■ 2002年7月,8月,9月

020930 えぐり込むように野球ネタ。


 偵察に行ってきました。

 偵察。それはすなわち敵情視察。日本シリーズで我がライオンズの対戦相手となるジャイアンツの試合を観に行ってきたのです。自軍
(=ライオンズ)の試合は当然のごとく全試合チェックしていますから戦力はほぼ把握しています。これからは敵軍(=ジャイアンツ)の試合の模様を偵察するとともに戦力を冷静に分析し、自軍との比較に基づく決戦の展望に努めてゆかなければなりません。敵知らずして勝利はありえません(戦うのはお前じゃない)

 今まではファイターズ−ライオンズ戦を観るためにしか訪れたことがなかった東京ドーム、今日は初のジャイアンツ戦です。消化試合とはいえそこはさすがに球界の盟主。同じ球場とは思えないくらいの客の入り、盛り上がりです。それにつられてやたらと浮かれてハイテンションで球場に乗り込む僕の姿が目撃されたかもしれませんが、それは幻です。あくまでも偵察であり分析なのですから、冷静な心持ちで臨みました。

 3塁側スタンドに陣取りグラウンドを見下ろします。鮮やかな緑の人工芝。オレンジ色に浮かび上がるマウンド。夢の舞台は、周囲360度の喧騒をよそに沈黙の面差しで開始の時を待っていました。外野スタンドを占める応援団も3時間以上もの狂騒に備えて体力を温存中で、5万を超える人間を飲み込んだ空間は無気味な静けさと冷静さに包まれていました。

 その沈黙は主審の「プレイボール!」のかけ声によって破られ、ジャイアンツ先発工藤の投げた第一球、141キロのストレートによって一気に雄弁になりました。試合開始です。

 ……。

 ……。

 ……。

 試合開始です試合開始です試合開始です。ジャイアンツ戦ですジャイアンツ戦ですジャイアンツ戦です。チケット入手・席の確保が困難だということで今まで敬遠していたジャイアンツ戦に、今、初めて、来ているのです。アンチジャイアンツと言えどもそこはそれ、一野球ファンとしてはやはり興奮せずにはいられません。いられねえって。目の前に松井がいます。由伸がいます。工藤がいます。うおおおおっ、すげー、でけー、かっけー! そわそわそわそわと身体を揺すります。きょろきょろきょろきょろと球場の四方に目を泳がせます。おおおおお、なんか日テレ観てるみたいだ。そのまんまだそのまんまだ。すげーすげー。わーいわーい。どうですこの僕の喜びよう。いつものローテンションがウソみたいです。前回の日記におけるジャイアンツに対する突き放した書きっぷリとエライ違いです。しかし! 僕を悲しませた出来事がありました。魂の父、清原和博が出場していなかったのです。死球による故障で試合に出られなかったキヨ。なんてことでしょう。僕はキヨに逢いに来たも同然なのに。僕は号泣しました
(ウソ)。ヨヨヨヨ、とハンケチの角を噛みながら悲嘆に暮れました(ウソ)。ガンガンガンガン、とロッカールームの扉に八つ当たりしました(ウソ)。ですが嘆いても仕方がありません。無理して試合に出ることなく、じっくりと治療していただきましょう。ただでさえ各所に爆弾を抱えた身体なのですから。キヨの姿は日本シリーズで見られればいいです。キヨの身体はもうキヨひとりだけのものではないのです。そして復活の暁には清原、オレを抱け。ぜえぜえはあはあ(一気に書き切ったので疲弊)

 おっと試合だ。そうそう、偵察に来たんだった。単に素で楽しんでただけだなんてことはありません。結果は6−5でジャイアンツの勝利。由伸の満塁ホームランがハイライトでした。さすがセの覇者。重量打線と充実投手陣はいかな王者ライオンズと言えども一筋縄ではいかないことでしょう。まあいずれにせよライオンズが勝利することは
(僕の中では)規定路線なのですがね。試合終了後のジャビットの小芝居を横目に見つつ、1ヵ月後に熱戦が繰り広げられているであろう球場を後にしました。早く僕が収集した情報・発見した弱点をライオンズスコアラーに伝えなければ。

001/001

020927 相手は決まった。


 さて困りました。

 西武ライオンズが優勝。これはいいのです。喜ぶべきことです。優勝の決まり方が腰砕けなものだったとて、喜びが減ずることはありません。この大事を一面で扱わなかったサンケイスポーツは困ったものですが、僕がこの日記で言及したいのはサンスポではありません。

 読売ジャイアンツが優勝。これもいいでしょう。アンチ気味な立場の僕も拍手を送ります。就任当初は長嶋二世と揶揄された原監督も、蓋を開ければその監督ぶりはなかなかどうして見事なものでした。今年のジャイアンツの勝因はずばり、「監督が変わったこと」、これにつきます。長嶋前監督が聖域の住人のため、マスコミの論調は歯切れが悪いのですが。長嶋氏にアテネ五輪の日本代表監督を要請する、との報を聞いて「ヤバイんじゃねえか」と思ったのは僕だけではないでしょう。ヘイ、カール!

