■ 2002年4月,5月,6月

020629 遅刻。


結局ね

男は言った

人生に、「遅れた」はあっても、「遅い」はないんだよ

男は継いだ



なにかを始めるとき
行き先を変えるとき
なにかをやめるとき

「遅れた」と思うのはそいつの自由だ

だけど

「遅い」と思うことはない



「遅れた」は主観 -subjectivity- だ

「遅れた」ことを反省するのはいいだろう
「遅れた」分はいかようにも挽回できるしまあ挽回しなくたってそれはそれだ
「遅れた」けれども動いているんだ、ということに誇りを

「遅い」は客観 -objectivity- だ

「遅い」と、誰かが君を評価するかもしれないけれども
「遅い」と、君自身が嘆くことはない
「遅い」からといってとどまっていることは是ではない



遅刻したっていいわけだ

僕は思った

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020615 “FIFA”って言いづらいですよね。



 文字色をライオンズブルーにしてみました。


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←   枠色をライオンズブルーにしてみました。   →



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 皆様、勘違いなさらぬようご注意ください。サッカー日本代表の決勝T進出決定に浮かれて、日記のレイアウトをW杯仕様にしてみたかったんだ、なんてことはありません。この色はライオンズブルー! 決してジャパンブルーではありません。今僕が注目すべきは破竹の8連勝中の西武ライオンズ! 中田や小野ではありません。ましてや赤モヒカンなんぞもってのほかです。

 識別しやすいように並べてみましょう。

 ←ライオンズブルー

 ←ジャパンブルー

 あっ、び、び、微妙だなんて言っちゃいけません。ライオンズブルーはカラーコード"#1044a0"、ジャパンブルーは"#002c88"です。歴然たる違いがあります。僕の中に流れているのはジャパンブルーではなくてライオンズブルー! 今この日記を書きながら聴いているのはFM NACK5「サタデーライオンズ」のマリーンズ―ライオンズ戦! パラグアイ―ドイツ戦が始まりましたが流し見です。ライオンズ大量リードだやほう!

 清原の9回2死からの同点2ランもNBAファイナルも、無認可香料問題もウルトラマンコスモス逮捕もみーんな新聞中面に小さく小さく追いやられてしまっている昨今ですから、ただでさえ注目度の低いパシフィック・リーグの首位を独走している我らがライオンズの地味さ加減はもう、目を覆わんばかりです。そこに光を当てるのが、僕。ファンの鑑。

 そう、これはライオンズファンであるが故の所業。「まかりまちがって日本が決勝トーナメントに進出しようとも、浮かれるもんか盛り上がるもんか」(020531)などと言い切ってしまった以上、今さらにして飛びつくのも悔しいけど、まったくの無視を決め込むに寂しさを覚えちゃったんだ、なんてことはありません。そんなそんな。

 最後に。僕が街中で「ウォッウォウォッウォウォ〜」とか口ずさんじゃってても、それは日本代表応援テーマなんかでは決してなく、西武ライオンズ球団歌「地平に駆ける獅子を見た」なので了承あれ。決っめ・て・くれ〜(あっ)

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020604 コピー・ライティング。


想像力と数百円
糸井重里 (新潮文庫)


「仲畑貴志と糸井重里――
 社会を動かしたコピーライターは、この二人だけだよね」


 と、原田宗典は言いました。“コピーライター”という単語がメディアに乗り、その職業人の露出が目立つようになってきたのは十数年前をピークとして今にいたりますが、“コピーを産み出す人”はそれこそ言葉の誕生時から存在していました。言葉の黎明期、産まれたコピーはある集団で、ある階級で、人の間に広がり口の端に上ったのしょうがそれらはまだ社会に対して影響を及ぼし得るものではなかったことと思います。やがて活字が生まれ新聞が生まれテレビが生まれインターネットが生まれ、媒体が進化するのに同調してコピーの威力は増していきました。商品に良いコピーをつけることはビジネスの成功をもたらし、コピーを産み出すことそのものがビジネスとなる時代が到来し、コピーライターという職業が確立しました。

