070529 デザイン漬けにされた [日常]

 何に価値を認めるか、幾らまでなら金銭を支払ってもよいと考えるか、そして実際に購入という行動に移すか否かの判断。当然これらは人によって異なる問題であって、ある人が嬉々として購入したものに対し、その隣人が 「なぜあんなものにあんな金をかけるのか」 と首をひねるのは、よくある話である。

 趣味の世界は特に顕著で、ある人は楽器を買い、ある人は模型を買い、ある人は衣服を買い、ある人は骨董を買う。オールラウンドに買い求める素封家がいれば、一意専心に蒐集する剛の者もいる。互いが互いを認め合うこともあるし、まったく理解し合えず反発が生まれることもある。そんなもの。

 本という領域に話を絞ってみても、購入 (もしくはそれに準じる形での入手) 姿勢は十人十色である。書店購入派、新古書店派、古本派、図書館派、折衷派など、さまざまな流派がある。加えて、ある個人の心の内にも 「この作家の新作なら数千円払ってでも、単行本で読みたい」 「この作品は文庫本になるまで待とう」 「これは図書館で予約だな」 という指標が存在することが多い。

 僕の場合はというと、絶対数はさほど多くないとはいえ、単行本・文庫本・ムック・雑誌を、気になった端からけっこう躊躇なく買うようになってしまった。 「しまった」 というのは、経済的な制約が大きかった学生時代に比べれば、ということである。逆に言えば、金銭の使い道として、それ以外の面ではたいした変わり映えがない。いかがなものか。

 とはいえ、日常気になり、購入したくなる本なんて、高くても1冊数千円の世界である (専門書や希少本を除く) 。高じれば高じるほど際限なく値が張っていく趣味も多いなかで、比較的お買い求めしやすい対象ではあるだろう (それがワナでもある) 。

 前置きが長くなってしまった。そんなリーズナブルな領域にあって、僕は先日、わりと高価な部類の本を購入してしまった。記憶する限り、人生においても最高額の本、ご購入ある。それも一気に2冊。

 深澤直人 『NAOTO FUKASAWA』 9,240円
 原 研哉 『DESIGNING DESIGN』 8,610円

 これというのも、両氏の対談 『深澤直人×原研哉 ―デザイン漬け―』 を聴講してしまったのがいけなかった。またしても当日にイベント開催を知り、キャンセル待ちの列に並んでしまったのがいけなかった。対談内容に感銘を受けすぎて、かつ深澤直人さんのサインをいただけるということで 『NAOTO FUKASAWA』 を手にレジに向かい、その途中で原研哉さんの近刊 『DESIGNING DESIGN』 が視界に入ってしまったのがいけなかった。

 や、実際会心の買い物ではある。今まさにこの2冊は机上の棚に納まっており、時々どちらかを開いてはニヤニヤしている。しかしながら高額。僕も図録や写真集、あるいはデザイン関連の本をたまに購入するので、高額な本にもそこそこの耐性はあるのだが、 「1万円弱です」 というこの値段は、 「格がちがうぜ」 というインパクトを与えるものであった。あまりにも趣味にフィットしたモノに出くわすと、人って自制を失うよね、という話 (そして本日の日記、冒頭からの言い訳に戻ってください) 。

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