 おっと話がそれました。そのジャイアンツ、優勝の決まり方という点ではライオンズを上回る腰砕けっぷりでした。パスボールによるサヨナラ負けで試合終了、六甲おろしの歌声響く甲子園球場で胴上げというのは映像的に異様なものがありました。それを延々放送していたフジテレビも大したものです。おかげで野球中継以降の番組は150分押しです。「ナイター中継延長のため以降の番組は150分繰り下げて放送いたします。」というテロップには笑いました。おまけに「ナースのお仕事4」は折悪しく最終回2時間スペシャルだったので、23時半に始まって終わったのは深夜1時半です。フジテレビにはドラマの熱心な視聴者からの抗議が殺到したことでしょう。野球中継にこだわって観月ありさファンを敵に回したフジテレビ、困ったものです。て違います、僕がこの日記で言及したいのはフジテレビでもありません。

 と、さりげなくフジサンケイグループに毒を吐いてみたところで本題。なにが困ったって、日本シリーズが、ライオンズ対ジャイアンツ、この対戦になってしまったことです。いや言い換えます。僕の中ではライオンズ対清原和博、これです。

 困りました。

 さんざ書き散らしている通り(020615,020831)、僕は生粋のライオンズファンですが、と同時に清原和博ファンでもあります(011205)。この両者が、日本シリーズの舞台で雌雄を決するわけです
(ジャイアンツの他の選手は無視)。果たしてどちらを応援すればよいのか。昨年の夏の甲子園で、岡山代表と宮崎代表が激突した時以来の難問だと言えるでしょう(010811)。この時の日記と同じパターンで攻めていることには気づかないフリです。

 ライオンズには勝ってもらいたい、キヨにも打って欲しい。しかしながらキヨが打つということはジャイアンツの勝利を意味する……。ライオンズの勝利はキヨを抑えることなくしてありえない……。このパラドックス
(違う)。このアンビバレンス(違う)。このアンチノミー(多分正解)。史上最強チームとの声もある今年のライオンズ。肉体改造を経て輝きを取り戻しただんじりファイター清原和博。両者の魅惑の対戦、日本シリーズ。その模様を夢想しつつ悩みつつ過ごせるこの一ヵ月間は至福です。みなさまも、今しばし『獅子心中』にお付き合いください。ええ、もうちょっとの辛抱ですから(しまった、前置きのほうが長かった)


通勤途中のキオスクで購入。

001/001

020923 機会。



よく言われることだが。

「数学はなんの役に立ちますか?」

とか、

「古文を習って意味があるの?」

とかいう疑問が提示される。
僕も学生時代、ちょっとだけ思っていた。
けど、「役」だとか「意味」だとかうだうだ考える前に
とにかくやってみっか、てな思いで取り組んでいた。

今だったらこう思う。

それは結局、機会の均等化なんだな、と。



ある人にとってみれば至極つまらないように思える数式も
他のある人にとってみれば興奮ものだったり、

ある人にとってみれば退屈極まりないように思える古典も
他のある人にとってみれば魅力溢れるものだったり、

ある人にとってみれば意味不明に思える楽譜も
他のある人にとってみれば旋律の源だったりする。



だけどそういったものに出会う機会って年若なうちは
学校以外ではなかなかない。

そして年若なうちにこういった機会に恵まれのめり込むことが
後のために大切だったりする。

もちろん幸福な出会いばかりではないだろうから
「つまんねえ」「わかんねえ」「くだらねえ」と思うこともあるだろう。

けどそういった負の感想であっても
感想を抱いたこと自体が大切なのであって、

感想を抱く機会すら与えられないこと、
これがいちばんの不幸だったりする。

触れてみて、「無理」だと思うことも、
かじってみて、「合わない」と思うことも、
足を突っ込んでみて「引き返そう」と思うことも、

いずれも経験であり進歩なのである。


001/003



塾講師をしていた、ある友人が言っていた。

生徒に、
「古文なんか普通に生活してたら使わへんやろ」とか
「文法なんか知らんかっても、日本語しゃべれんで」とかってよく言われた。


と。

彼はこう答えた。

知らへんより、知ってるほうがたのしいやろ?

さらにこう継いだ。

知っていても仕方のないこと、やっても仕方のないことを
あえて知ろうとしたり、やってみたり。それが楽しいんだと思う。
自分のすべてに意味を求めるのは窮屈だもの。


そのとおりなんだと思う。

技術の時間に文鎮を作らなかったら
真鍮を旋盤で切るときの音も感覚も知らないままだったろうし、

体育の時間にサッカーをしなかったら
ボールが顔面に当たった痛みも泥の味も知らないままだったろうし、

古文の時間にカ行変格活用を習わなかったら
現代の言葉につながる歴史も日本語の美しさも知らないままだったろう。


002/003



また人の話の引用をする。

研究室時代、先輩が言っていた。

衝撃的学術論文に出くわすとウキウキする。
それはまるで推理小説最後の50ページを読んでるみたいな感覚だよ。


と。

そう、論文は面白い。

こんな着想があったのか! とか、
すげえ証明だ! とか。

僕の数少ない経験の中でもそういう論文はあった。
けど僕はその面白味を理解しきれないまま、
自らは面白味を提出できないままにリタイアしてしまった。

この自分の経験からも同じことが言える。

機会は与えられた、けど合わなかった。
それだけのことで
そう思えたことは幸せだった。

そして声援を送る。

数式を読んで震える人も、
古典を読んで涙する人も、
楽譜を読んで口ずさむ人も、

出会いの機会に感謝し究めてもらいたいと思う。

難解な学術論文に光を見出せる人は、
その能力を備えた時点で少しの義務も背負うのだと思う。

あなたのその仕事は、あなたにしかできないのだから。



先の金曜日は、前述の研究室の先輩の、学位授与式でした。


003/003

020917 『海辺のカフカ』 村上春樹


 15歳の誕生日がやってきたとき、僕は家を出て遠くの知らない街に行き、小さな図書館の片隅で暮らすようになった。

村上春樹 『海辺のカフカ』

 15歳の頃の話をする。

 15歳。僕は中学3年生で、今より少しばかり子供だった。高校受験を控えてはいたがそれはそんなに切迫した問題でもなく、日々学校に行って家に帰って漫画を読んでゲームをする、穏やかな時が流れていた。友達は多くはなかったけれども自分の交際能力からすれば分をわきまえていたとも言え、時々カラオケやボーリングに行って遊びのための遊びに興じていた。田んぼに囲まれた公立中学校のごくごく一般的な黒髪の中学生はごくごく一般的な遊びに時間を費やし、身に充填されていたであろう活力のようなもの、あるいは蓄積されていたであろう熱のようなものを放出し発散し切れているとはとても言えなかった。それでもそれが僕の15歳であり、そこそこに満足していた。

