080119 蒼井優と夏目漱石 [随想]

 映画やCMの蒼井優が素敵すぎるので、夏目漱石 『こころ』 を読んだ。

 脈絡なさそで、ある話。僕が買ったのは集英社文庫の 『こころ』 。昨夏のフェア (ナツイチ) で売られていた、蒼井優がカバーを飾る限定版だ。フェアはとうの昔に終わったものの、なお平積みで売られていたその文庫を書店で見かけて、思わず購入してしまった。 「カバーはお付けしますか?」 「いいえ結構です」 蒼井優を隠しちゃ意味ないじゃないか。

 縁あって手にした 『こころ』 を、一晩で読んだ。17、8年ぶりじゃなかろうか。10代前半で 「わかったふりして」 読んだ小説も、いま読むと 「わかったような気がする」 。

 山田風太郎は、 「一〇〇年後、二〇〇年後、残る作家がいるとすれば、それは夏目漱石と吉川英治だ」 と語ったという (縄田一男 『中央公論』 2008年1月号) 。古びようがないテーマを平易な言葉で書いた 『こころ』 も、なるほど90年以上生き続けている。

 文章は古びずとも、文化や風習は消え、変わり、移る。そのため 『こころ』 にも多くの脚注が付けられ、読解を助けてくれる。 「麦藁帽」 や 「蛇の目」 や 「蕎麦湯」 にまで脚注があるのは親切すぎやしないかと思ったけれども、たとえば 「大学出身」 という語に 「*」 が付いていて、 「なぜ?」 と思って確認してみると 「東京帝国大学 (今の東京大学) 卒ということ。当時はたんに大学といえば帝国大学、特に東大を指した。」 とあるのを読むと、 「そっかー」 と納得するのである。

 ところで脚注をまとめるのは、多くの場合編集者である。僕も担当したことがあるけれども、どの語を選んで、どういう説明を加えるべきかを検討するのは、苦しさと楽しさが相半ばする仕事である。古典・名作は出版社をまたいで世に出されるので、出版社ごとの違いを比べてみるのも一興だ (と思う。やったことないけど) 。手にある集英社文庫版と、実家にある新潮文庫版を、比較してみたくなった。

 読み終えて、再びカバーを見やる。窓辺にたたずむ蒼井優がやっぱり素敵だ。この勢いで初夏公開の主演映画 『百万円と苦虫女』 も観に行ってしまいそうだ。 「私」 や 「K」 の年齢 (25歳くらい) を軽く飛び越えて、むしろ 「先生」 の年齢 (38歳くらい) を視界の片隅にとらえる僕は、もちろん蒼井優を 「お父さん目線で」 見つめている。

編集部 実は昨日タナダさん (タナダユキ、 『百万円と苦虫女』 脚本・監督) から、応援メールもらいました。 「蒼井優という女優はすごい」 「彼女でなければ成立しなかった」 といった感じで、けっこうベタぼめです。

蒼井 おお~、でも、そんなことないです。

『広告批評』 NO.322 2008 JAN p.87、 ( ) 内引用者

参考資料
夏目漱石 『こころ』 集英社文庫
『中央公論』 2008年1月号 中央公論新社
『広告批評』 NO.322 2008 JAN マドラ出版

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070524 役所広司になった

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