070829 世界中が泣いても [随想]
部長と、映画の話をしていた。彼は、しみじみつぶやいた。
「年取って、涙もろくなったね。映画観て、ボロボロ泣くことが増えましたなあ。ストレス解消にはなるけどね」
僕は、映画を観て泣いた経験がない。話を合わせることが難しかったので、 「はあ、そうですねえ」 と、マヌケな相槌に終始してしまった。部長、ごめんなさい。
映画を観て、泣くことができる人、できない人、世には2通りの人がいる。僕は後者だ。 「泣く」 という行為を、 「涙を流す」 から 「目をうるませる」 に至るまで広義にとらえてみても同様である。泣くことができる人に対し、憧れに近い思いすら抱く。
先日、 『夕凪の街 桜の国』 という映画を観た。同名の漫画を原作に、原爆投下から13年後の広島に暮らす皆実 (麻生久美子) と、現代の東京に暮らすその姪、七波 (田中麗奈) の人生の断片を描いた作品である。名作との誉れ高い原作に敬意を表しながら、映画としてできうる演出をあえて最小限に抑えた良作と感じた。
本作は2部構成であった。第1部の終盤。100席程度の小さい館内は、すすり泣きの音で満ちていた。僕は最後列の真ん中の座席に座っていたので、目元を押さえる観客の後ろ姿を多く目にした。
ああ、僕も泣いてみたいぞ。
映画 『夕凪の街 桜の国』 を観ました。嗚咽がとまらず、恥ずかしい思いを。鑑賞後、体中の水分が1/3に減っていました。 (壺)
『ポンツーン』 2007年9月号 (No.108) p.120 幻冬舎
上は幻冬舎のフリーペーパー 『ポンツーン』 の編集後記からの引用だが、この編集者は 「嗚咽がとまらず」 「体中の水分が1/3に減」 るほどに、泣いたという。もちろん修辞としての誇張はあるだろうけれども、彼我の違いは、いったいどこにあるのだろう。
とまれ、 「泣いてみたいぞ」 なんて思っている時点で、泣けない側にどっぷり属してしまっているのだ。最近では、どうせ泣けないのならと開き直って 「なぜ、この場面で人は泣くのか」 「泣かせるせりふとは、演出とは、映像とは」 「女性の涙は男を惑わせるよね」 といったことを考察しながら、 「泣ける」 場面をやり過ごすようになってきている。仕事上、多少の鍛錬にはなるけれども、枯れてるよなあ。
※
思い出した。こんな僕でも、唯一、うるっと目に涙を浮かべてしまった映画があった。 『のび太の恐竜2006』 だ。
- by Rana
- at 070829 01:56
comments
こんにちは。『夕凪~』はわりと評判良いみたいですね。
さて、私も長年映画を見て泣かない人種でした。が、ここ数年涙腺がゆるくなってきたみたいでしてね。涙がにじむことがあるんですよこれが。部長のおっしゃるとおり、年取ると泣くようになるらしいです。というわけでRanaさんが映画に涙する日もいつかくるかもしれません。楽しみにしていてください(楽しみ?)
くらさん>
『夕凪~』 は生真面目に作ってました。原作に思い入れがある人が観たら評価は分かれるようですが。僕は映画のあとで原作を読んでみたクチですが、正攻法だな、と好感。麻生久美子に負けじと、田中麗奈がよかったです。
くらさんは泣かないイメージ (どんなイメージ?) でしたが、そうですか、ゆるんできましたか。僕は 「どうして泣けるんだろう」 と考え込んでしまうくらいですし、映画に限らずさまざまな場面で血も涙もない野郎ですが、いつか泣ける日がくるのを楽しみに待ちます。泣けるようになったら報告します (するな) 。