 当時の僕は村上龍がお気に入りだった。ハルキじゃなくてリュウ。この点で今とは決定的に異なっている。今の僕はリュウが嫌いで、ハルキが好きだ。村上龍『69』で読書感想文を書いただなんて信じられない。そういえば僕は読書感想文という宿題が嫌いではなかった。「嫌いではなかった」なんて微妙な言い方をしているのは、どうやら読書感想文は「嫌いであるべきもの」のようであるからだ。しかしながら僕はそう、「嫌いではなく」、「気に入られるであろう」感想文を書いたり「気に入られないであろう」感想文を書いたりして周りの反応を計っていた。極めてかわいくない所業であるが、それはこのろくでもない宿題を少しでもマシなものにするための手段のひとつだった。

 小遣いの多くは漫画と文庫本の購入に充てられた。漫画を何冊、そして文庫本を何冊買えば小遣いが尽きる、なんてことは毎月の支出の中で身体でわかってくるから、読みたいヤツを吟味して検討してから意を決して一冊の本を買うことになるし、心して一冊の本を読むことになる。だから僕はそんなに「つまらない」と思う本に出会うことなく最も吸収のいい時期を過ごすことができた。これは幸福なことだと思う。逆に趣味が本に偏重していたため僕の周りに音楽はなかったし映画もなかった。これは不幸なことだったし今からすれば後悔だ。しかしテレビは普通に好きで観ていたので、辛うじて本以外の別の吸収口も保持されていたことになる。ダウンタウンが席巻していた当時のテレビ番組を、僕も多分に漏れず深夜に至るまで観ていたのであった。

 中学校の卒業文集、「将来の自分」の欄には、こう書いた。「イラストレイターになってる。」と。イラストを描かなくなった僕は、15歳の僕を裏切ったのだろうか。裏切ったのかもしれない。でもこんなことを書きながらも、「まあ可能性は低いかな」などと達観していた僕がいたことをよく覚えている。好きなことをやって食っていける人間がどれだけ少ないか、ということをよく知っていたし、自分の能力がそこに及ばないものであることも知っていたからだ。そのくらいのことは知っていた。その程度には大人だった。15歳の僕は10年後、今の僕の姿を想像しただろうか。今の僕の姿を見てどう思うだろうか。「ふん、やっぱりね」と鼻白むような気がする。人間そう大きくは変わらないし、期待するほど突拍子もないコトをしでかすはずもない。彼の延長線上に僕はいるし、僕の数メートル後ろに彼はいる。

 15歳の誕生日に僕はスーパーファミコンのソフトを買ってもらい、
 15歳の僕は家出をすることはなかった。
 家出をしなかった15歳の僕だけど、少しの物語はあった。
 25歳の僕は『海辺のカフカ』を読んで15歳の僕を想い、
 25歳の僕は10年の時というものを想った。

 君はこれから世界でいちばんタフな15歳の少年にならなくちゃいけないんだ。なにがあろうとさ。
「15歳の頃」特設スタジオ>>>

001/001

020906 敗戦処理。



敗戦処理投手

という役回りが、野球にはある

いわゆる負け試合に出てくる彼らは

極論すれば試合を終わらせるためだけに投げる

投手が投げなければ始まらないし終わらない

そんな野球というスポーツに必要生まれた役回り



勝ち目のない試合

調子に乗った相手打線

消沈した味方野手

そこでマウンドに上る彼らは

それでもモチベーションを保ち

マウンドを守る



今年のライオンズでいえば水尾嘉孝という投手がそれにあたり

すでに30試合を投げている

成績は0勝0敗0セーブ

敗戦処理投手に記録はつきにくい

史上初めて1億円の契約金を得てプロの世界に入った男は

今日も負け試合のマウンドに立っていた



過去にジャイアンツでエースと呼ばれた桑田真澄は

故障もあってこの3年辛酸を舐めた

敗戦処理に出てくることもあった

彼はそのマウンド上

心の中で泣いていたという

「なんでオレ今投げてんねやろ?」と思いながら



エース西口が痛打を浴びて7回でマウンドを降り

5点ビハインドの場面で彼は出てきた

試合の大勢が読めて

家路に向かう人々の流れの中で

淡々と水尾は投げた

今年31回目のマウンドに立っていた



負ける日は誰にでもある

負けた日をどうやり過ごすか

いつか勝つ日まで

勝ち試合のマウンドに立つ日まで

水尾が8回裏を零封してマウンドを降りたその日

桑田は3年と4ヵ月ぶりの完投勝利をあげた


001/001

020831 誤算だったんですよ。


 8月前半、4回も更新したことで「おっ、Ranaの野郎もやっと心入れ替えて更新にいそしむようになりやがったか」と巷に思わせたとか思わせなかったとか。案の定息切れしちまって、もはや8月も終わりです。そんな20日ぶりの更新。さよなら、夏休み。さよなら、夏の恋(恋?)