 そして現在。“コピーライター”という単語が一時の独り歩き状態から脱却し、単語としての適正価格に落ち着いた感のあるそんな時代に、「コピーライターを挙げよ」言われて多くの人が思いつくであろう名前は仲畑貴志と糸井重里――ということになるでしょう。それはすなわちこの両名が、社会に影響を与えた、社会を動かした、ことを意味します。

青空は史上最大の読書灯である
糸井重里 (新潮文庫)


 僕が中学生の頃。「新潮文庫の百冊」キャンペーンのコピーが、これでした。夏休み。炎天下。海。太陽。そのもとでの、読書。インドアな行為である「読書」に陽性なくさびを打ち込んだこのコピーにまんまと乗せられて、僕は本を手にとりました。初めて自分のこづかいで買い、読み、以来この行為は習慣化しました。元来本を読む習性のなかった僕が一大方向転換をすることとなったのです。コピーがこの言葉でなかったら――こんな想像を働かせることは馬鹿げているのですが――僕と本との出会いは生まれなかったかもしれません。こうして、糸井重里は、僕を、動かしたのでした。「言葉に動かされた感覚」というのは決して悪くないものです。

 時を経て――僕は言葉と格闘し続ける職業の端っこを齧り始めました。働き始めて最初に与えられた課題が、

「新しく販売する弁当の包み紙に載せるコピーを考えてこい」

 というものでした。ウンウンと一晩唸った翌朝、僕は10個のコピーを提出しました。が、それらはすべて跳ね返されました。後日完成した包み紙に載ったコピーは、なるほど僕が創った10個の小兵を蹴散らすもので、自分のへっぽこコピーはとてつもなく恥ずかしいもののように思われました。ビジネスに乗るレベルのものでは到底ない、ということが容赦なく示されたのです。それは悔しいことでしたがだけど同時に、捨てられる運命を辿ったコピーたちがこの上もなくかわいい連中のようにも思えたのです。なにせ僕が初めて仕事を意識して――すなわち読まれるべき対象を意識して――産み出した連中だったからです。これから先、この世界で僕がいかように振舞えるかは全然見えてきませんし不安だらけなのですが、いつでも立ち返るべきは初産であるところの彼ら10個のコピーたちである――今、このように思います。



 「社会を動かした」と冒頭で言いましたが、元来言葉は弱いものです。社会どころか、人一人に影響を与えるのにだって大きな困難が伴います。人の心に届かずに、それどころか耳にも届かずに、消えていく言葉がほとんどで、社会を動かすなんてだいそれたことはとてもできそうもないように思われます。だけど言葉が職人に出会って、削られて磨かれて鋭さを得て、人の心に刺さってそれはほのかな作為を感じさせるけれども決して嫌味ではなく、閃光を発しながらもその残像がいつまでも心に残るようになる。そんな幸福な出会いの産物が、コピーです。

「言葉」が「コピー」になろうとするとき、
 言葉は最大のポテンシャルを引き出され、

「言葉」が「コピー」になったとき、
 言葉は最高のパフォーマンスを示す。

なにも社会を動かすことはない。たったひとりの人を動かすコピーを。

次は「言葉で動かす感覚」を。



あなたが だれかになる必要はない。
あなたは あなたのコピーを 書いてください。

仲畑貴志 『新約 コピーバイブル』

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020531 「ファンタジスタ」の意味を知ったのは昨日です。


 世界に取り残されています。

 と、大仰な書き出しになってしまいましたがこれは決して誇張ではありません。W杯が、始まってしまうのです、W杯が。

 サッカー。

 僕はとんとわかりません。W杯がいかに大層な大会であるか、さんざ報道されていますからさすがに頭ではわかっているのですが、気分的にはちっとも盛り上がりません。川平慈英がハイになればなるほど僕はローになる、そんな感じです。いかにサッカーファンなみなさまに謗られようとも、こればかりは仕方がありません。8年前も4年前も、周囲の友人たちの興奮をよそに僕は平静を保っていましたし、いつぞやの日本―中国戦では張り切って中国を応援してました。後者は単にひねくれてるだけですが。

