が、リポーターを務めていた。

 上重聡の名前を、野球ファンはおぼえている。1998年8月20日、全国高等学校野球選手権大会すなわち甲子園の準々決勝のマウンドに、彼はPL学園のエース・ピッチャーとして立っていた。その日二番手で登板した彼の投球回は7回から延長17回。

 結果的に11回を投げきりながらも、彼は敗退する。相手は17回を一人で投げぬいた横浜高校の“怪物”松坂大輔であった。 「延長17回」 「横浜9-7PL学園」 「松坂大輔、250球」 という言葉ひとつひとつが、今後も語り継がれていくことだろう。

 高校卒業後に立教大学に進学した彼は、 「松坂と投げ合った上重」 という周囲からの視線のなかで、野球を続けた。大学1年の秋季リーグは代打で一度打席に立ったのみ、2年の春季リーグではピッチャーをクビになり、外野を守っていた。東京六大学の壁は薄くなかった。

 復活したのは、大学2年の秋季リーグ。再びピッチャーとしてマウンドに立つことを許された彼は2000年10月22日の東大戦で36年ぶり二人目の完全試合を達成。大学4年時には部員の投票により主将にも選出された。通算9勝3敗(登板30試合)、防御率2.31という記録を残して大学野球を終える。

 ドラフト指名候補として名前が挙がり、本人もプロ入りの夢を抱き続けていたが、大学3年の冬に日本テレビアナウンサーの内定を得る。秋季リーグを終えた時点ですでに 「実力的にプロは難しいと感じ」 、アナウンサー養成のセミナーを受けていたという。2003年春に入社、 「試合が終わった後のインタビューなどで自分の心の中が本当に伝わっただろうか、と思うことがあった」 と話していた彼の立場は替わった。

 松坂大輔とは仲がいい。 「延長17回」 後に、ともにAAAアジア野球選手権大会の日本選抜チームに招集され、宿舎の部屋を同じくした。 「この投手がどんなことを考え、気をつけているのか知りた」 かった彼は、知ってしまったがために、プロ野球を断念することとなる。日本テレビ内定時のコメントは、 「松坂の実況なんかもしてみたいですね」 。

 WBCの決勝。先発のマウンドは松坂大輔。その試合のリポーターを、彼は務めていた。

参考資料
サンケイスポーツ(1998年8月21日付紙面)
スポーツニッポン(2002年1月22日付紙面)
日刊スポーツ(2002年12月29日付紙面)
立教スタイル
日テレ・ホームページ(2002年1月22日プレスリリース)

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