 久しぶりの更新にもかかわらず、本日の日記は読者を限定します。具体的にいうと西武ライオンズファン限定です。あ、誰もいなくなっちゃった。ちょちょちょ、ちょっと待って。りかさん、ライオンズファンにカムバック! まるまさん! takkaさん! 石井浩郎さん! いっしょにコアなプロ野球トークを!  めけさん! マコちん! うめちゃん! 苦しい今こそトラのAクラス入りを願って! ペナントレースも大詰めなの! みんなでプロ野球観るの! W杯のおかげも相まって今年全面的に地味なプロ野球を!(ビックリマーク多すぎです)。勝ったときだけ巨人ファンだとかヌかしていたもろやんは……まあいいか。

 さて、当サイトはご存知の通り現在、『獅子心中 - 西武ライオンズファンサイト- 』となっております。『Rana's HOME PAGE』の「Ra」の字もございません。これこそが僕の本意。できれば年中この形態でお送りしたい。けどそうもいかないので期間限定にてガマンです。昨年は近鉄バッファローズの優勝決定とともに幕を閉じましたが、今年は日本シリーズまで引っ張れそうです。ビバ! ライオンズ!

バナーもあるでよ。
 しかしながら今年の『獅子心中』は、誤算の中からのスタートでした。なにが誤算って、マジック点灯が早すぎました。まさか8月半ばに点灯してしまうとは。『獅子心中』の開始を昨年同様9月からと想定し、のほほんと構えていた僕は、焦ってトップページを制作するハメになりました。そして公開してみたらばアータ、以来ライオンズは2回しか負けてないじゃないのさ。すごいわ、すごいわ。そういえば昨年も、公開後に連勝していたのでした。

   『獅子心中』公開後のライオンズの戦跡:
   2001年 13試合11勝2敗
   2002年 14試合12勝2敗


 すごいぞ『獅子心中』! 勝利の女神、オレ!
(実は昨年はその後1勝9敗と散々だったのですが、そんな都合の悪いデータは黙殺します)

 そう、再び更新が停滞してしまったのは「かまいたちの夜」のせいではなく(020720)、はたまた仕事が忙しいからというわけでもなく、日々文化放送公式サイトでライオンズの試合の模様にかじり付いているからなのです。この狂乱は日本シリーズ終了まで続くかと思われます。更新が滞ってしまうのはご容赦ください。結局アンタ年がら年中更新滞ってんじゃんなんて言わないで。

001/001

020811 マグリットの青と言葉。


止まった手のひら ふるえてるの 躊躇して
この空の 青の青さに 心細くなる

YEN TOWN BAND 『Swallowtail Butterfly 〜あいのうた〜』


 その昔、「青い絵」について語ったことがありました。昔も昔、2年と4ヵ月も前のことです(000331)。内容にしても文章にしても赤面ものなので、今になって触れるのはためらいがあるのですが、恥ずかしがってもしょうがありません。この中で僕は、「青は、使いにくい」「青を見事に使い切った名画というのは少ない」とかヌカしています。わかったようなことを言って悦に入るのは今も昔も変わりませんが、それにしてもこの背伸びの仕方は若気の至りでは片付けられません。

 でもまあ当時の思いというのは決して偽りではなく、「青い絵」に対する思い入れは強いものがあります。青は無論好きな色だし、自分でもよく使います。では記憶のはじめにある「青い絵」ってなんだろう? と考えてみたときに、思い当たるのはこの絵です。

大家族(The great family)

 おそらくは中学校の美術の教科書で見かけたのでしょう(この絵と『ピレネーの城(The castle in the Pyrenees)』が特に有名かと思われます)。この不思議な絵を描いたのは誰だろう? と思い、マグリットという名を知ることとなりました。シュルレアリスムの画家ですね。日本でも人気のある画家なので、僕が説明を差し挟むこともありませんが。

 そのマグリットが、日本にやってきました(「マグリット展」)

001/003


自然の最初の意志は、美しいとか崇高いとか、絵のようだとかいう人間の最初の感情を完全に果たすように地球の表面をつくるつもりであったのだけれど、今まで知られた様々の地質的変動――形状や色彩の配置の変動――によってこの意思がくじかれたのである。そしてふたたびこれらを修正し、整えることに、芸術の真の意義があるのだ。
エドガー・アラン・ポー 「アルンハイムの地所」


 いつか見たい、と思っていたものが目の前に現れたときの心の動きというのは、言葉では表現できません。僕にとってそれは、『アルンハイムの領地(The domain of Arnheim)』という作品でした。展覧会場の中盤あたりで出くわしたこの絵。ポスターでも用いられているので、今日拝むことができるのはわかっていましたが、それでもちょっと不意を衝かれました。そして固まりました。見入りました。

 美術教師が「この絵好きなんだよお」と言って示した絵の中のひとつに、この絵はありました。高校のときです。青の綺麗さに、惚れました。一面の青色が与えるやさしいイメージ。でも描かれるのはゴツゴツとした岩の山肌で、山頂は猛禽の頭部の形をしています。やさしいけれども激しい、この取り合わせは強烈なイメージを刻みました。これまでに出会った「青い絵」の中で、もっとも好きなものだと言えます。『大家族』とこの『アルンハイムの領地』、別々に出会った「青い絵」の作者がともにマグリットであったのはまったくの偶然なのですが、だからこそマグリットは僕にとって特別な画家であるという地位を今まで保ちつづけているわけです。

 そんな経緯があってついに機会を得た「マグリット展」で、目にすることができた『アルンハイムの領地』です。実物の青は、当然のことですが画集の青とはまた違い、そして原寸で飛び込んでくる絵の広がりは想像していた以上のものでした。彼の作品との最初の出会いやこの絵との最初の出会いの瞬間の衝撃がフラッシュバックされ、そして通り過ぎていきました。素晴らしいものに出会ったときや憧れの人に出会ったときの、鳥肌が立って「ぶるっ」と震えるあの感覚。何度経験してもいいものです。しばし立ちつくして見入ったあと、一度は絵の前を離れましたが、二度、三度と引き返し、また絵の前に戻りましたからね。

