071017 分業私見 [随想]

 椎名林檎主宰のバンド、東京事変の3rdアルバム 『娯楽 (バラエティ) 』 を発売日に購入して、ヘビーローテーション中です。

 前2作に比べ、ずいぶん聴きやすくなったなあ、という印象。今作では椎名以外のメンバーが作曲を担当したことが、少なからず作用しているようです。

椎名林檎的な粋っていうかイメージって、今の私よりも他人の方が引き出せるっていう気が前からしていたんです。

椎名林檎 『SWITCH』 VOL.25 OCT.2007 NO.10 p.42

 僕は楽曲の制作過程に関してはまったく知識がないのですが、今作の場合はメンバーが作った曲がまずあって、そこに椎名が歌詞を乗せていったとか。ソロ名義時代を含め大半の楽曲において作詞・作曲を担ってきた椎名にとって、 「作曲を他者にゆだねる」 という決断は大きなものだったろうし、制作にはいっそうの困難を伴ったものと推測します。事実、椎名はオフィシャルサイト内のインタビューで、次のように語っています。

 「自分の曲では曲と歌詞をあまりに自然な形で同時に書いてきたから、今回は歌詞がすごく難しかったです。」

 楽曲に限らず、なんらかの制作物をつくり上げる過程で、 「いつ」 「どのように」 他者の視点を導入するかは、制作物の成否を左右する重要なポイントとなります。制作者は、えてして 「ひとりで全部やっちまいたい」 という思いにとらわれてしまいがちなもの。みずから冷静に眼前の制作物を評価し、微修整なり再検討なりの判断をくだすことができる制作者もいるでしょうが、手っ取りばやいのは素直に他者を引き入れ、批評や介入を仰ぐことです。

表現活動を成立させるためには、表現する 「送り手としての自分」 と、その表現が伝わるかどうかを確かめる 「受け手としての自分」 の両方の立場の視点が必要になります。

林 直哉 『高校生のためのメディア・リテラシー』 ちくまプリマー新書 p.80

内なる他者を呼び起こすには、立場が異なる仲間のいる制作環境が必要なのです。この環境こそが表現の総合性を育てる仕掛けになります。

同 p.87

 僕がたずさわっている仕事は純粋な表現活動とは趣を異にしますが、試みに成果としての制作物に至る過程を分解してみます。僕が担うパートには 「企画」 「取材」 「執筆」 「レイアウト」 「校正」 があり、これらすべてを僕が担当する場合がある一方、 「企画」 「取材」 のみ、あるいは 「執筆」 のみを担い、残りのパートを他部署やフリーランスにゆだねる場合もあります。

 経験上、心労が少なく納期が読みやすいのは前者のように 「ひとりで全部やっちまう」 方式なのですが、制作物としての質が高まりやすいのは後者、 「みんなで担い合う」 方式だったりします。より多くの他者の介入により、精度が高まっていくからだろうと思います。

 東京事変の 『娯楽』 の場合、椎名以外のメンバーが作曲を担当したことにより、質的な変化と同時に他者の視点が導入されやすい制作環境の醸成が得られたのではないかな、と思うのです。インタビュー記事をいくつか読んでみましたが、メンバーの言葉がみな生き生きとしているんです。椎名林檎ではなく東京事変のアルバムだぞ、と。

 もちろん、この過程で失われたり改変されたりしてしまった 「椎名林檎的な粋」 もあるでしょうから、今作より前2作を支持する人も多く存在すると思います。ただ僕にとっては、才気ばしりすぎることなく大衆性を獲得した今作のほうが嗜好に合いました。

―― 林檎さんの歌に関してはいかがですか? (中略)
浮雲 きれいに自分の色に染めてくれますからね。知らない人が聴いたら、本人が曲を作ったんじゃないかって思うくらいだし、彼女の歌を聴けば、誰が作ったかっていうことは全く問題じゃなくなると思うんですよ。

3rd ALBUM 『娯楽 (バラエティ) 』 オフィシャル・インタビュー

 作詞・歌に専念したことについて、音楽番組で椎名は 「でもメリットあんまりなくて。そんなに作業量減ったっていう感じしないんですけど」 と語りました。分業の主眼って、労力・時間の軽減ではないんです、たぶん。

参考資料
林 直哉 『高校生のためのメディア・リテラシー』 ちくまプリマー新書

『SWITCH』 VOL.25 OCT.2007 NO.10 スイッチ・パブリッシング

3rd ALBUM 『娯楽 (バラエティ) 』 オフィシャル・インタビュー

『ミュージックステーション』 テレビ朝日系 2007年8月24日放送

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