 そもそも僕はサッカーが苦手です。体育でサッカーをしなければならないシーズンはもう憂鬱で、試合中は最後衛をテクテク歩いて前線のボールの奪い合いを眺めながら時間をやり過ごしていました。「たまにはやる気を示してみるか」と血迷ってオーバーラップしてボールに絡み、おぼつかない足取りでドリブルしてたらゴール前でコケて、以来「サッカーには足を出すもんじゃない」という意識がすっかり固まってしまいました。だからプロの試合を観ていても当時の思い出と結びついてしまっていい気分にはなれないのです。自分がプレイする様が想像もつかないからなかなか感情が移入されない、というのもあります。

 しかしながら今の世はサッカー一色。芸能人でちょっとサッカーが語れればテレビに出られるらしく、彼らが「W杯はエライんだゼ」「○○って選手のプレイはスゴイんだゼ」と言えば言うほどうさんくさく聞こえてしまいます。新宿・スタジオアルタのアルタビジョンは、「W杯の試合中継はいたしません。ご了承ください」との告知を流しています。過去、大リーガー・野茂のデビュー戦等を中継してきたアルタも、W杯には畏怖の念を抱いているようです。もし放映したらば、ただでさえ立錐の余地無い東新宿が、輪をかけてエライことになっちまうのは目に見えていますから、懸命な判断と言えるでしょう。タモリ。

 そんなご時世に、サッカー疎し、を標榜せざるを得ないことには少しの寂しさがあります。かといって今さら、にわかサッカーファンになってしたり顔で語り始めるのもどうなんでしょう。プロ野球チームが優勝したとたんに「昔っからファンでした」と言って露出してくる輩みたくなってしまいます。ですから僕はこれからの一ヶ月間も普段どおりに、サッカーとは距離を置きながら生活してゆくことにします。まかりまちがって日本が決勝トーナメントに進出しようとも、浮かれるもんか盛り上がるもんか。世界からトラック半周遅れているどころか、違う競技場で走っている僕に光を。そして僕同様、世界の浮かれっぷりについていけてない人募集。この指とまれ。

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020522 だから。


「2006年がある!」

という見出しを見つけたのは電車の中で
この言葉はとあるスポーツ選手に向けてのもので
目にしたときに違和感をおぼえたのはやっぱり
そんな慰めがまやかしに過ぎない世界であることを
知っているから

2006年になったとき彼は23歳ではない
23歳の彼に2006年は来ない
キングと呼ばれた男に2002年は来なかったし
悪童と呼ばれた男の涙は黙殺されたそんな世界に
あるのは今だけだから



4年後の保証はない
4年後も1年後も1ヶ月後も明日もいっしょでそれは
具体性の程度問題であって保証がある未来なんてどこにもない
ならばたしかに手にある今の世界を
泳ぐために注ぐ力

明日がある
の言葉は虚しく響くから

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020520 中国語の辞書開いたの久しぶりだよ。


 この日記は、トップページ(期間限定公開)をご覧になってからお読みください。

 無印良品って好きなんですよ、こんにちは。

 パロるなら徹底的に、が鉄則です。

 僕はこれまでにもいくつかパロディ的なトップページを作ってきました。

 「Windows98」「Internet Explorer」「全日空」「TOWER RECORD

 これらに対しては制作した当初から、少しの物足りなさを感じていました。切り込み方が甘いです。オリジナルのデザインなりコピーなりを吸収しきれておらず、パロディとしてあと一歩の踏み込みが足りません。パロるなら徹底的に、かつどこかしらに遊び心を介入させてオリジナルの権威を損なうことのないような笑いを含ませねばなりません。それはオリジナルに対する敬意の表明でもあります。清水義範のパスティーシュも、コロッケの物まねも、この点において長じていたために同業他者の中で白眉たり得たのです。ちなみに僕は物まね四天王の中ではクリカンが好きでした。関係ないですね。