002/003


絵の題名は説明でないし、絵は題名の図解ではない。
題名と絵のつながりは詩的なものである。

ルネ・マグリット


 それでは、もうひとつの側面から、マグリットに迫ってみましょう。

 「絵を描く」ということは、すなわち、「言葉は使わない」ということを意味します。画家は、絵においてすべてを語りきらなければなりません。表現において「言葉を使わない」ことをあえて選択するということ、それが「絵を描く」という表現手段なのです。

 ですがその画家が言葉を使うことを許される機会が、一度だけあります。題名です。題名において画家は、たったの一言、言葉を発することができます。題名によって絵に少しの方向性を与えて、鑑賞者を正しく自己のイメージに誘う画家もいるでしょうし、絵と題名の合算によるイメージの膨らみを企図する画家もいるでしょう。ただの一言とはいえ、言葉は大きな力を持ちます。極端な話、逆に題名が絵を殺すことだってあり得るのです。

 マグリットは、「題名で遊ぶ」ことでもよく知られた画家です。絵とまったく関連性のない(と思われる)単語を題名にしたり、絵と完全に反発する属性の単語を題名にしたり、あるいは題名をつけることを他人に委ねたり。この展覧会でも「なんでこの絵がこの題名なの?」と首を傾げる絵が多数ありました。しかしそれがまたミスマッチの妙を生んでいるから不思議です。この絵の題名が『世界大戦(The great war)』で、この絵の題名が『呪い(The curse)』です。わけわかりません。けれど、このわけわかんなさが「?」を生んで、絵そのものの「?」との相乗効果で鑑賞者は「???」になってしまいます。すっかりマグリットの罠にハマっています。

 そんな不思議な画家、マグリットですが、技法そのものはいたって堅実です。作品を部分部分で見れば、それはもう現実をまんま切り取った描写で、現実を堅実に描いています。「シュルレアリスム」の「レアリスム」の部分です。しかしその切り取った現実の組み合わせ方が「シュル」だから、マグリットはマグリットでありました。作品の(部分部分での)堅実さに沿って、マグリットは性格もまた堅実実直であったといいます。作品に対する姿勢や、表現に対する考え方も、真摯であったことを示す彼の言葉が多く残っています。果てしなく誠実であった画家、マグリットは、その誠実さゆえに、夢を描くことができたのかもしれません。

 僕は、僕の夢がひとつかなった、そんな日でした。

絵を見たり音楽を聴いたりしたってさ、それで動かされるって結局、そこに自分を見つけるからじゃないのかなあ。小さい頃の自分を見つけて懐かしかったりする。今の自分を見ることだってある。それから、未来の自分。十年、二十年先の未来もあるだろうし、何万年先の未来もある。到底、手なんか届かない自分をさ、微かに感じたり、逆に生まれるまえからずうっと、ずうっと前の自分を感じたり。そういうことを考えたら、人間って死ぬもんじゃないって気になるね。
北村薫 『六の宮の姫君』

003/003

020807 押韻。


ちょっとぐらいの汚れ物ならば
残さずに全部食べてやる
Oh darlin 君は誰
真実を握りしめる

Mr.Children 『名もなき詩』


 詩が読めません。

 なにが苦手って、情緒を解さない僕は、詩を味わうことがなかなかできません。想像力もへなちょこなので、17文字や31文字、あるいは計算ずくで散りばめられた言葉の断片からイメージを膨らませて、作者の意図するところを汲んだり、読み手の特権としての自由気ままな解釈に泳ぐことができません。また、感情の吐露としての作詩は、僕にはできないだけにその反発としてのくすぐったさを覚えてしまいます。お兄さん赤面。

 詩を読むことができない僕は、読むことができる人、感動できる人、汲み取る能力がある人を、素直にうらやましく思います。僕が素通りするものの前で、その人はたしかに立ち止まり、なにかを得ているのです。歌詞を読んでもあんまりピンとこず、人の評価や感想を聞いてやっとその巧みさや美しさを知ることになるのは、やや情けないです。もう少し趣深い人間になりたいものです。毛深いのはもういいです。

 そんな僕ですが、詩の手技のひとつとして、昔から好きだったものがあります。

“韻を踏む”

 これです。つまり、押韻。五言絶句や七言律詩など、漢詩における押韻が学校教育で触れ、親しみのある押韻ということになるでしょうが、僕はここに魅力を感じました。

口語自由詩に慣れきってしまった現代日本人は、詩の形式性に対する意識がきわめて希薄になってしまった。欧米人にとっては自明のことなのに……。
殊能将之 『鏡の中は日曜日』


 詩を読むのが苦手な僕が、なぜ押韻については面白いと思ったか。それは、ここに「遊び」の心意気を感じたからです。ただ言葉を並べるのではない、ただ感情を吐露するのではない。「詩」という「形」に言葉を押し込めるにあたって、少しの趣向を凝らしています。それによって構造美が生まれ、リズムがよくなります。言葉が単なる情報伝達の道具ではないことに気づきます。いわば、「遊び道具」です。こういう遊びは自分でもやってみたくなるので、やってみちゃったりしたのが昨日の日記です(020806)。そうなのです。

俳句はシラブルが五七五になっていればいいんでしょう? 幼稚な詩ですね。アクセントと脚韻で味わう中国語の詩とは比べものになりません。

殊能将之 『黒い仏』


 と、日本の詩を否定しているかのような引用をしてみましたが、これには異論を唱えます。たしかに日本の詩は押韻に対する意識が希薄ですが、それはそもそも日本語というものが音節構造が単純な言語で、韻を踏んでも面白味に欠けるということと、日本の詩が選択した「俳句」と「短歌」という形式が、押韻を発達させにくい構造をしている、ということが理由となります。脚韻を成立させようとしても、「脚」が一本、ないし二本なんですから。押韻の発達する土壌ではなかったということです。むしろ日本の詩の粋は、五・七・五という「形」、五・七・五・七・七という「形」をつくったことにあるのであり、韻律のなさゆえに劣っているという物言いはナンセンスでしょう。

