071003 続きはWebじゃない [随想]

 ひところ、テレビCMやポスター広告で、 「続きはWebで」 が流行した。オダギリジョーや劇団ひとりが出演していた 「ライフカード」 のCMが、ヒット作のひとつだろう。

 その流行も一段落した現在、 「続きはWebで」 を用いた広告形態は、よくある一手法としての地位を確立している一方で、 「いま、その手法を (パロディでなく、かつ、ひとひねりも加えずに) 正面切って用いるのはちょっと古いんじゃない?」 という微妙な立ち位置にもあると思う。新規な手法としての目新しさはなくなり、 「あ、またこのパターンね」 という印象が先に立つようになってきた。

 とはいえ 「続きはWebで」 が、ひとつのブレイクスルーであったことはたしかである。僕は広告制作者ではないので想像するほかないんだけれども、時間・空間上の制約との闘いを宿命づけられてきた広告制作者たちにとって、 Webの普及、および 「続きはWebで」 手法の発見は、発想の転換を迫られる一大事であったろう。 「続きはWebで」 と明示する・しないにかかわらず、 「どうWebと連動させるか?」 は、広告制作のうえで必ず検討しなければならない課題となった。

中村 普通、広告の世界では、ウェブは、たとえばテレビのコマーシャルのおまけ、みたいなところがあるじゃないですか。がんばっていても、せいぜい 「続きはウェブで」 みたいな。それはそれでいいんですが、なかなかそこから先に進んでいかない。

[対談] 佐藤可士和×中村勇吾 これからウェブは、どこへ向かうのか?
『pen』 No.202 2007 p.74

 「どうWebと連動させるか?」 という課題に対し、 「続きはWebで」 は発見当時、とっても明快な解答であった。でもいまでは、ちょっと安易な解答でもある。 「じゃあ、この次、どんな可能性があるんだろう?」 という模索が続いている。

 テレビCMだったら15秒や30秒、電車の中吊り広告だったらB3サイズ (364mm×515mm) ――。旧世代の媒体においては、こうした限られた時間・空間のなかでいかに伝達するかが勝負だった。そこにあった緊張感が 「続きはWebで」 の登場によって、少しゆるんだ。 「ごちゃごちゃした説明は、時間・空間が無尽蔵にあるWebにまかせればいいじゃん」 と。

 この考え方がひとめぐりして、 「それでいいの?」 という見直しが始まったのが、現況だと思う。 「制約が多い媒体、少ない媒体、それぞれでできることを、もっと追求してみない?」 という空気が広がってきているな、というのが、さまざまな媒体で広告制作者たちの発言を見聞きしてきた印象である。

 やっぱりウェブっていうのは、テレビCMやグラフィックとは表現方法が違いますから、CMには30秒、ポスターなら3秒の美学があったりするけれど、ウェブの場合は、キャンペーンとして考えたら、例えば二ヵ月の美学があってもいい。

伊藤直樹 (プランナー) 『広告批評』 NO.316 2007 JUL p.87

 「どうWebと連動させるか?」 すなわち 「Webへの続け方」 を考える余地は、まだまだあるだろう。だけど続きがあることが前提になってしまうと、広告の表現は鈍る。続きはWebじゃない。 「続きはWebで」 を乗り越えた新しい広告を目にするのを、楽しみにしている。

comments

『続きはWebで』の感覚と、
朝の情報番組や昼のワイドショーで、出演者が赤線を引いた新聞を
斜め読みしているのを聞かされる感覚とは、妙に似ている気がします。

一言で言うと、
「ちょろい仕事になってませんか? あなたの役割、それですか?」
……という、そんな感覚。

  • by takka
  • at 071004 01:13

takkaさん>
> ちょろい仕事
そうそう、そんな感覚。便利な雛形があって、流し込めば一丁あがり、みたいな。幸い 「続きはWebで」 と堂々と謳うのは 「もう古い」 と見なされつつあるので、下火になってきたけど。

同様に 「○○で検索」 って言っちゃうCM、ポスターも気になります。まずは媒体単体で完結する、すぐれた広告を見せてほしい。そうすれば言われるまでもなく検索します。

  • by Rana
  • at 071004 22:42
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