 先日アップしたトップページの小奇麗さに早々飽きてしまった僕は、ここで一転、遊びのあるトップページを作ってみたくなりました。久々にパロものをやってみたくなりました。清水義範がパスティーシュによる小説と自分の文体での小説とを交互に書いていたのと同じことで、おそらくはバランスをとろうとしての欲求なのでしょう。

 その清水義範はかつて司馬遼太郎のパスティーシュをして(「猿蟹の賦」:『蕎麦ときしめん』所蔵)佳作をものしましたが、これは清水義範の技量もさることながらオリジナルとなった司馬遼太郎の遺した文体、世界もまた一流であったが故、佳作たりえました。パロディにおいてはオリジナルのレベルがいかに高水準にあり、かつ一般に浸透しているか、が重要な要素となります。そこでこのたび僕がターゲットとしたのは、「無印良品」です。

 無印良品。故・田中一光が育て、今そのバトンが原研哉に手渡されたブランドです。「ノーブランド」を「ブランド」にしてしまったその腕力には、「デザインの力」「デザインの勝利」を感じます。このブランドの商品は僕も好みとするところです。するところですが経済的事情により僕の身の回りに無印良品の品は腕時計と就職活動用黒鞄くらいしかありません。無念です。この無念さを晴らそう、と発起してこのたびターゲットにしてみた、というのは嘘ですがとりあえず料理してみました。で、できたのがあのトップです。いかがでしょうか。

 ……と、たらたらと能書きをたれたのはパクリに対する弁明に他なりません。これがパロディとして成功してるのかというとそうではないと思われます。僕は小心なのでこのトップはすぐに引退させてしまいますので、リアルタイムで見ることが出来たあなたはラッキーです。と、付加価値を押し売りしてから筆を置きます。

 ちなみに元ネタは、こちらです。>>> 良品計画

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020513 フレッシュとは言いがたい。


 今日が初出勤でした。

 ……。

 おい。

 ちょっと待て。

 急すぎるだろ、それ。

 どうゆうことだ説明したまえ。

 就職活動をしていることをほのめかしときながらその顛末には一切触れず、かつ出没機会もめっきり減ったここ数ヶ月。久しぶりに現れて発声したと思ったらお前、「今日が初出勤でした。」てどうゆうことだ。説明不足にもほどがあるだろう。


 まあまあ、慌てなさんな。僕自身も慌ててるんだから(素)

 そも、学生さんが制作している日記サイトの恒例ネタは就職活動。大学4年ともなれば日々エキサイティングに展開する活動の模様が赤裸々に綴られ、悲喜こもごも。エントリーシート通過不通過、筆記試験合格不合格、面接試験突破玉砕のあれこれに読者とともに一喜一憂し、内定の暁には皆で祝福。そんな定番プロセスがあるってもんじゃないですか。それがなんですか、この僕は。顛末についてはこのサイトでは何一つ語ってないのに、唐突にこれですか。失礼しちゃう。報告を溜めに溜めて一気に放出する、この驚き感は半ば狙ってはいたのですが、展開が自分の予測も超えて急だったので当の本人がいちばん泡喰っております。この僕のマヌケヅラに免じて許してください。

 では、必要最小限のご報告だけさせていただきます。

・面接受けました(これ、GW前)
・採用されました(これ、一昨日)
・初出勤でした(これ、今日)
・出版社です
・小さいとこなので、いろんなことやるみたいです
・今日はずーっと校正してました(赤ペン先生)
・昼食は近くの学校の学食でした(なぜ)
・勉強することたくさんくさいです(まあそうだろう)
・とりあえず企画立ててみろとか言われてます(うーむ)
・記事書かせてください(要修行)


 さてさて就職したことでこの『Rana's HOME PAGE』、これから先どのように展開してゆくんでしょうか。残業ネタとか出張ネタとか取材ネタとか上司の愚痴ネタとかボーナスネタとか、新生面が見られることになるんでしょうか。おお、なんかかっこええ。大人みたい。就職したことで更新頻度が落ち、かつネタも薄味になってしまう、というのはネタ系サイトにおいてありがちな末路なのですが、そうはならないように精進しようと思います。元からこれ以上落ちようがない更新頻度なんですが。それ以前にネタ系サイトじゃないしね。ね? ね?