ずっと友だち だが時は経ち 変わりゆく街の中で 共に育ち
この街から力溜め 一からの スタートを切った君に 幸あれ
ずっと友だち だが時は経ち 離れた街と町で 別々の道
選んだり Random された人生を 共に生きてる君に 幸あれ

ケツメイシ 『トモダチ』


 押韻が育たなかった日本の詩ですが、最近の歌詞に目を向ければ、「おれたちゃ韻踏むことに命かけてんだぜ、ベイベー」といったような歌詞が数多く見られます。韻を踏むことによって生まれるリズムや語感のよさは、旋律との相性がいいのですね。そしてなによりその工程が楽しい。韻を踏ませようと四苦八苦して、ぴったりハマったときの気持よさ。肯定的な意味での「言葉遊び」、そこにあるのは形が生む美しさです。「形式ばる」ということは必ずしも否定されるべきものではないのです。形式は、表現の幅を広げこそすれ、狭めることはありません。

001/001

020806 So, we...



岐路に立つ際
 あなたとわたしを隔てる差異

あなたがわたしに与える示威
 それはあなたの恣意

あなたとわたしの推移
 惑わし振り回した周囲

あなたと重ねた生
 分かたれたのは誰の所為?

あなたとわたしの相違
 これが総意、ふたりの創痍


001/001

020803 たまには日記を書いてみる。


020729------------------------------

 大学時代所属していた研究室の、前期納会に顔を出してきた。仕事が長びいたせいで少しの遅刻。それでも乾杯にはなんとか間に合った。やれやれ。先生に就職の報告をし、近況を話す。唐突に研究室をやめるという不義理極まりない所業を果たした僕であったが、やめた時もそして今も、先生は心乱すことなく話を聞いてくれ、心配もしてくれる。「キミは文章書くのが好きだと言っておったからなあ。どうだね? 書いておるかね?」と訊かれ、「え、ええ、まあ、書いております、毎日」と答える。「そうかそうか、楽しみにしとるよ、わっはっは」と豪快に笑われると身も引き締まる。先輩や同期の話を聞きつついい気分で呑んでいたが翌日に出張が控えているため、2次会途中で泣く泣く場を辞す。セーブしていたつもりだったがそれでも呑み過ぎていたらしく、千鳥足で帰り、家につくなりキゼツ!(めざせ流行語)。初出張の前日に泥酔。こりゃまいったぜ。ビバ・焼酎!

020730------------------------------

 初フライトです。国内線は初めてなんです。羽田空港は初めてなんです。緊張と、前夜の酒の残りのため、ふらふらしながら飛行機搭乗、石見空港へ。飛行時間は1時間20分。寝て起きたら着陸していた。早いね、こりゃまた。飛行機、すごいね。文明って、すごいね(なにを今さら)。ところで「石見」の読み方がわからなかったのは内緒だ。そんな石見銀山。空港でカメラマンと合流し、タクシーで益田駅、そして特急で浜田駅へ。会社の金だから、惜しむことなくタクシーに乗れるし特急も使える。リッチな気分。電車が1時間に1本しかないのはご愛嬌。過疎化進行中。逆から読んでもカソカ。ホテルで休む間もなく、取材に訪れた病院理事長のお誘いで寿司屋へ。刺身美味! 寿司美味! ……なのだが、仕事の打ち合わせも兼ねてのものだったし理事長の注文や指摘も結構厳しいものだったので、あんまり食った気はしなかった。でもしっかり呑んだけど。ビバ・日本酒!

020731------------------------------

 朝もはよから撮影に入る。病院パンフレットを制作するのだ。外観を撮ったり看護の模様を撮ったり談話の風景を撮ったり。「画になる」場面を求めて病院内外を駆け回る。僕はアシスタント的役割でもあるから、機材を両肩にカメラマンの後ろをへろへろへろ〜っとついて回る。燦燦と輝く太陽が恨めしい。しかしこのいい天気は撮影には好都合なので文句も言えない。曇天などでいい写真が取れなかったら、滞在が延びることだってあるのだし。そいつはカンベン。太陽さんいらっしゃい。撮影中僕は黙って立ちあっていればいいのかというとそんなはずはなく、カメラマンが最高の仕事をできるように環境を整えなければならない。また、文面やコピーを考案するために話を聞いて回らなければならない。編集さんは大変だ。仕事後、カメラマンと一緒に居酒屋へ。ノドにぶつけながら呑むビールが1日の疲れを癒してくれる(ベタな表現)。ここでも刺身を食う。ビバ・ビール!

020801------------------------------

 暴飲暴食がたたって朝、腹痛に悶え苦しむ。同情の余地なし。仕事に向かうころにはなんとか治まって安堵。今日、順調に撮影が進めば昼過ぎにはあがれる。2人でラストスパート。昨日よりさらにいい天気になったので撮影の面ではなんの問題もなかったが、とりあえず暑い。日に焼けてしまった。どうせ焼けるなら海かプールで享楽的に焼けたかった。仕事で焼けてしまうっていうのはなんだかストイックだ。13時過ぎ、撮影終了。条件に恵まれたからには、よいパンフを作らねばならない。理事長さんに挨拶して撤収する。仕事が早く終わったとて飛行機は18時半の便しかない。どこかで時間をつぶそうにも適当な場所がない。ので、結局空港ロビーで延々待ち続けることとなった。現在2便ある東京への便も、近い将来1便になってしまう可能性もあるという。そりゃあ大変。けど利用者はたしかに少ない。3時間待ったのち、ようやく搭乗。降り立った東京は湿っていた。

