061203 馬は飛ぶ [競馬]

 馬は飛ぶ。

 この、主述関係は間違っている。試験でこんな文章を書いたらペケである。天馬でもない限り、馬は飛びません。

 ディープインパクトは飛ぶ。

 これは正しい。ディープインパクトは、飛ぶように走る (らしい) 。2005年4月6日、皐月賞勝利後に武豊騎手はこう話した。

 「走っているというよりも、飛んでいるという感じ」

 「ディープインパクトは」 という名詞句と、 「飛ぶ」 という述語動詞は、この日初めて結びついた。 「飛ぶように走る」 という表現が先にあって、武が彼の強さを 「飛んでいる」 と表現して、観衆はその表現を納得とともに受け入れた。以後、ディープインパクトの走りを描写するとき、 「飛ぶ」 は欠かせない言葉となった。

・強い。次元が違う。また空を飛んだ。

(日本ダービー、2005年5月30日付日刊スポーツ)

・インパクトが飛ばなかった

(有馬記念、2005年12月26日付日刊スポーツ)

・世界へ向けて飛んだ!

(天皇賞・春、2006年5月1日付日刊スポーツ)

・飛べ! ディープインパクト

(『Gallop』 2006.8.4臨時増刊)

・ロンシャンの地でいつものように飛べず

(凱旋門賞、『優駿』 2006.11)

・Why didn't Deep Impact fly, or wasn't he able to fly?

(同上)

・飛んだ―。地鳴りのように響く歓声の中、小柄な鹿毛馬が、ライバルを一方的に突き放していく。

(ジャパンカップ、2006年11月27日付スポーツ報知)

 みんな、ほんとうによく使っている。 「直線…天馬のギアが最高速に入った」 (天皇賞・春、前掲日刊スポーツ) や 「21世紀の天馬」 (前掲Gallop) と、まさしく天馬を重ねた表現もあった。先日亡くなった志摩直人、あるいは寺山修司の影響もあってか、競馬を前に詩情が湧く人は少なくない。ロマンチストも多いように思われる。そういう人々にとって、 「飛ぶ」 という比喩は実にしっくりくるものだったし、飛びつきやすいものだったろう。

 コアな競馬ファンのみではない。ディープインパクトが飛べば勝つし、飛ばなければ負ける。ファンは 「飛べ!」 と応援すればよい。実にわかりやすい構図である。このわかりやすさゆえに、ディープインパクトは競馬ファン以外の人々の心もつかんでいる。ジャパンカップ勝利後には、東京競馬場で万歳三唱が沸き起こったという。一頭の馬の勝利で万歳三唱なんて現象は、そうそうあることではない。 「飛ぶ」 走りは、多くの 「競馬ファンじゃないけどディープインパクトファン」 を生み、深夜に放送された凱旋門賞の視聴率は22.6%を記録した (瞬間最高・関東地区) 。

 「飛んでいるという感じ」 ――もとはといえば、武のたった一言だったのである。ディープインパクトがおさめてきた成績と、この一言とのあいだに関係はない。だけど、強さを的確明瞭に表現した 「飛ぶ」 という言葉がなければ、フィーバーの質はちょっと違ったものになっていたのではなかろうか。毎回讃えているようだけれども、武が勝利騎手インタビュー等で垣間見せるこうした言語感覚には、いつも唸らされるのである。

関連日記
060627 彼はどこまで強いのか

参考資料
日刊スポーツ (2005年5月30日付紙面)
同 (2005年12月26日付紙面)
同 (2006年5月1日付紙面)
スポーツ報知 (2006年11月27日付紙面)
『Gallop 臨時増刊 ディープインパクト 衝撃2冠までの足跡』 産業経済新聞社 2005.7.20
『Gallop 臨時増刊 ディープインパクト 凱旋門賞応援完全ガイド』 産業経済新聞社 2006.8.4
『優駿』 日本中央競馬会 2006.11

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