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020505 ウェブサイトを作ろう。


 ウェブサイト作りを始めてから、もうすぐ丸三年になります。この三年の間にウェブを取り巻く環境は大きく様変わりしました。様変わりしましたが、僕自身はといえばまさしく三年一日で三年前と同じ手法、同じ技術でサイト制作をしています。メモ帳にテキスト書いてHTMLに組み込んでアップ。かろうじて使えるレベルにあるHTMLオンリーの構成。いたってシンプルです。シンプルと言えば聞こえはいいですが芸がありません。

 僕がこうして泥臭くHTMLを書いてる間にブラウザはどんどんバージョンアップし、新しい技術が次々と産み出されました。flashなんかはその最たるもので、ウェブにおける表現の幅を大いに広げました。現在大手商用サイトでflashを用いていないサイトを探すほうが難しくなっているほどです。三年前には黎明期にあったflashが今こうしてウェブサイトに必須と成り上がりました。栄えるものあれば廃れるものありというもので、HTMLは5年後に果たして通用するのか疑わしい、とまで言われています。まったくもって環境はすさまじい勢いで変わっていってます。

 そんな流れにあらがい、新技術導入を頑なに拒んできた(「拒んできた」っていうか、単にできなかっただけな)、当『Rana's HOME PAGE』にも、ついに変革のときが訪れました。その急先鋒はほかでもない、トップページです。本日サイトを訪れてくださったみなさん、「あっ、間違えた!」と一度引き返してしまったのではないでしょうか? 無理もありません。バタ臭い一枚絵のトップから一転、外資系ベンチャー企業のサイトかと見まごうばかりの清潔さです。僕だってやるときゃやります。騙します(騙すな)

 JavaScript(ジャバスクリプト)だとかcss(スタイルシート)だとかいうこしゃくな連中を導入した結果の産物です。制作開始以来三年経過してやっとこさこれらを身に付け始めたのも遅きに失している感がありますが、気にしないことにします。ともあれ新しい一歩を踏み出したと言えるでしょう。次はインストール以来いい加減半年も経ったのにほとんど起動したためしがないflashにも挑戦してみたく思います。flashバンザイ。JavaScriptバンザイ。cssバンザイ。

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 ……と、バンザイ三唱してみましたが、こうして技術崇拝、技術偏重に陥ってしまうのはちょっぴり危ういな、とここで自重します。技術さえ身に付ければ、よりいいモノが作れるのか? というと決してそうではないでしょう。下手に技術を学んでしまうとそれに安堵してしまって創造の力が減退するのがオチです。大切なのは、

 現有の技術の中でどれだけのものが作れるか。
 作りたいモノのためにどんな技術を身に付けるか。

 これらを並立させて念頭に置くことなのだと思います。技術先行ではなく、結果優先でもなく。作りたいもののイメージに素直に向かい合って、実現のための手段を講ずる。この過程で自然身に付いてゆくのが技術というものです。色んな技術が日進月歩で生まれてそれが野放図にいたるところに転がっているから手に入れやすいし身に付けやすい。進歩の度合いがすぐに作品に反映される悦び。人に見てもらって感想を聞く畏れと愉しみ。これらが、ウェブサイト制作の醍醐味と言えるでしょう。

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 『はらだしき村』でお世話になっているウェブプロデューサが、あるとき発した言葉が心に残っています。

 「たかがホームページですから。」

 「たかがホームページ」 この姿勢で臨んでいる人のほうが、面白いものを作れる気がします。過信しない、常に疑う、依存しない、客観視する。そこにあるのはただ単に「表現したい、伝達したい」という欲求だけで、その手段としてウェブサイトが選ばれたに過ぎません。小難しく考えずに、作りたいときに作ろう、楽しんで作ろうと、初心に立ち返って思いました。