020802------------------------------

 出張の疲れで死んだように眠っていたが、朝はやってくる。緩慢な動きで身支度を整えて出社。眠気がつらいが、筋肉痛もつらい。機材を少々運んだだけなのに、この筋肉痛はどうしたことか。身体が果てしなくナマっていたようで、危険である。運動をしなければ! とちょっとだけ思ったが、多分しないだろう(ダメ)。会社で出張の報告。どうやら、出張手当とやらが出るらしい。「残業手当? なんだそれは?」な業界なもんだから、出張手当もまた望めないのかと思っていたので、喜ぶ。わーいわーい(喜んだ)。しかし出張にかかった日数は3日なのに手当は2日分ってどういうことさ。微妙なケチさ加減。それとも手当は泊数で支給されるのが普通なのか。誰か教えてくれたまえ。夕方、外はフィーバーしたかのような雷。ピカピカゴロゴロと、そりゃもう大騒ぎさ。けど社内では黙々と読んだり書いたり。編集作業は延々と続く。それが通常。それが日常。そんな日々。

001/001

020720 海の日だからね。


 “PlayStation 2” オーシャン・ブルー(スケルトン)を買いました。

 どどーん。

 プレステ2です、我が家にプレステ2がっ。それも青です。透き通ってます。中まで丸見えイヤン(こんなふうに >>>

 プレステすら持ってなかったこの僕が、まさかプレステ2を買うことになるとは思いもよりませんでした。これも社会人パワーでしょうか(薄給のくせに)。サラリーマンパワーでしょうか(ボーナス出てないくせに)

 今までハードといえば任天堂系(ファミコン→スーファミ→ニンテンドー64)しか持ってなかった僕も、ついにソニーの軍門に下りました。長芋のマカレナ、もとい長いものには巻かれろ、です。

 発売日当日(一昨日)にこの「オーシャンブルー」に飛びついたのは、なにもあたらしモノ好きであるがゆえのみではありません。DVDリモコンや縦置きスタンドまでも付いてきてのこのお値段(3万円)なのです。お得です。さらにヨドバシカメラの夏のボーナスフェアだかで「お買物割引券」をもらったので、3万円以上のお買い物で3千円割り引かれます。すばらしい、ジャストフィットです。これは買わないわけにはいかない、というものでしょう。

 浮かれた僕は、枠線を今度はオーシャンブルー(#1018c0)にしちまってます。ライオンズブルーもジャパンブルーも(020615)オーシャンブルーも、ディスプレイ上では有意差はないのですが、こういう自分の芸の細かさが好きです。自分で自分を誉めたいです。

 で、今やってるゲームは「かまいたちの夜2」もしかすると更新のペースが落ちるかもしれませんが、それはひとえに、「かまいたち」のせいなのでご心配なく。と、またもやもろやんの言葉をパクりました(掲示板より抜粋)。許せ。そしてこの日記が短めなのは、「体験版」とかいう代物を次々とプレイしているからなのでご心配なく。それではゲームに戻ります。ごきげんよう。

 東京でこの夏いちばんの暑さを記録した「海の日」に、「オーシャンブルー」でもくもくと「かまいたちの夜2」。そんな夏の日の夜の過ごし方。そいつは素敵。

001/001

020705 本。


 「ほれ」

 入社初日。紙の束が渡されました。いちばん大型のWクリップで、ギリギリはさめるかはさめないかの厚さの紙の束です。面食らった僕は、尋ねました。

 「え、えと、どうするんですか?」

 チラリと上目で一瞥を返して、社長は言いました。

 「今度ウチでさ、単行本作るの。お付き合いのある大学の先生が今度勲三等叙勲するから、その記念の随筆集。で、過去にいろんなトコで発表された原稿を集めたんだけど、40年前からのモンぜんぶ集めてっから、雑多すぎるのね。で、作品絞り込んで、毛色ごとに振り分けて章立てして、きちんとまとまったものを出したいワケ。今渡したのは割と適当に並んでるし選別もちゃんと済んでないからサ、キミ、読んで再構成して」

 はうあ。

 「読んで」と簡単に言われたものの、紙の束をパラパラとめくり確認してみると、ページ数にして320ページです。果てしない量のように思われました。長編小説ならば300ページ超くらいは普通の量ですし読むのに苦はないですが、「仕事として」読む320ページは一体いかほどの重量感をもって迫ってくるのか、当時の僕には想像もつきませんでした。ともあれ与えられたばかりで腰の落ち着かない椅子に腰掛け、長い長い「読み」に没頭することとなりました。

 いや、没頭、できればいいのですがあいにくそんな環境ではありません。始終他の仕事は舞い込んでくるし、ほうぼうから電話がかかってきて対応に追われます。5分と連続して読みに集中できることなんてありませんから、内容もなかなか頭に入らず、遅々としてページは先に進みません。それでもなんとかそれなりに緊張感を持続させることができたのは、新しい環境に突如として飛び込んだが故の、つまりは別の緊張感が背後にあったからだと思います。

 三日後。それは入社以来三日後でもあることも意味しますが、どうにか通しで何回か読んで内容を把握し、全体の雰囲気をつかんできた僕は、家でテキスト打ちした「構成表」を提出しました。章題であるとか改題であるとかも考えなければなりませんでしたから、この三日間はほんとにずっとこの紙の束(=ゲラ)とのお付き合いでした。そうして苦心惨憺の末にできた構成表を挟んで僕と社長は向かい合い、社長の一方的な質問に冷や汗をかきながら応戦しました。

