061227 2006年のマリリン [随想]

 先日出張で京都を訪れた際、 「湯川秀樹・朝永振一郎 生誕百年記念展」 (京都大学総合博物館) を観に行った。バス車中から看板が目に止まって、思わず押した降車ボタン。両氏の仕事として図解が展示されていた 「中間子論」 や 「くりこみ理論」 はもちろんチンプンカンプンだったけど、入館料400円の元は余裕で取れた、刺激的な展示であった。

 思えば今年は、 「生誕○○年」 がいろいろと目についた年だった。秋に訪れたオランダ・アムステルダムの街は、レンブラント生誕400年をおおいに祭っていた。僕が美術に関心を抱くきっかけになった代表作 『夜警』 を、このタイミングで観ることができたのは幸いだった。

 東京・上野の森美術館の 「生誕100年記念 ダリ回顧展」 は、まもなく幕を閉じる。朝日新聞社とフジテレビが主催し、爆笑問題の太田光がオフィシャルサポーターを務めるこの展覧会は、連日盛況の様子である。10月、離職中の平日に行ったときも大混雑であった。同じ日に足を運んだ 「ベルギー王立美術館展」 (国立西洋美術館) が閑散としていて、マグリットの作品を舐めるように観賞することができたのとあまりに対照的だった。

 一般的な認知度が高いのは、モーツァルト生誕250年であろう。多数の関連CDが発売され、特別番組も多く放送された。僕も便乗して、広報誌に掲載するコラムのネタにした。音楽に果てしなく疎い僕が、モーツァルトでコラム。神をも恐れぬ所業である。

 ほかにも、藤田嗣治生誕120年 (この展覧会は観に行けなかった) やフランシスコ・ザビエル生誕500年、あるいはドラゴンクエスト生誕20年や 「1986年のマリリン」 生誕20年など、さまざまな 「生誕○○年」 にあたるのが今年、2006年なのだった。

 さて、そこで 「湯川秀樹・朝永振一郎 生誕百年記念展」 ですよ。

 今年が両氏の生誕100年にあたるという事実 (正確には湯川は1907年1月生) 、この認知度ははたしていかほどのものなのか? 恥ずかしながら僕は知らなかった。知らなかった僕が言うのもなんだけど、日本人としてレンブラントよりもダリよりもモーツァルトよりも優先して知っておくべきは、この両氏の業績なのではなかろうか。

 そして、ともにノーベル賞を受賞した両氏が、大学の同窓であったということ。さらには中学・高校までもが同じであったということ (中学時代は朝永が1年先輩) 。この、実に興味深い (そして実際、おもしろい) 両氏の関係について、いったいどれだけ知られているのか? これまた今回の展示ではじめて知った僕が言うのもなんだけど、さほど知られてはいないと思われる現状は、とてももったいない。

 ……などと言いつつ現在の僕に具体的な方策があるわけではないので、ただただ 「もったいない」 と、こうして呟いてみるだけなのであった。これを機に、両氏の仕事をはじめとする物理学の世界を、少し覗いてみたいとは思ったけれども。高校時代、理系教科のなかで物理には早々に見切りをつけてしまったこと、これももったいなかったかもしれない。

ふしぎだと思うこと
 これが科学の芽です

よく観察してたしかめ
そして考えること
 これが科学の茎です

そして最後になぞがとける
 これが科学の花です

朝永振一郎 (京都市青少年科学センター所蔵の色紙より)

未知の世界を探求する人々は、地図をもたない旅人である。

湯川秀樹 『旅人―ある物理学者の回想』

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