 寄り道しながらも、どうにかウェブに寄せた文章に落ち着きました。めでたしめでたし。

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020501 アイム・ソーリー。


 髭が濃い。

 一ヶ月ぶりの更新がこんな書き出しなのもどうなんでしょう。はい、一ヶ月のご無沙汰でした(玉置宏)。いくら不定期更新を明言してるとは言っても、これはやり過ぎです。[Diary]の看板は下ろしたほうがいいと思います。じゃあどうしましょう。週刊化しましょうか。いや、週刊でも危うそうです。だいたい怠惰な僕が、週一更新を律儀に守るわけがないです。じゃあ月刊でいきましょう。「月刊 Rana's HOME PAGE」でよろしく。わっ、なんてバタ臭いネーミングなんだ。月刊化への道は険しいね。かといって隔月刊までイっちゃうと、見捨てられそうだし。そいつは困った(困ってなさそう)。その昔、「月刊少年ジャンプ」を読むと、ちょっとだけお兄さんになったような気がしました。「週刊」には手を出さずに、あえて「月刊」。そんな自分を「ふっ、おれってマイナー志向だなあ……」と斜に構えて見つめていましたがよくよく考えてみれば結局ジャンプブランドからは逃れられていないあたり、甘いです。せめて「コロコロコミック」全盛時に「コミックボンボン」一筋に貫くくらいの気概を見せてもらいたいものです。おっと話が逸れました。とりあえず、僕は髭が濃いです(この段落、読み飛ばしていただいても何の支障もありません)

 濃いんですよ、ほんとに。よく「朝髭剃っても夕方には青々」なんてな表現しますけど、まさにこれです。夜に鏡見ると、何割増しかで老けてます。確実にオッチャン化してる自分に幸あれ。そんな具合に、濃いです。チョーさん(長嶋茂雄終身名誉監督)もびっくり。今どき長嶋さんを「チョーさん」呼ばわり。僕、ワンちゃん。

 濃い人間(髭がね)は、髭剃りに気を配ります。いろいろと試してみてたどり着いたのが、今使用している『シックプロテクター3Dダイア』 です。ジェルには『サクセス薬用シェービングジェル』を使い、このコンビできれいさっぱりすっきり。剃るとき気持よすぎて力はいっちゃって時々血を流しちゃうのはご愛嬌。少なくとも午前中はツルツルです。僕と会うなら午前中にしましょうね。みなさん。メーカーさん、宣伝してみましたよ。一年分送ってくださいありがとうございます。僕、マイク・ベルナルド。切レテナーイ。

 濃くても(髭が)、就職活動はできます。できますけど、朝な夕なと試験だ面接だと東奔西走……しているうちにね、うん、生えてきますね、髭が。青々〜っと。しかしながら髭の貫禄とは裏腹に、現在の僕の髪型は「坊ちゃん刈り」に近い感じで、優等生然としています。「三流ホスト」と関係各所で言われたような茶髪ではありません。そして服はダークグレイのスーツです。これらが中肉中背な僕の体躯と絶妙な配合をなし、実にアンバランスな風貌を呈することになります。こういうのをまさしく、「とっちゃん坊や」と言うんでしょう。まったくもって年齢不詳です、自分。こんな僕だから、ぴろさん(気持27)に、「就職するのかぁ……あのらなくんが……(しみじみ)」と言われてしまうんですね。「就職くらいするわい!」と言いたいところですが、実際のところできてないんだから何も言えません。僕自身就職してる自分がイメージできないのが困りものです(ほんとにな)。やっぱり携帯の待ち受け画面が「くまのプーさん」では、就職できないんでしょうか。ねえ? takkaさん。そんな24の春です。

 この日記、割と「らなさん」のイメージにそぐわないかと思われます。「らなたん」に髭が生えるなんて信じられない! ショック! とお嘆きのお嬢さん方、メールください。野郎は要りません。