 なにを質問されたのか。一言に集約すると、「意図」ということになります。この作品の次にこの作品を配した「意図」、この章にこの作品を入れ込んだ「意図」、この作品を改題した「意図」。すべてに答えられなければなりませんでした。ならなかったのですがそうもいかず、深い考えなしに組み上げた箇所に関してはしどろもどろな答弁になりました。ちょっとばかりの趣向を凝らしてつけた章題、改題も、「甘い」とばかりに真っ赤に修整されて返ってきました。先行き不安なスタートとなりました。

001/004


 「構成」の次は、「校正」です。左手に赤ペンを構え、誤字脱字をバッサバッサと正してゆきます。通常は初校、再校、三校といって三回も通して校正すればあらかた誤りは正されるのですが、なにぶん僕は本格的に校正に取り組むのは初めてです。三回校正しても五回校正しても十回校正しても、回を新たにするごとに要修正箇所が露見してきます。「どうして見逃していたのか」と首を傾げたくなるほど明白な誤字や脱字が次から次へと見つかります。「こんなこっちゃ不安でしょうがない」と、僕には通常よりも長めの校正の時間が与えられました。

 しかし与えられる時間にも限りがあって、工程は僕の校正作業の遅滞を横目に容赦なく進んでいきます。僕は製版所に乗り込んで校正、版が刷り上がってからも校正と、かなり見苦しくこの作業を繰り返すこととなりました。それぞれの部署の人にとってみれば迷惑極まりないお粗末さです。どうにか自分で満足ゆくだけの校正をすることができたのは、全工程も本当に終盤を迎える頃のこととなりました。赤ペンもインクがなくなり、かすれた字を息も絶え絶え出力する、そんな状態になっていました。ところでこの赤ペンは実は昔、馬券を買うときにあわせて購入した競馬新聞用のものを使い回しているのだ、なんてことは内緒です。

 これだけ校正が滞って堂々巡りになってしまったのは、僕の校正に対する認識の甘さによるものでした。それとともに自分がいかに言葉を知らないか、いかに誤って覚えているかを痛感することとなりました。ちょっとだけ保持していた自負も自信も、吹き飛びました。言葉に対する姿勢、認識を一度全部ぶっ壊して、再構築する必要がありそうです。そう思わせるほどに打ちのめされた、と言えるでしょう。それは少しの自分に対する落胆もはらんでいました。視点を変えれば、「新しい言葉の魅力に気付くことができた」と明るく言い放つこともできるでしょうが、まだそんな余裕はありません。

002/004


 中身と平行して、外見の制作も進んでいきます。ブックデザイナと打ち合わせを繰り返し、装丁を検討します。紙材、色、フォント、レイアウト。すべてについて様々な角度からアプローチを試みます。主としてデザイナと社長とのやり取りの中から方針が固まってゆくのですが、以前から「ブックデザインに興味がある」などと吹聴してきた僕のことですからそんな場で黙ってもいられず、ちょこちょこと意見を発してみました。デザイナはこんなへっぽこな僕の意見も取り入れて、案に反映させてくれました。各々の仕事に順位をつけるものではないですが、この装丁周辺の仕事はもっとも楽しいものでした。

 それぞれの工程がある程度進行して形が見えてきてから、著者のご登場、とあいなります。著者の自宅を訪問し、構成が固まり校正が入ったゲラを見せ、デザイナが制作した本の仕上がり見本を見せます。中身にしても外見にしても、基本的には著者の意向が第一となります。たとえば編集時点で「これを入れるのはどうかな?」と思った当落線上の作品があっても、あるいはデザイナが第三候補として用意した装丁案にしても、著者がゴーを出せばそれで進んでいきます。

 だけど著者の言うがまま、というのも問題で、そこは編集の意見、デザイナの意見も出しつつ妥協点を求めてゆかなければなりません。その「妥協」は決して下向きな妥協であってはならず、上向きな妥協であるべきです。「すべての人に満足ゆく仕事をさせるように環境を整えるのが僕たちの仕事だよ」と社長は言います。その通りであるのはわかるのですが、僕がそういった調整ごとをひどく不得手とするのも事実で、前段の装丁の仕事と対照的にこういったいわゆる「編集のお仕事」をするのに僕は難儀しています。

 編集もデザイナも満足な仕事をし、著者の確認が得られたら、あとは怒涛の最終工程に進んでゆくことになります。製版、印刷、製本です。この工程が実はもっともスケジュール的にはタイトでシビアなのだということも、僕は初めて知ることとなります。ここまできたらもう後戻りはできない、からにはスケジュールは密にしてどんどん流していく、というわけです。逆に言えばこうして手を離れる前に、でき得ること、成すべきことはすべて成しとかなければいけないのです。一冊の本ができるまでの工程とそれに関わる人の多さというのは僕の貧弱な想像を越えたものでした。

003/004


 「ほれ」

 昼過ぎ、印刷所からやや大きめの包みが届き、それを開いた社長が僕に一冊の本を手渡しました。社長は何を渡すにも、「ほれ」と、この一言です。渡されるほうの疑問も感慨もおかまいなしのようです。今度渡されたものの正体は、渡される前からわかっていました。入社以来二ヶ月近く、ずっと関わってきた本がついに、生まれ、手元にやってきたのです。しかし中身を見るのは、怖いのです。それは校正漏れが見つかるのが怖いから。だから僕はずっと本をなで回し、カバーを外し、あるいは表紙だけめくって見返しを確認し、化粧扉を確認し、悦に入っていました。社長は比較的冷静にそんな僕の姿を見、「みんなはじめはこんな感じなんだよな」と言っていましたが今度はこちらがおかまいなしです。今日のこの喜びをどう表現したらよいのでしょう。

 そしてその今日は、僕の、誕生日でした。

004/004


2002 : 01-03 04-06
2001 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2000 : 01-02 03-04 05-06 07-08 09-10 11 121999