071108 声が聞こえますか [随想]

 長年オンラインでの交流を続けてきて、5、6年目くらいに初めてオフラインで会った友人から

 「こんなに声が高い人だなんて思っていませんでした」

 と、言われたことがあります。

 うわあ、やっぱりか。自覚はしてるけど、やっぱり高いか、声。

 編集の仕事をしていると、自分の声を聞く機会が多くあります。原稿書きのためにICレコーダーで録音した取材時の音源をくり返し聞くときとか。インタビュアーである僕の質問に、多くの取材相手は (男性の場合) とっても深みのある、渋い、オトナっぽい低音ボイスで回答します。対比もあって余計に 「高い、子どもっぽい声だなー、自分」 と実感することになるのです。

 声の高さは軽い印象を生み、発言の説得力までもが失われてしまいます。緊張すると早口になるし噛みやすくもなる。これらの相乗効果で、どうにも頼りなく情けないインタビュアーが、そこにいる (それ、僕) 。インタビューの出来不出来以前に、自分の第一声を聞いてあらためて現実に直面させられてげんなりですよ。

 こんな僕ですから、いい声を持つ人には羨望のまなざしを送ります。僕が想定する 「いい声」 は、やはり自分と真逆の声。低く落ち着いた、荘厳な印象すら与えるような声です。なかでも僕が好きな声の持ち主のひとりが、グラフィックデザイナーの原研哉さん。どれだけ好きかというと 『VISION'D VOICE 009 KENYA HARA 2005』 という、原さんの声だけが56分3秒も詰まっているCDを持っているくらいです (マニアック) 。

阿部 原さんのその低音はすごい説得力ですよ。体全体で巻き込んでいく力がありますよね。

 声というのは聴覚的なものだけでなく、 「HAPTIC」 なものですね。人間のキャラクターについて、一般的には見た目で判断していると思われています。でも、実際はその人の持っている声が、かなりの割合でその人のキャラクターをつくっている。ある人に好感を持つ理由は、案外とその人の声だったりしませんか?

原 研哉/阿部雅世 『なぜデザインなのか』 平凡社 p.66

 講演会などで原さんの声を聞くたびに思うのです。 「ああ、こんな声に生まれたかった」 と。つい先日も対談形式のトークショーを聴く機会があったのですが、内容の含蓄深さもさることながら、まず声に魅せられ、話に引き込まれました。これだけ説得力ある声だったら、プレゼンでも一歩先んずることができるだろうなあ。

 原さんの域までは望まないから、せめて一人前のオトナの男っぽい低い声がほしい。声がわり、まだかな。

 

 余談。先日のトークショーでは高校時代の同級生である作家・原田宗典著 『十七歳だった!』 も話題にのぼり、当時の原さんの発言部分が引用されたりもしていました。 「出た!」 と、うれしい一幕でした。

参考資料
原 研哉/阿部雅世 『なぜデザインなのか』 平凡社

VISION'D VOICE 009 KENYA HARA 2005』 D&DEPARTMENT

原研哉トークショー 「デザインを考えはじめた頃/そしてこれから」 (2007年11月4日)

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