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020404 モー娘。ネタ、息長いな。


 この日記は、同日のもろやんの日記も合わせ読むと、より一層お楽しみいただけます。

 1曲目に何を歌うか。

 そう、カラオケに行くといつも悩むのである。僕がカラオケ好きであることは羞恥の、もとい周知の事実なのだが、毎度1曲目の選曲に頭を悩ませていることはあまり知られていない。

 「お前、なんの迷いもなく「チュッ!夏パ〜ティ」(三人祭)入れてたじゃねえか」

 とか、

 「らなくんの一曲目は、「BE TOGETHER」(TMNじゃなくて鈴木あみ)で決まりだよね」

 とか言わないでいただきたい。そりゃあ僕はいつもモーニング娘。を嬉々として歌ってるさ。浜崎あゆみや鈴木あみをご満悦の表情で歌ってるさ。三人祭やミニモニ。をフリ付きで歌ってるさ(目撃者多数)。これらを根拠として、「選曲に迷いがない男、らな」と認知されているとしたら、それは誤解というものだ。実はこれらは、悩みに悩んだ末の選曲なのである。別にモーニング娘。ファンだからとか、浜崎あゆみフリークだからとか、鈴木あみ命だからとかじゃないのである。失礼しちゃう。

 それでは、何故僕は斯様に悩むのか。

 これはもう、「如何にしたらウケるか」を考えてのことに他ならない。今やカラオケは親睦を深めるためのツールであるし、ストレス発散の場である。となれば僕は、「如何にウケを取るか」に執心するというものだ。僕の歌によって場が和んでくれたら本望。それが一曲目ならばなおさらだ。場の空気を、流れを、左右する、そんな威力を持っているのだ、一曲目というヤツは。そこにもってきてモーニング娘。に代表されるアイドル曲は、実にエクスカリバーのごとき威力を発揮する。普段口数が少なく、ヌボーッとしていて何考えてるかわからない(実際何も考えてない)僕が、マイクを握ると突然、

 チュッ

 とかやってしまうのである。このギャップは結構ド肝を抜く。このへん、僕は自分自身のキャラをよおく把握している。それにさ、「♪努力! 未来! A BEAUTIFUL STAR!♪」とか歌われたらみんな、拳突き上げちゃうでしょう? え? 突き上げない? いや、突き上げろ。

 もちろん僕だって、GLAYやラルクやミスチルをしょっぱなにブッ放して勢いをつけたい。むしろそれが正攻法というものだろう。でもさでもさ、音域が合わねえんだよ音域が! 平井堅もCHEMISTRYも、声出ねえんだよ! ちっくしょう!(らなさんらなさん、久しぶりすぎてキャラ違ってますよ)

 自分の音域に合った曲を素直に選ぶとなると、どうしてもしみじみ〜とした歌に偏ってしまう。しみじみ曲も、場の緩衝材として機能させるならばよかろう。しかし、一発目に歌って、「らなくん=しみじみ」というイメージを抱いていただくのは本意ではない。かといってGLAYをムリして歌ってしまうと聞き苦しいことこの上ない。歌が上手ければ、GLAYをバシッと歌いきって、「=カッコええ」という印象を与えるのだろうがどっこい、「らなくん=裏声出てませんよ」なキャラが定着してしまうのだ。これは御免こうむりたい。モーニング娘。もあゆもあみも、そんな僕がどうにかして場を盛り上げようとしての窮余の選曲なのである。歌いたくて歌いたくてたまらないわけではないのだ。CDを聴いたりVTRを見たりしながら練習してるわけではないのだ。そこんとこ誤解なきよう。

 だから僕は今日も、「桃色片想い」(まちーら※)を歌う。胸がキュルルン。

 ※まちーら:つんく♂のリーサルウェポン、松浦亜弥の愛称。同義語に「あやや」がある。

 > たぶんRanaくんあたりなら、その差異化のメカニズムを
 > 自分の体験として語ってくれるに違いありません。

 というもろやんの要請により、書いてみた。まかせとけ。

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2002 : 01-03
2001 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2000 : 01-02 03-04 05-06 07-08 09-10 11 121999